青春ホロにが小説『ラジオラジオラジオ!』は友達が親友に変わる瞬間を読ませてくれる-加藤千恵

  • 2022年8月28日

朝井リョウ・加藤千恵のオールナイトニッポン0のリスナーだった僕は、お二人に非常に親近感を感じてしまっています。

そのラジオのコーナーから名付けられた加藤千恵さんの作品である『ラジオラジオラジオ!』(河出書房新社)も発売された当初から個人的な絶対に読む本リストに載っていたのですが、いよいよ読むタイミングと巡り合うことができました。

今回はこの作品のネタバレ感想を書いていきたいと思います。

ラジオラジオラジオ!

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あらすじ

カナはバイトで買ったパソコンでインターネットをするのが一番の楽しみの、地方都市に住む高校三年生。一刻も早く退屈なここを出て、東京の大学に行って、将来はテレビ局で働きたいと思っている。

「東京はここよりも、インターネットの中の世界に近い気がする。早く本物の場所に行きたい。」

ある日、カナは地元ラジオ局のパーソナリティー募集をフリーペーパーの広告で見つける。以前から声が好きだった友達のトモを誘って面接を受けたところ、ラジオのパーソナリティーとして、週に一回、「ラジオラジオラジオ! 」という番組を持つことになる。 だが進路決定が近づくにつれて、二人の未来への夢は次第にすれ違い始めて……せつなさ120%の青春小説。加藤千恵の新境地!

(出典:amazon)

元々は加藤さんが学生時代に北海道旭川市のFMりべーるというラジオ局で放送していた伝説的ラジオ番組『カトチエ・マイのラジオラジオラジオ』をモチーフに、オールナイトニッポンの人気コーナーになったことが発端で、同名の小説を書こうと思い立ったとの事です。

小説の中では『カナアンドトモのラジオラジオラジオ!』となっています。ただモチーフにしただけで特に実際のエピソードとは無関係なので、特にカトチエさんとヒラマイさんの間に変なわだかまりはないそうですよ笑。

特別になりたい

特別になりたい。みんなと同じことを考えて、みんなと同じような場所に行くのではなく、みんなが知らない音楽を聞いて、みんなが知らない本を読んで、みんなが知らない人と出会って、みんなとは違う形の感性を持ちたい。

主人公のカナはどこにでもいる女子高生だが、地方都市にありがちな、 “東京に漠然とした憧れを抱く女子高生” でもあります。

カナは東京に行くことが特別だと思っており、特別だからラジオをするし、特別だからラジオやネットで知り合った大人とも話します。高校生でラジオのパーソナリティーをやろうとする行動力は素晴らしいものがあるのですが、自分のラジオを聞いてほしくて、話を振りまいている姿が少しずつ痛々しく見えてきてしまいます

初めは可愛らしく行動的でポジティブな印象を持っていたカナだけど、徐々にその自分本位な性格に自分を投影しているのが辛くなってきてしまうんです。

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カナの成長物語

この作品の痛さ…イタさと言ってもいいかもしれませんが、そのイタさはカナの幼い感覚ではないかと思います。

幼い感覚――自分が感じたことが全てで、他人も同じだと思い込む感覚。

思春期の頃は誰もが持っていた感覚ですよね笑。トモがラジオを止めたがっているのにそれを引き留めること。アヤの失恋のことを、ラジオで実名で話してしまうこと。なつねえさんに話したい事だけ話して、相手に興味を持っていないこと。

その中でも、特になつねえさんの結婚の話を、何度も会っていたのに聞いていなかったことにショックを受けて、身勝手な自分に気が付きます。

もっとなつねえさんを知るためには、何を訊けばいいのだろう。彼氏について。結婚を決めた理由について。どこから訊ねればいいのだろう。微笑むなつねえさんからマグカップに視線を移し、わたしは質問を考える。

そこで初めて、カナの自分に向いていた視線が他人に向くようになります。

最終的にラジオを止めたがっているトモに自分の気持ちを伝え、フラットに話せるようになり、自分の想いとは違っても相手の想いを尊重できるようになるんです。それは精神的な成長で、カナが他人を受け入れる瞬間ともいえます。

カナの変化として、場を取り繕うための意見ではなく、相手の立場や気持ちを考えた上で自分の意見を伝えることが出来るようになったのではないでしょうか。

そして、細かい描写は描かれていませんでしたが、僕はその過程でカナとトモが本当の意味で親友になったような気がしています。この物語は “親友” と呼べる人間関係が生まれた瞬間が描かれているように思うのです

