有川浩の小説は読みやすく、作品の世界に入りこみやすい。これは人に好かれる小説としてとても大切な要素の一つだと思う。シンプルに物語に興味を持ち、シンプルにその世界に入っていけるというのは、シンプルに小説として素晴らしい。
だが、作品の世界に入った後に現実に戻されてしまう時がある。作中に登場する人物たちが妙に理屈っぽく説明してきたり、こんなイケメンいないだろうなとツッコむことでたびたび現実に戻されてしまうような感覚。夢をみながらまどろんでいる時に、急に起こされるような感覚とでも言えばいいのか、そんな半覚醒状態で読まなければならない描写は有川作品には割と多くみられる。僕は有川浩が好きではあるが、そういった作品に関しては少しだけ苛立ちが勝る。
今日は感動して泣けるストーリーと、興ざめして現実に戻る描写が交互に訪れるこの『ストーリー・セラー』という作品のネタバレ感想を書いてみたいと思う。また、実話なのか創作なのかについても考察してみたいと思う。
ストーリー・セラー
あらすじ
小説家と、彼女を支える夫を襲ったあまりにも過酷な運命。極限の決断を求められた彼女は、今まで最高の読者でいてくれた夫のために、物語を紡ぎ続けた―。極上のラブ・ストーリー。「Story Seller」に発表された「Side:A」に、単行本のために書き下ろされた「Side:B」を加えた完全版。(引用:amazon)
元々は名作アンソロジー(数名の作家さんがそれぞれ短編を書いたものを寄せ集めた本)である『Story Seller』に発表された一編(Side:A)に、書き下ろされた新たな一篇(Side:B)を加えて一冊の本にしたのがこの『ストーリー・セラー』だ。
ちなみにストーリーセラーの意味とは、”物語を売る人”・・・つまり小説家という職業のことを指す。
話題に挙がる構成
この作品でよく話題に挙がるのは物語の構成だ。どこまでが現実でどこからが創作なのかが不明確に描かれているためにファンの間でも意見が分かれるところだろう。なので、一応、自分なりの解釈を書いておこうと思う。
まず『Side:A』は小説家の奥さんが奇病に侵されて亡くなる小説として描かれている。こちらは完全に創作物である。『Story Seller』に掲載されているのもこちらの作品で、思考すると寿命が縮まるという特殊な病気が登場することからも、創作物の香りが漂ってくる。
それに対して『Side:B』は4段階の構成になっている。これが作品の時系列をわかりにくくしているのでその構成について解説をしてみたい。とりあえずその4つを整理してみよう。
①の物語(P142~P143)
- 書き出し部分の見開きページで『Side:A』と対になる作品を描こうという話を夫と話している。
- 夫の意見で”夫が亡くなる物語”を書くことに決める。
②の物語(P144~P220)
- 社内恋愛から結婚をして、主人公の女性が専業小説家になる。
- 夫が事故に遭い、同時に身体から悪性の腫瘍が発見される。
- 夫が亡くなって物語が終わる。
③の物語(P222~P263)
- 女性小説家が書いた”夫が亡くなる物語(①と②)”を事故に遭った直後の病気の夫と読んでいる。
- グレーの縞模様に白靴下の猫を飼う。名前は「ねこ」。
- 夫が死んだら夫のことを小説に書くことを夫と約束をする。
- 夫の生死は不明だが、帰宅時に夫の姿はない。
④の物語(P264~P265)
- 編集者に『Side:A』と遂になる小説を送る。
- 編集者から”夫が亡くなる物語(③)”と女性小説家の近況が一致していることを指摘される。
簡易的にまとめるとこんな感じ。
まず①と②の物語について。①の(P143)と②の(P203)のそれぞれで、
面白そう。夫が死ぬという話は面白そう。
そんなことを考えていたから--
だから、これはバチが当たったのだ。
だから、あたしは今こんな話を聞いているのだ。
