古き良きは古いだけ?朝井リョウ『ままならないから私とあなた』を読むと価値観が揺さぶられてしまう-感想文

  • 2021年10月26日

読むたびに傷ついたり嫌な気持ちになることはわかっているのに、懲りずに読んでしまう朝井リョウの作品たち。

朝井リョウ作品の多くは、人間の感情を言語化して説明し、読者へ一歩ずつ詰めていく。そして逃げられなくなったところで、至近距離から大声で人間の “矛盾” の叫びをぶつけられるような印象を受ける。

人によってはそれを苦痛を感じるかもしれないし、それがクセになるタイプの人もいるかもしれない。それは作家の個性と呼べるのかもしれない。

今回紹介したい作品『ままならないから私とあなた』も例外ではなく、逃げ道を少しずつ絶たれながら詰められていくような印象の作品で、さらに様々なことを考えさせてくれる作品になっている。

ままならないから私とあなた 

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あらすじ

先輩の結婚式で見かけた新婦友人の女性のことが気になっていた雄太。しかしその後、偶然再会した彼女は、まったく別のプロフィールを名乗っていた。不可解に思い、問い詰める雄太に彼女は、結婚式には「レンタル友達」として出席していたことを明かす。 「レンタル世界」

成長するに従って、無駄なことを次々と切り捨ててく薫。無駄なものにこそ、人のあたたかみが宿ると考える雪子。幼いときから仲良しだった二人の価値観は、徐々に離れていき、そして決定的に対立する瞬間が訪れる。 「ままならないから私とあなた」

正しいと思われていることは、本当に正しいのか。
読者の価値観を心地よく揺さぶる二篇。

引用:amazon

基本的には表題作である『ままならないから私とあなた』について触れてみたい。

辞書によると「ままならない」とは・・・

思いどおりにならない。自由にならない。

-大辞林より-

ことを指す言葉なので、タイトルから察するに「思いどおりにならないから私とあなた」なんだよ!ということが書かれていることになる。

作品は、小学生のころからの友人である雪子と薫が共に成長していく姿が描かれており、自分にしか作れない曲を自分にしか弾けないピアノ演奏で表現することが夢である雪子と、その夢を効率的に応援しようとしている天才プログラマーのが、大切にしているものの違いから徐々にすれ違っていく。

あくまでも二人のストーリーとして進んでいくのだが、一歩踏み込んで物語をみると“私とあなた”といった個人の話ではなく、もっと広いテーマがあるように感じられる。

僕が思うこの作品のテーマは、

『昔から大切にされてきた考え方』

『合理性の追求』

のぶつかり合いだ。

そして、そのぶつかる内容についても「ままならない」ということになる。

二人の大切なもの

私は今すぐひとりの部屋でピアノを弾きたいと思った。私にしか鳴らせない音で、私にしか作れない曲を生み出したいと思った。

 

雪子の考え方は、

  • 遠回りや時間をかけた努力にも価値がある
  • 誰か一人を特別に感じる愛情が大切
  • 自分にしか出来ない事を探して生きる

といった『昔から大切にされてきた考え方』の象徴として描かれる。

対照的に薫の考え方は、

  • 無駄を省いて成果を上げるべき
  • 結婚相手はデータがそろっていれば良い
  • 誰がやっても同じことが出来るようにしたい

といった『合理性の追求』の象徴として描かれる。

作者の意図として、雪子の『昔から大切にされてきた考え方』に読者が同調するように作られているが、最終的に薫から『合理性の追求』を否定するなら、電車も、Suicaも使わないで生きろ。自分に被害が及ぶ時だけ『合理性の追求』を否定するなと強く批判される。

つまり『合理性の追求』に関しても一理あるなと納得させられる展開になっている。

大人と話していると、昔はこうだった、と言われているだけでも、まるで、「今が間違っている」「昔の方が正しかった」と主張されているように感じてしまう。みんな、いろんなことが不便だった自分たちのほうが偉いと思いたいんだろう

ちなみに僕は完全に雪子派だ。確かに合理性は大切で、時にそちらを優先するべきタイミングはあるが、合理性だけを追求するならアダルトビデオの前半のインタビューはなくても良いことになる

しかし、僕は逆にアダルトビデオの前半のインタビューのような無駄な時間があることで、より豊かなオナヌー生活を送れるという考え方を推奨しており、無駄や遠回りを楽しむことこそが、人生を豊かにするためのテクニックだと信じているからだ。

理詰めで感情移入させつつ、最後にガツンとそれをひっくり返す構成は若干『何者』に似ている気がする。どちらも朝井リョウ作品なので別に似ていてもいいのだが、笑。

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薫の矛盾

『合理性の追求』に関しては一理あるなと思うが、薫の行動と考え方の間には矛盾を感じている。作中で薫はこんなことを言う。

その場所じゃなきゃ手に入らないとか、その人じゃなきゃできないとか、そういうのって意味あるのかな。

まさに代替品があればいいという合理的な考え方だが、薫は幼いころから雪子との友人関係を続けており、自らの仕事の時間も削っているほど大切にしている。「友達でいてくれてありがとう」という言葉も残しているくらいだ。

それなのに

『雪子と友人関係にあること』

『合理性の追求』

とかけ離れているはずなのに、薫はその事については特に触れようとしない

また、雪子との友人関係がただのデータ収集だったとするならば、最後に声を荒げて自分の正当性を主張するはずがないのだ。つまり、薫自身も『合理性の追求』から、はずれた感情を持っているのに、それを自分自身で理解していない矛盾があるのだ。

