悩んで苦しくなる閉塞感の塊のような作品がたまにある。
何故、人は不快な気分を味わいながらも作品を読むのだろうか?
僕が思うに自分が味わったことがある不快感や、立場や環境で苦しんでいる登場人物に自分自身を重ね合わせて同調することで、自分の孤独を理解してくれている人がいると信じることが出来るからではないだろうか?
本来人間はみな孤独であるはずなのだが、日常を生きていると何故かそこまで孤独を感じない。人間は他人に理解されていないと感じた時に初めて「孤独」を自覚するのかもしれない。
今回はそんな孤独を感じてしまった人達の、閉塞感のある物語。
窪美澄さんの『晴天の迷いクジラ』の感想をネタバレありで書いていきたいと思う。
仕事に悩んでいる人や人生に迷っている人。妻や恋人の浮気現場を目撃してしまった矢口真里の旦那みたいな人は読むと共感できるかもしれない。
晴天の迷いクジラ
あらすじ
デザイン会社に勤める由人は、失恋と激務でうつを発症した。社長の野乃花は、潰れゆく会社とともに人生を終わらせる決意をした。死を選ぶ前にと、湾に迷い込んだクジラを見に南の半島へ向かった二人は、道中、女子高生の正子を拾う。母との関係で心を壊した彼女もまた、生きることを止めようとしていた――。苛烈な生と、その果ての希望を鮮やかに描き出す長編。山田風太郎賞受賞作(引用:amazon)
この作品は三人の主人公が登場する連作短編風の長編作品になっている。
それぞれの主人公たちは自らの人生が上手くいかず鬱々とした状態の中で、徐々に心のバランスを失っていき、そのバランスが崩れた時に自分の人生を諦めて死という選択をとろうとする。
そんな三人が偶然に出会い、半島にクジラを見に行くという話なのだが・・・。
感想
あらすじで書くと上記のように非常にシンプルな物語だが、実際に読んだ感想としてはそんなシンプルな物語ではない。
というのも、作者である窪美澄(クボ ミスミ)さんが三人の主人公のバックボーンを丁寧に描いており、それぞれの物語の主人公たちの追い詰められる感情がシンプルなものではないので、行動やストーリーがシンプルでも感情面はもうグチャグチャになるように描かれているからだ。
この作品は追い詰められ方がエグい。
主人公たちは、いきなりズドンとドン底に落されるのではない。気が付かないうちに自分が立っている場所のまわりに壁が少しずつ立ち上っていき、その壁がドンドン自分に寄ってくる。そして気が付くと周囲を高い壁に囲まれており、自分がドン底にいる事に気付くのだ。
シンプルに突き落とされたような追い詰められ方ではなく、心を少しずつ削り取られるような追い詰められ方がとても現実的に思え、実際に人間が壊れる時はこういう追い詰められ方をするのだなと感じるので、読んでいく事で自分にも起こりうる恐怖も覚える。それぞれの追い詰められ方をみていこう。
「ソラナックスルボックス」
第1章の主人公は浮気され捨てられた青年「由人」。ブラックなデザイン会社に勤める青年だが、僕は性別もあって一番感情移入して読んでしまった。題名は精神安定剤の名前だ。
母親から一切興味を持たれずに育った学生時代を経て、就職するが忙し過ぎてうつ病になる。そして唯一の心のよりどころだった恋人のミカにバッコンバッコンに浮気されて、その現場も目撃してうつ病が悪化。
自分がつらいと感じている事に、他人に指摘されるまで気が付かないまでに心が壊れてしまい、気が付くと自殺する為に薬を飲んでいる。
ちなみに、ミカの浮気描写はネトラレ好きのドМ読者はメチャクチャ興奮できると思う。ネトラレ好きのドМ変態読者へのおすすめポイントと言っていいだろう。
由人の孤独は『人に受け入れてもらえない孤独』だと思う。
「表現型の可塑性」
第2章の主人公は子供を捨てた女社長「野乃花」。由人が務めるデザイン会社の社長だ。
若い頃、絵を書く事が好きで、その延長で画家の先生と情事にふけることとなる学生時代の野乃花だが、儚い恋心の延長にあった妊娠をキッカケに世界が変わっていく。
