もはや芸人というより芥川賞作家としての名前の方が大きくなってしまったような印象を受ける又吉直樹さん。そんな又吉さんが作家のせきしろさんと共に出した本がある。
それが五七五に拘らない自由律俳句集『カキフライが無いなら来なかった』だ。自由律俳句についてはあとで説明します。
この作品に掲載されている言葉たちを目にすると面白いことに頭の中にその情景が浮かんだり、人の感情が流れ込んで来たり、単純に笑ってしまったりする。とても魅力的な本なので、作品の感想と登場する言葉たちを一部紹介してみたいと思う。
カキフライが無いなら来なかった
概要
妄想文学の鬼才と、お笑いコンビ「ピース」の奇才が詠むセンチメンタル過剰で自意識異常な自由律俳句四百六十九句。散文二十七篇と著者二人の撮影による写真付き。文学すぎる戯れ言か、お題のない大喜利か。
引用:amazon
自由律俳句とは、一般的な俳句のように五・七・五で作ったり、季語を入れたりするなどのルールのない俳句の事をいう。一見簡単そうだが、自由度が高い分無駄なものをそぎ落とす大変さがあるという。
この作品集では、時に面白く、時にせつなく、発想と気持ちを刺激してくれる作品が並んでおり、他にも写真と散文(小編?)も掲載されているので、どれも哀愁と面白味に溢れている。
全体の感想
読めば読むほど言葉の力と可能性を信じたくなる一冊。たった一行。たった一言から影響を受けて強烈に映像が浮かんでくるところが凄い。言い方を変えると発想を刺激する言葉たちがたくさん書かれている一冊。
その文章を目にしただけで、空想の人間の置かれている立場や嬉しい悲しい淋しいなどの感情が流れ込んでくる。長い文章ではなく、一文でその感情を操っているという点がこの作品の素晴らしさを表しているように思う。
大量の自由律俳句が存在するのだが、僕が読んでいて気に入ってしまった言葉と、その内容について少し触れていきたいと思う。掲載の順番はあまり気にせずに、読みやすいように系統別にまとめてみた。
あるある系
“登山服の老夫婦に席を譲っても良いか迷う”
ありますね。健脚で趣味を楽しんでいる老人に席を譲るべきかどうか。登山の帰りだったら席を譲ってあげるべきだと思います。老人とか関係なく疲れてるだろうから。
“山では素直に挨拶出来る”
山ではむしろ爽やかに「こんにちわ~」って言えるんですよね。なんだったら天気の話とかもしちゃうよね。でも普段は近所の人へもちょっと気合を入れて挨拶してしまう。人見知り乙。
“このカルビは少し僕よりにある”
誰がどの肉を食べるのかを心の中で葛藤している言葉。又吉さんらしい。網の上の熱い戦いで、中心ラインよりもちょっとだけこっちで肉が焼かれてると、なんとなく自分のカルビ感がでるんだよなぁ。
“長過ぎた鼻毛を一応とっておく”
これってどっちの意味でしょうね。長く成長した鼻毛が立派だったので一応保存するという意味か、全体的に鼻毛が伸びている中で、突出している一本の鼻毛だけは一応目立つから抜いておくという意味か。まぁどちらでもいいんですけどね。どうだっていいんですけどね。
“居酒屋のトイレで一旦酔っていないふりをする”
盛り上がっている飲み会を抜けてトイレに行った時に「ふぅ」とかいいながら時計を見て冷静ぶる時って、僕もあるんだよなぁ。なんか文字で書くと超だせぇな、その行動。
“醤油差しを倒すまでは幸せだった”
ああ、つらい。これつらい。前後の温度差がつらい。
“電気のヒモが長ければと布団で思う”
冬の布団あるあるですね。是非リモコンを。
“研修中の札を見て諦める”
失礼な接客を受けた時によくありますよね、僕は研修中じゃなくてもよく諦めてますが。ちなみにレシートの上におつりを置かれるのは嫌じゃないけど、軽い硬貨(1円玉と5円玉)をレシートの上に置かれるとレシートが小銭をバインッて弾くからムカつきますよね。そのバインッにむかつく。
“趣味が高じて趣味がなくなる”
商売になるパターンですね。素人ブロガーとかがよくなるよね。これは上手いこと言ってますよね。