そして、その薫の矛盾に僕はなんだか救われる気分になる。矛盾が温かく感じるのだ。

恋愛小説の要素

朝井作品では珍しく?雪子と渡邊君との間に素敵な恋愛表現が多かったのは、個人的に小さな驚きだった。作品の中で魅力的に感じた恋愛表現の部分を少し紹介してみたい。

まずは、雪子が渡邊君に対して愛情をハッキリと自覚する部分。

好き。

私は当たり前のようにそう思った。百円で買ったおみくじを開くように、お母さんが作ってくれたお弁当の蓋を開けるように、ほどけた靴ひもを結び、また歩き出すように、とても自然にそう思った。A判定とかC判定とか、降水確率八十パーセントとか、どれくらい、なんてわからないくらい、とにかく好きだと思った。

決して数値化できない感情の渦の中に飲み込まれていく心地よさが、制服と体の隙間に入り込んで、私のまんなかにある心から順番に、内臓や四肢の先の先までを満たしていく。

雪子が当たり前のように誰かを好きだと感じる表現がとても良かった。数値化できない概念としての“好き”という感覚が文字になるとこういった例えになるのも温かい。

また、雪子の考えに意識せずサラリと同調する渡邊君に対して、雪子が自然と触れたいと感じる場面。

「そんなふうにうまくいかないから、おもしろいんだろうしなー」

私は、渡邊君のいるほうに、手を伸ばした。今聞いた言葉を発した人に、触れたいと思った

好きという感情を、ただ手を伸ばして触れたいと表現をすることが、考えたのではなく思わずしてしまった行動のようで魅力的に感じた。

さらに、雪子が渡邊君に対して、お互いが違う人間なのですべてをわかり合うことが出来ない事実を、とても尊いものだと感じる文章も素晴らしかった。

自分自身だけでは把握できない部分を探り合うことができるのは、お互いが違う人間だから。そう思うと、私と渡邊君が別々の人間であることが、ものすごく素晴らしいことのように感じられる。
お互いのすべてを理解し合うことなんて一生できないことを、お互いのすべてを知り尽くしてしまうことなんて一生できないことを、奇跡のようにありがたく感じる。

人と人が違うこと。つまりままならないことを奇跡のようにありがたく感じる感覚も確かに存在しているという一文。あまり、ガッチリとした朝井リョウの恋愛表現を読むことがなかったが、思いのほかロマンチックな文章で楽しめた。

元ネタ『Fukase』説

あと、ちょっと元ネタが想像しやすいバンドが登場していることについても触れてみたい。作中で象徴的な存在として登場するバンド「Over」のメンバーが、インタビューでこんな発言をしている。

「今はもうパソコンがあれば曲は作れますし、ライブもできます。昔のやり方にしがみついていたって、先へ進むことはできないと思う」

この発言によって昔ながらの音楽ファンから「Over」は批判を浴びることになるのだが、これってどことなく「SEKAI NO OWARI(セカオワ)」Fukaseさんの『今時、まだギター使ってんの?』発言を彷彿とさせる内容だったので、なんとなく勝手に元ネタFukase説を信じてしまっている。
全文表示 | 「セカオワ」ギターボーカルFukaseの発言が波紋 他のバンドに「今時、まだギター使ってんの?」

これはモデルじゃないかなぁ…どうなんだろうか?

なんにせよ、コンピューター技術の発展がクリエイティブな仕事にも大きな変化を与える時代になっていることは間違いない。ちなみに僕は出来上がった曲が魅力的ならば作成方法は何でもいいし、批判も肯定も、全ては曲の出来栄えに反映されていれば他の問題はクソどうだっていい。

レンタル世界

この本は表題作である『ままならないから私とあなた』という中編作品と、この『レンタル世界』という短編の二作品が収録されている。せっかくなので短編の感想も少し。

どちらかといえば、こちらの作品の方が伝えたいことがダイレクトに伝わっている印象を受ける。

端的に言ってしまえば、レンタル友達という職業を媒体に、

「なんでも話せる間柄って素敵やん」

っていう事を主張する主人公と、

「いやいや、そんな関係性ありえないから」

とつっぱねる高松さんの話。

結局のところ、“なんでも話せる”という言葉の定義が曖昧なのだ。

話す必要のないことを言う必要はない。では話す必要とは何か?という自己判断を各自がそれぞれの調整をしていくのがこの世界の在り方なのだろう。

ただ、自分が“なんでも話せる”と信じることが出来る人間関係はとても素敵な関係性だと思う。だけど、その関係性を相手にも強要するから急に気持ち悪くなるのだろう。

ちなみに、ラストシーンで先輩が、

「戻さないと、自分を、って。コーハイが待ってるからって」

と、プレッシャーをかけられた先輩の言葉が染みる。相手に対してオープンに接することで、逆に相手を追い詰めることがあるというのは、結構、目から鱗な考え方かもしれない。

最後に

思いどおりにならず友人との価値観がズレてしまうことは現実にも起こりうる。そんな時に大切なのは、

“ままならなくても、大切な友人であること”

を決して忘れないことだと思う。そんなことを考えていたら、この作品のタイトルも、『ままならないから私とあなた』ではなく、

『ままならなくても私とあなた』

だったなら、もう少し優しい物語になっていたかもしれないなと、ふと、考えてしまった。

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