世間では玉の輿と呼ばれるような結婚だが、実際は誰も自分と心を開いて接してくれることのない環境の中で、一人で子育てをしていかなければならず、その隔離された孤独感と世間から隔離されている異常性は読んでいて胃が痛くなるほどだ。
そして、年齢的な未熟さ、子供が出来るまでの幸せな時間、そしてそれを失った現実に耐え切れなくなり、野乃花は幼い子供を捨てて街から逃げ出してしまう。
子供を捨ててまで選んだデザインの仕事だが、その会社も倒産の日を迎えようとしている。
野乃花の孤独は『子供を捨てた対価に何も得られなかった孤独』と呼べる。
「ソーダアイスの夏休み」
第3章の主人公は過干渉で居場所を失った女子高生「正子」。死んだ姉の代わりを押し付けるように正子の母親は、彼女の全てをコントロールしようとする。あなたの為よ、と言いながら。
幼い頃からノートに全てを書かせ、食事、衛生面、洋服などの全てを母親が決める環境。
そんな中、正子に初めて本心を言える友人ができる。閉じていた心が開いていく日々だったが、その友人が病気で亡くなった時、我慢していた正子の価値観がひっくり返り、すべての価値が一変していく。
実際は過干渉というよりも監視という言葉がシックリくるくらい異常な母親の元で過ごす閉塞感が正子を削っていく。自分の中で大切だと思える友人への価値観と母親の価値観が絶対に合うことはなく正子には何もなくなってしまう。
母親は正子を見ているようで、実は正子という存在を大切にすることで自分自身の心の平穏を保っているように見える。
正子の孤独は『過干渉な母親が実際は自分を見てない孤独』ではないだろうか。
「迷いクジラのいる夕景」
それぞれ追い込まれていく主人公たちだが、どうせ死ぬならクジラを見に行こうという事になり一緒に半島へ向かう。
でも、TVでたまたまやっていたからという理由で半島に向かうのはかなり強引だと思う笑。ここだけはあまり納得いってない笑。
せめて、野乃花の地元が近いなら自殺するために地元に戻る流れから、たまたまクジラに出会う方が自然な気がするが・・・まぁ僕が気づかなかっただけで、何か意図したところがあったのかもしれない。
クジラはそれぞれの主人公たちの現状の比喩として登場する。
浅瀬に迷い込んだクジラはそこから出れなくなって死んでいくという話を聞き、そのクジラに自殺を考えた主人公たちが自分を重ねる。
この物語のメインテーマは『母と子』ではないかと思う。三人の主人公たちはそれぞれ、
・母に興味を持ってもらえない由人。
・母として子供を捨てた野乃花。
・母に過干渉を受ける正子。
という立場は違えどお互いを何かに重ねるような存在だ。そんな彼らだったからこそ、疑似家族のような体験をすることで、それぞれ自分と向き合っていくことが出来るのかもしれない。
そして閉塞感のある物語をクジラが大海へ運び出してくれたかのようなエンディングを迎える事になる。
この物語が伝えたかった事は?
人間は自分の全てを他人に理解してもらう事は不可能だ。
迷いクジラと同様に、自分の人生が行き止まりになってしまったように感じる彼らだが、その人生を何とかしようともがいても、あがくだけで何も変わらない。
僕がこの物語の好きなシーンを挙げるとすれば、そのまま死んでいくだろうと思われていたクジラが何事もなかったかのようにあっさりと沖に帰っていく所。
それは人生に置き換えると、上手くいかない時期が終われば自然なことのように自分の人生にも新たな道が見えてくる事を示しているようにも感じる。
特に何が解決したわけではないのだが、フッ と気が付くと視点が変わって楽になる瞬間が訪れるから、それまで、なんとか進んでみなよ。と、作者がそっと応援してくれているのかもしれない。
最後に
鬱々とした作品だったので、鬱々とした感想になったが、マイナスメンタルになる作品を読むことで心のバランスが取れる日もある。
ただ、少し沈み過ぎなので熱く燃えるような作品の感想、紹介が出来たらなとも思うので近日中に動き出そうと思う。
なるべく多くの作品と出逢って人に話が出来たら幸せだなと改めて感じる毎日だ。