という同一の文章が入っていることから①の物語と②の物語が一つの話であることがわかる。
③の物語では、”夫が亡くなる物語①②”を夫婦で読んでいる。つまり③の物語の作中作として登場しているため、”夫が亡くなる物語①②”は創作物であることがわかる。
そして、④の物語では”夫が亡くなる物語③”を書き上げて『Side:A』と対になる小説として編集者に送っている。厳密に言うと”夫が亡くなる物語③”では直接的な死の描写はないが、③の終盤にて夫が死んだら夫のことを小説に書くと約束しているため、夫は亡くなっている。と読者に思わせる。
また、④の物語の作者の近況と③の物語をリンクさせているので限りなくフィクションに近い物語で夫もすでに亡くなっていると読者にミスリードさせている。しかし、最後の一文でその認識を再度ひっくり返す。
あたしは、この物語を売って逆夢を起こしに行くのだから。
読者は、夫はもう亡くなっていて③の物語がフィクションだと思っていたのに、いきなり逆夢を起こすという宣言を受けるので読み手は混乱してしまう。これらを整理をすると、”逆夢を起こす=夫が亡くならない未来を目指す”ということになるので、夫は病気だが、まだ亡くなってないことになる。なかなか凝った構成だと思う。
さらにこの一文によって、現実と物語の境界線を曖昧にする効果も生まれている。簡単に言ってしまえば、登場する女性小説家と有川浩本人が同一の存在ではなかろうかという疑惑を読者に持たせるわけだ。そして、その答えは明示されることがない。
つまりタイトルの『ストーリーセラー』とは、
- 病気の夫のために実体験を小説にして売っている作中の女性小説家という『ストーリーセラー』
- 全て創作物のストーリーを売っている有川浩という『ストーリーセラー』
という二重の意味があり、そのどちらの結末を選択するかは読者に委ねられている”リドルストーリー”になっている訳だ。ホント、よく出来ている。
僕個人の見解からすると、まぁ流石にこのままこの通りのノンフィクションなんてことはないと思うが、若干気になる点として、同じく有川作品で『旅猫リポート』という作品でも病気で亡くなる主人公が、飼っている猫の新しい飼い主を探すストーリーが描かれていることだ。
この『ストーリー・セラー』と合わせて考えると、現実である可能性が否定できないところがツラいところだ。もしそうならば、とても嫌な話だ。
つーか、読み返したけどすっごい分かりづらいな、この考察・・・。
理屈っぽい有川作品
僕は有川作品が好きで結構読んでいるのだが、どうも苦手な作品もある。この作品もそうなのだが、物語と構成はとても感動できるのに、登場人物たちの理屈っぽい言い回しが読んでいて面倒くさくなってしまう時があるのだ。今回もクリエイティブな仕事をしている登場人物(今回はド直球に作家)の意見と、有川浩本人の意見が重なって見えてしまって読んでいて辟易してしまう。
おそらく作者の伝えたい意見が、小説としてのバランスをぶち抜いて前面に出てきてしまうから、その理屈っぽさを感じてしまうのではないかと思う。理屈っぽいくらいならいいのだが、時に説教臭くて辟易してしまうこともあるので読むときには注意が必要だ。
こんなイケメンいない問題
また、有川作品を読んだときに毎回発生する大問題・・・”こんなイケメンいない問題”がこの作品でも見事に炸裂している。そしてこんなイケメンいねぇよってツッコむたびに現実に戻されてしまう。そのツッコミの度になんとなく気持ち悪い感覚を味わってしまうのだ。有川浩はイケメンを登場させない方がいいと思う。
最後に
構成の解説が長すぎてしまったが、この作品は読みやすく感情移入しやすい作品だと思う。だからこそという訳ではないが、有川さんにはぜひ『旅猫リポート』のような説教臭くなくて素直に感情移入できる作品をもっと書いてもらいたい。
と、一ファンとしては強く思うのだ。