“トラックの後ろに乗りたくないと言えば嘘になる”
そうなんですよ。トラックの後ろに乗りたいわけではないんですよね。でも乗りたくないと言えば嘘になるんですよ。本当にそう。これ的確過ぎて感動してしまった。
“ごま油に賭けてみないか”
料理をして失敗した時の言葉でしょうね。友達と料理したけど全然おいしくないの。そんなときの一言ですね。確かにごま油を使った料理の勝率は結構高いからね。
ちょい毒系
“転んだ彼女を見て少し嫌いになる”
ありますね。少しってところが何かわかるんですよね。あと、ハエがたかっていたりしても少し嫌いになりますよね。少し。
“異性を意識しただけのパーマ”
これ超好き。電車で笑ってしまった。ほとんどの場合、パーマは異性を意識しただけのパーマかもしれないが。
“カキフライが無いなら来なかった”
表題作?そこにいる人たちには申し訳ないけどね。“カキフライ>そこにいる人たち”なんでしょうね。会社の飲み会なんかでこういう気持ちになる。
“PKだけ見る女子”
いますよね。仕方ないけどね。そこだけ見んのかよっ!と三村風にツッコみたくなりますよね。でも勝ったあとにハイタッチとハグを求められたりするかもしれないから別にいいけど。てかむしろPKだけ見る女子にハグされたいよね。
“不機嫌なのが伝わってなくて驚いた”
不機嫌なことを相手に伝わってもいいくらい相手にムカついている映像が浮かびます。でもそれが伝わらないような相手だからムカつくんでしょうね。
“遅刻が確定した電車で読書”
人生はこれくらいの緩い感覚でいい気がします。あまり深く受け止めて心のキャパをオーバーしないように気をつけましょう!
“これ以上のダメージはジーンズではなくなる”
たまにそういうジーンズをはいている人いますけどね。ダメージって便利な言葉だなって思いますよね。
“防水機能をそこまで信用するのか”
土砂降りの雨の中、スマホで会話をするサラリーマン。プールで浮き輪に浮かびながらスマホを見ているギャル。その二人が浮かびました。結局スマホにしか発想がいかない自分に失望した。
“ロッキンチェアーで眠る老婆もぶってるように思う”
暖炉の前のロッキンチェアーで眠る老婆という味わい深い情景なのに、それもぶってみえるという毒。ちょっと理解出来ちゃうところが、自分に対して辛い。ちなみにロッキンチェアーの横に大型犬がいるとさらにぶってみえる。
せつない系
“「ヘビ玉ならまだあるぞ」の言葉は飲み込んだ”
盛り上がった花火の終わりにビニール袋の底に見つけてしまった心の声を感じる。飲み込んでいられるのであればセーフ。
“自動改札機にも無視された”
これはせつなすぎる。“にも”がせつない。
“突然敬語では無くなった”
初対面の相手に自分の年齢を伝えたんでしょうね。たぶん年上なんでしょうね。そこで急に敬語じゃなくなる奴は大体嫌な奴だけどね。
“現地集合現地解散なら行く”
笑った。人見知り過ぎる。
“鼻緒が一向に切れない”
めっちゃ良くないことが起きているんでしょうね。でも全然鼻緒は切れないし、黒猫も横切らない。もしくは夏祭りで、一緒に行った浴衣を着た女の子の鼻緒が切れれば男らしい所を見せられるのにな。という男子中学生の妄想ともとれる。
愛だの恋だの系
“アドレスを消しに景色の良い所まで来てしまった”
大恋愛を終えて数日後の事だと思った。踏ん切りをつけて前に進むために、つまりはアドレスを消すためにウロチョロして景色が良い所まで歩いている気分。
“改札に君が見えるまで音楽を聴く”
デートの待ち合わせでちょっとだけ格好つけている男の子の絵が浮かびます。本当は別に格好良くないのだけどね。
“クラス写真折り曲げ二人きり”
好きな女の子と自分の2ショットを作ろうとする内気な中学生が頭に浮かびます。これは嬉し恥ずかし素敵な一文。
“ラブホテルの前にサイドカー”
なんかよくわからないんだけど面白かった作品。確かにラブホテルにサイドカーって何か引っかかりますよね。いや、サイドカー自体はどこにいても引っかかるのか??
