辻村深月『青空と逃げる』を読んだ。
重苦しい読書感覚を味わうも、爽やかで前向きな結末のこの作品は、読み終わった後の余韻が実に気持ちいい。
感覚的には同じく辻村深月の作品である、
『島はぼくらと』
に近い気持ちよさと言えば伝わる人には伝わるかもしれない。
この作品も海や空のように美しく突き抜けるような爽やかな青色が心の中にスッと入り込んでくるような感覚を味わうことができる作品になっている。
よく考えたら『島はぼくらと』にも登場していたコミュニティデザイナーのヨシノも素敵な役で再登場しているので、作品の空気感が似ているのも納得だ。ヨシノが登場したときは、ついテンション上がってしまった。
というわけで、今回は爽やかな読後感が味わえる『青空と逃げる』のネタバレ感想と、特徴的なこのタイトルの”青空”が何を表現しているのかも考えてみた。
青空と逃げる
あらすじ
深夜の交通事故から幕を開けた、家族の危機。押し寄せる悪意と興味本位の追及に日常を奪われた母と息子は、東京から逃げることを決めた――。(引用|amazon)
読売新聞で約1年間連載されていた作品がいよいよ単行本にて発売。
amazonのあらすじでは、母と息子が逃げるということしかわからないので、ザックリ内容を説明すると、
舞台役者の父親が関わった交通事故がきっかけになり、有名女性芸能人が自殺をしてしまう。
世間は父と女性芸能人が不倫関係にあり、死んだ理由もそういった不倫にあるのではないかと邪推する。
いくつもの憶測が飛び交う中で父は失踪し、そのことでマスコミや自殺した女性芸能人の事務所から執拗に嫌がらせを受けるようになってしまう母子は、一時的に家を離れて東京から四万十、家島、別府と様々な場所へ逃げることになる。
行く先々で多くの人と出会い、別れ、助けられていくことで徐々に心の成長を遂げていく。
といった感じの流れ。
ストーリー展開だけ読むと、追い詰められていく母子のツラい逃亡劇を連想してしまうが、行く先々での人々の優しさや、ひらかれた風景描写が美しいので、極限まで追い詰められた絶望的な物語に感じないで読書中のストレスが強すぎないのは良かったと思う。
重なる視点
この作品では、息子・力の視点と母親・早苗の視点が交互に描かれていくことで、物語が立体的になっており、同一の視点のみで描かれる物語よりも深みがでている。
読者からすると、
”何も知らない力”と”事件の概要を知っている早苗”
という認識で物語が進んでいくが、
”父親とずっと連絡をとっていた力”と”何も知らなかった早苗”
という認識に最終的に逆転する。この立場の逆転は鮮やかだ。
さらに母と息子のお互いの印象も変化していく。
早苗から見た力はまだまだ子供だったが、早苗が熱に倒れたとき力は自分が「子供」であることを認めた上で正しい行動を起こして早苗を救っている。
早苗が感じているよりも力はずっと成長していることがわかる。
逆に力から見た早苗は、あくまでも「母親」でしかなかった。
しかし、共に行動していくうちに実際は社会の一員として行動できる明るい人物であることに気が付く。
力が抱く早苗への印象は、自分の母親でしかない存在から社会を生きる一人の人間へと変化していくのだ。
母子のお互いの印象がポジティブに変化していく様子はとても面白い。
そしてこの作品は、
「力の視点」と「早苗の視点」
のほかに、
「読者の視点」
も意識して描かれているようで面白い。
読者の視点
父親の事件の情報が小出しにされるので、読者は初め断片的な情報から事件を想像していくことになる。
最近は父親の帰りが遅くなっており、夜に女性芸能人と共に車の事故に遭ってしまった。
そんな話の流れから察するに、読者は「ああ、父親は不倫したんだな」と、勝手に決めつけてしまう。
ところが終盤でその不倫が否定されていて、父親が信頼に足る人物であることが描かれている。
これらの展開は、どこか読者に自己批評を促しているようにも思える。
内部事情を知りもしないのに、憶測と決めつけで好き勝手なことを言っているワイドショーや一部のインターネットの意見で踊らされている社会を否定しているような印象を受けた。
深読みかもしれないが、そういった好き勝手な発言から生まれる”見えもしない世論”に振り回されて自分を見失うことないぞ、と勇気づけられているようなメッセージにも感じてしまった。
突然生まれる緊迫感
この作品の様に人間の成長を表現していく小説の場合、物語の展開が緩やかで中だるみしてしまうことがあるのだが、そこは辻村深月作品なので安心して読むことができる。