アヤちゃん

いつもアイプチで二重にしている目は、まぶたが相当に腫れて、完全な一重になっている。目元はほとんどメイクしていない一方で、ファンデーションを塗ったり眉毛を描いたりするのは怠っていないようだった。さすがだな、と変な感心をしてしまう。

カナの人間関係がどことなく醒めたような印象を受けるのもこの特徴の一つです。

というのも、恋愛に悩んでいるアヤとのことをカナはかなり冷静な目で見ているんです。上記のように彼氏にふられて泣きはらしたアヤを心配するのではなく、化粧の様子を見ていたりする。泣きはらした表情をわかりつつ、それでも冷静にメイクを気にしている描写は、カナとアヤの人間関係を示しているように感じます。

また、アヤの失恋話を実名を出してラジオで話してしまい、

「番組自体、自分ではおもしろいとか思ってるのかもしれないけど、超つまんないよ」

というようにアヤから酷い言葉を投げかけられて傷つきます。

でもそれは、言葉自体の暴力性に傷つけられただけで、アヤに言われたから傷ついているわけではないんですよね。カナはアヤとナガシに無視されつつも、

アヤちゃんと仲良くできないのが悲しいのではなく、高校三年生になってまで、こんなふうにトラブルを起こしている自分が情けないと思った。小学生みたいだ。

と、自分の行動に目線がいっています。そこはトモに対する接し方とは大きく線が引かれているように思えます。

また、名前の描写でカタカナで描かれている状態はどこか取り繕って接している状態として描いているように思えます。ラジオをやっているカタカナ表記でカナとトモ。ラジオ以外の時間は漢字表記で華菜と智香となり、その表記はそのままカナからの心の距離に感じられます。アヤとナガシは終始カタカナ表記だったので、たぶん人間としての距離感もその程度ということなのかもしれないですね

手渡す側

一つ、印象的なシーンとしてカナが自身のホームページにドラマの感想を書いていることについて、こんなことを書いています。

ドラマをただ受け取って見ている側から、テキストにしていくことで、反対に、自分が手渡す側になる気がする。

これはウチのブログでもドラマ感想を書いているということもあり、非常に共感してしまいます。確かにドラマ、映画、小説・マンガもそうだが、作者や監督などが生み出した作品があり、その感想をさらに世の中に発信していると、感情的には手渡す側に感覚が寄る時があります

もちろんそれは一時的な錯覚にすぎないのですが、感覚としては非常によくわかります。少し、というかかなりイタイ感覚なんですけどね笑。

ラジオ愛

そういえば、作中に登場する地元ラジオ局の海老沢さんという人物が登場します。彼は要所で優しくも要求はしっかりしてくれる信頼のおける人物として描かれています。その海老沢さんの言葉は、勝手にだけど作者・加藤千恵さんの想いを代弁させているような印象を受けました。

「ラジオはテレビの代用品じゃないし、劣っているわけでもない」

「違いはたくさんあるけど、中でも、何かあった人に深く寄り添えるのは、ラジオなんじゃないかなって思うんだよ」

「受けてとの距離が近い。ラジオにはラジオにしかできないことがある」

人との距離感が近いラジオをご自身でもやられていたので、こういった言葉を小説に入れたかったのかなと思います。そう考えると、カトチエさんが一番ラジオ愛を語っているシーンてこのシーンのような気がしますね。

青と赤の物語

この本には後半に『青と赤の物語』という作品が収録されています。少し苦々しい本編よりも実はこの作品の方が好みです

作品は物語というものが禁止された世界で青と呼ばれる少年赤と呼ばれる少女が出会い、多くを語らないまでも小さな信頼関係を築き上げ、2人で図書館に忍び込んで禁止されている物語を読むというお話。

物語が禁止された世界というと、イメージ的には有川浩『図書館戦争シリーズ』で図書隊が敗北してしまった世界なんかをイメージしてもらうとわかりやすいかもしれないですね。

文章自体は優しく柔らかい表現になっていますが、書かれている世界は “物語が禁止されている” という異常な世界。異常と言いましたが、表現の自由が規制されていくと、こういった世界に繋がるかもしれないという極端な例として描かれているように思えます。

物語がないってことは後世に気持ちを残すという事が出来ないわけですよね。図書館の地下に封印されていた物語を青と赤が初めて読んだ時に、自分と同じ思いや、自分よりつらい立場の人間がいることを初めて知ります。

つまり、

共感することで救われることがある。

自分は一人じゃないと教えてもらえる。

物語にはそういった力があることを教えてくれているように思えます。ものすごく素敵な作品なので、是非読んでみてくださいね。おすすめです。

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