“雨の日に元カノとの子供を想像する”
せつない系にするか迷ったけどなんだか本当に切ない。でも、その元カノが自分で振った元カノなのか、自分が振られた元カノなのかによって切なさのメーターが変わりますよね。雨の日に想像するなら自分で振った元カノだと僕は思った。
“あの娘も僕も市外局番は同じ”
好きな女の子と自分の共通点を強引に探す思春期の気持ちを感じる。または、手の届かない存在だと思いつつも、実は近い距離なんだと自分を勇気づけている言葉にも思える。
“会えなかったから自転車でもう一度通った”
ああ、こそばゆい。片思いの中高生時代を思い出してしまいます。好きな子のバイト先、家の近所、部活終わりなどの会いたい気持ちが、会えない現実を否定して自転車でウロチョロしちゃうんですよね。今の時代ではストーカー予備軍ともいうが。
“熟年カップルが影と影にキスさせてた”
これいいよなぁ。熟年カップルの過ごしてきた時間の魅力までが、頭の中からボワッと浮かび上がってくる素晴らしい一文。・・・と思っていたが、ウチのワイフいわく、これは不倫カップルの句だといっていた。なるほど、そういう捉え方もできる。
その他
“昔住んでた家の前を通る誰かがまだ起きている”
セピア色の懐かしさを感じる一文。イメージしたのは初めて一人暮らしをしたアパートでした。なんか見ちゃうんだよね。昔住んでた家って。
“縄跳びが耳にあたったことを隠した”
久々に2重跳びをしたオジサンに起こりそうな出来事ですよね。すっげー痛いの。すっげー痛いんだけど当たったことは隠しちゃうんだよねぇ。
“新館本館どちらの裏か再度番長に聞く”
コミカル。番長に校舎裏に呼び出されるなんてことはまぁないんでしょうが、コントのネタになりそうですよね。そもそも平成に番長はいるのか?
“号泣しながらも三輪車は漕いている”
これは凄く可愛らしい。小さい子が号泣しながら漕いでる映像が頭にくっきりと浮かんだ。凄い。
“やはり原宿で降りたか”
山手線を奇抜すぎる格好で乗っている人をみると原宿で降りると思っちゃいますよね。経験則ともいうが、広義では偏見というのかもしれない。
散文
“これは桜じゃないけどまぁいいか”
バタバタした今の花見の雑踏を避けて、人のいないベンチに腰かけたものの見れる花が桜じゃないという小編。最後にタイトルに戻ってくる構成も含めて素晴らしい文章。
最後に
以上となる。読んでいくとあっという間に時間が経っているものだ。他にも数えきれないほどの傑作がこの本には掲載されているので、興味がある方はぜひ手に取ってみてほしい。
この作品たちは2009年に生まれたものだ。芥川賞を受賞する前という事になる。その当時から又吉さんの“力を持つ文章”を生み出す能力は見え隠れしていたということだ。
発売時にこの作品を読んで、周りに薦めていた人達は割と鼻高々なのではないだろうか。本当に素晴らしい作品集なので、続編『まさかジープで来るとは』の感想も書いていきたいと思う。