直木賞と本屋大賞をダブル受賞した『蜜蜂と遠雷』
タブル受賞で話題性もあり、さらに内容についてもこれだけ素晴らしい作品なのであれば、近いうちに必ずアニメ、映画、ドラマなどのほかの媒体に姿を変えていくことでしょう。間違いなく。
僕はそれら異なる媒体の中でも、特に、
“漫画”
という媒体が、一番この作品の良さが引き出せるのではないかと思っています。
映画やアニメではなく絶対に漫画が良いと思うんです。
漫画のメリット
元々漫画的な作品と言われてはいるのですが、なぜ漫画が良いのでしょうか?
それは、この『蜜蜂と遠雷』という作品がピアノコンクールを舞台にした物語であることが大きく関わっています。
蜜蜂と遠雷では、何人もの “天才” が登場して、ピアノで《天才的な音》を奏でるシーンが連続する作品なのです。もし映像で《天才的な音》表現しようとすると、当たり前ですが《天才的な音》を実際に生み出さなければならないんですよね。
そうすると、結局受け取り手の想像を超えていく表現をするのは難しいんですよね。
唯一、例外的な映像作品だとハロルド作石『BECK』の映画版でコユキが歌っているシーンがありますが、やはり《天才的な音》は、音で表現せずに逆に“音を消す”ことによって《天才的な音》を表現していました。
しかし、漫画であれば《天才的な音》を《天才的な音の絵》で表現することによって、読者の想像力を生かしつつ素晴らしい音を脳の中から聴かせることが出来るのです。つまり、読者の想像力を刺激することが出来る《天才的な音の絵》を表現できる漫画家がいれば全て解決するわけです。
そして・・・
【天才】を表現することに長けた漫画家がいらっしゃるんですよね~。
その名は、
曽田正人
―ソダ マサヒト―
『め組の大吾』『capeta』『昴』などを手掛けた人気作家です。
なぜ曽田先生なのか?
僕が思う曽田作品の最大の特徴は、圧倒的なまでの“天才”が登場し周囲の想像を超えていくことにあります。もう大好きなのでいくつか見てみましょう。(画像は曽田先生の公式サイトより)
『シャカリキ!』
この作品では自転車競技におけるヒルクライムの天才-野々村輝(ののむら てる)
『め組の大吾』
この作品では災害現場における人命救助の天才-朝比奈大吾(あさひな だいご)
『昴』『MOON』
この作品ではバレエの天才-宮本すばる(みやもと すばる)
『capeta』
この作品ではサーキットにおけるドライビングの天才-平勝平太(たいら かっぺいた)
それぞれの作品では天才的な主人公たちが、常に周囲の想像を超える活躍をしていきます。『シャカリキ』では上ることが出来ないと言われていた坂を常に登り切ってきたテルや、『め組の大吾』では絶体絶命のピンチの時も必ず要救助者と共に生還を果たすダイゴ。マシンの差で劣っている中でも常に結果を出し続ける『capeta』の主人公カペタなど、全ての主人公たちは周囲が「出来ない」とか「こんなもんだろう」という周囲の想像の遥か上を行くのです。
特に『昴』『MOON』における宮本すばるは、レースや救助といった明確なゴールがない “芸術” の世界を表現しているという点で『蜜蜂と遠雷』との共通点があり、他のバレリーナ達との明確な違いを、見ている観客の表情やしぐさ、ブルッと震えたりする小さな技で、的確に表現されていました。
“言葉で説明はできないけど鳥肌が立つ”
・・・そんな天才を絵で伝える技術は、曽田先生は群を抜いているのではないでしょうか。
また、曽田作品では天才に対比される秀才に対してもスポットライトを当てることがあります。『め組の大吾』でいうところ眼鏡ボーイの甘粕士郎(あまかす しろう)ですね。
彼は努力と経験によって天才に食い下がっていく秀才タイプの人間です。作品の途中では大吾との才能の違いに苦しみもがき、絶交までするのですが、最後は大吾と共に二人のエースとしてレスキューの中核を担う存在になります。『蜜蜂と遠雷』でいうところの、地道に努力し曲への理解度を高めた高島明石(たかしま あかし)のような立場ですね。
天才としての表現だけではなく、努力の秀才の天才に対する葛藤や結果の出し方への表現についても素晴らしいんですよね、曽田先生は!