ただの母子の逃亡劇なのに、その筆力で読ませられてしまう。
さらにこの作品では、突然すさまじい緊迫感が生まれるシーンがある。
それは、早苗が自宅の力の部屋のクローゼットから血の付いた包丁を発見する場面だ。
赤い血糊のついた包丁が、目の前に転がり出ていた。
包丁を中心に、赤いしみが広がっている。包丁のすぐ下には、うちの洗面所で使っている白いタオルがあり、タオルケットは、そのタオルごと包丁を隠すように丸めてあった。
足と腰、下半身から、力という力が抜けた。
包丁についているのは、血だった。(本文より)
自宅の力のクローゼットの中から血が付いた包丁を見つけて愕然とする描写が突如として描かれている。
ただの母子の逃亡劇に、包丁を発見するこの一場面を追加するだけで作品全体が急激に引き締まったような印象を受ける。
この包丁を発見するのがストーリーの冒頭に来たとしてもそこまでの効果は期待できないと思う。
物語の中盤でストーリーに若干の中だるみが生まれそうな瞬間に、そういったスパイスを放り込んでくるストーリー構成の巧みさには、ただただ脱帽するばかりだ。
真相なんてどうでもいい
最後まで読んだ方はわかっていると思うが、読みおわった後も父と女性芸能人の間に何があったのかはわからないままで物語は終わりを迎える。
この終わり方は、受け取り手によって評価がわかれるところだと思う。
人によっては「結局何があったかわからないのかよ!」と、ツッコミを入れてしまうかもしれない。
僕自身にもその感覚がないといったらウソになるかもしれない。
しかし、同時に事件の真相なんてものはどうだっていいという感覚もある。
なぜならば、この作品は”青空と逃げる”という母子の過程こそが重要な物語だからだ。
青空というメタファー
では、この作品のタイトルである『青空と逃げる』の”青空”とは何を表しているのだろうか?
シンプルに青空
シンプルに考えるなら比喩ではなく、作中でも書かれているように、
「見上げた先にある空のこと」
を示していると考えるべきだ。
知らない土地に入って心細くても、頭上の空は常に早苗が出てきた東京にも、夏の間を過ごした四万十にもつながっている。同じ色ではないかもしれないけれど、その空の下で、早苗と力がお世話になった人たちも、空を見て暮らしている。(本文より)
行く先々での青空が繋がっているというのは、いい言葉。何となく人を救ってくれる言葉だと思う。
逃げた先も、今まで住んでいた場所と変わらないんだと言い聞かせて前を向ける気がする。この捉え方も悪くない気がする。
力の存在
しかし、他の意味合いもある気もする。あえて他の読み解き方をすると”青空”とは
「早苗にとっての力の存在」
として捉えても面白いかもしれない。
「母さんが、知らない場所でも勇気を出してそこに入っていけたのは、力のおかげ。――力がいなかったら、お母さんにはとてもそんなことはできなかった」(本文より)
力がいつも一緒にいたから、自分が頑張ることが出来たと作中で早苗も言っている。
早苗がずっと一緒に逃げてきた存在は力だ。
青空という存在を力に置き換えれば『力と逃げる』となり、この物語の内容とも合致する。
力は早苗にとっての青空であるという捉え方だ。
家族として
もしくは、もう少し広義に捉えて、
「家族の存在」
としても読めるかもしれない。
離れていたとしても一部が繋がっている家族の存在を、青空と表現している可能性もある。
それならば各地へ逃げた先でも青空(家族)は繋がっており、振り返れば、はじめから心の部分では一緒にいたことになる。
青空と逃げるというのは、離れていても繋がっている家族の絆と共に逃げることを示しており、信用できる家族の存在を青空と表現している読み解き方もできるのではないだろうか。
どの読み解きが作者の意図に沿っているのかはわからないが、いくつもの答えがあっていい気もする。
最後に
作品の爽やかさは『島はぼくらと』に似ている書いたが、逃亡や人を探すという展開は『ゼロハチゼロナナ』にも近い印象を受ける。
辻村深月『ゼロハチゼロナナ』感想文:両親は選べないが共に過ごす友達は自分で選ぶことができる
いくつもの作品がある中で小さな繋がりを編み込んでいく辻村作品は、以前の作品の空気に少しだけ触れつつ変化する生き物のように感じる。
これから生み出される作品にも同じような繋がりがあると思うと、これから生み出される作品が今から楽しみでしかたない。