以上の事から、
この『蜜蜂を遠雷』を漫画化するなら絶対的に曽田正人先生に描いてもらうべきだと思うのです。
とは言いつつも
他にも【天才】を描くことに長けた漫画家の先生はもちろんいらっしゃいます。いくつかの可能性を・・・
『ヒカルの碁』を描いた小畑健
まずは小畑先生。ヒカルの碁では碁という一般の青少年になじみの薄い世界を舞台にしているにも拘らず、表情と内面描写で、本因坊秀策(というか藤原佐為)の乗り移った進藤ヒカルの天才ぶりを描き切っていました。
「右辺が生きてきたっ!!」
とか当時から意味は解らないけど、「なに?右辺が?」って思いましたもんね。
今も意味は解らないけど「わからないけど凄いことはわかる!!」というのは考え抜かれた技術だと思います。とにかく久々に読み返してみると止めるところがないほど面白くて惹きつけられてしまいますね。
ちなみに『DEATH NOTE』も同様ですよね。
月(ライト)などの超論理的な天才や、Lなどの変人型の天才など天才の書き分けという離れ業も可能です。
あとは何といっても小畑絵は美しいので、ピアノの音から生み出される情景を、小畑先生がどのような絵にして表現するかは想像するだけで楽しくなってしまいます。
『YAWARA!』を描いた浦沢直樹
『YAWARA!』では柔道の天才・猪熊柔が登場します。浦澤作品では驚くべきことが起きた時のギャラリーの驚き顔が素晴らしく、その表情だけでどれだけ凄いことが起きたのかがわかるような表現が多く描かれています。
あと、どことなく浦沢直樹作品の女性主人公の姿と、『蜜蜂と遠雷』に登場する栄伝亜夜(えいでんあや)の印象が重なる部分もあるんですよね。
また『MONSTER』のヨハン・リーベルトも違った意味で天才でしたよね。
静かな天才の行動が周囲を驚かせる場面は『MONSTER』のヨハンが何度も見せてくれました。『蜜蜂と遠雷』で風間塵がピアノの位置を調整しているイメージは、僕の中ではヨハンの印象と近いものを感じました。
最近では若干重めなテイストの話が多い気もするので、美しさ重視の作品も描いて欲しいのですが、浦沢先生の芸術的で抽象的な表現をあまり見たことがないので、その辺りがどう転ぶのかがわかりませんね。
『D-LIVE!!』を描いた皆川亮二
天才を描くとなるとこの人も外したくない漫画家です。『D-LIVE!!』では初めて触った乗り物であろうと一瞬でシンクロしてしまう天才・斑鳩悟が活躍するのですが、初めて触ったピアノでも芸術的に弾きこなす風間塵と似た部分がありますね。
また『ARMS』では主人公の高槻涼(たかつき りょう)だけでなく、他の仲間たちも活躍します。皆川作品では、一人だけにスポットを当てるわけではなく、沢山の天才的たちが活躍する事が多く、『蜜蜂と遠雷』の4人の主人公たちがそれぞれ違った魅力を持っている様子に近い気がします。それぞれの特徴を生かした表現で読めるのも楽しいかもしれませんね。
ただ、内面描写が上手い訳ではない・・・というより、皆川先生は動きのある天才を書きたいのではないかと思います。ですので、おそらくピアノを弾いている絵を何パターンも描いたりはあまり向かないのかもしれません、笑。
他にも
天才を描いているという意味では、
『ちはやふる』を描いている末次由紀
『ましろのおと』を描いている羅川真里茂
『ボールルームへようこそ』を描いている竹内友
などなど、描いてみて欲しい漫画家の先生はたくさんいらっしゃいますが、もし漫画化が決定するのであれば、是非とも、
【天才を描く】
【天才的な音を描く】
という2つの点を高次元で実現できる漫画家の先生に、この『蜜蜂と遠雷』の美しい世界を描いていただきたいと心から思います。