小野不由美『残穢』を読んだ。
この『残穢』という作品は不思議な作品で、とんでもなく恐ろしいという評判を聞く一方で、想像していたよりも全然怖くなかったと、肩透かしをくらった人たちの意見も聞く。どうしてこんなことが起こるのだろうか?
ちなみに僕は非常に怖かったし、今でも少し怪異に引っ張られそうになっている。
今回は、作品のネタバレ感想を書いていく中で、人によっては理解されにくい『残穢』の恐ろしさとは、どういった部分から生まれているのかを考えてみたいと思う。
残穢
あらすじ
この家は、どこか可怪(おか)しい。転居したばかりの部屋で、何かが畳を擦る音が聞こえ、背後には気配が……。だから、人が居着かないのか。何の変哲もないマンションで起きる怪異現象を調べるうち、ある因縁が浮かび上がる。かつて、ここでむかえた最期とは。怨みを伴う死は「穢(けが)れ」となり、感染は拡大するというのだが──山本周五郎賞受賞、戦慄の傑作ドキュメンタリー・ホラー長編!引用:amazon
小説家である主人公は怪談話を読者から募集しており、寄せられた頼りの中からマンションの和室から畳を擦る音が聞こえる異変を知らせてくれた久保さんと知り合う。そして長い時間をかけ、共に少しずつその原因を探っていくストーリーになっている。
名前は登場しないし明言もされていないが、この主人公は明らかに作者である小野不由美さんである。恐ろしさのポイントの一つはこの作品がドキュメンタリーとして描かれている点だ。下手に恐怖を煽るような文章を書かず、あくまでも冷静で現実的。それでいて読者には残穢【残された穢れ(けがれ)】と不吉な出来事の関連性を強く印象づけていく。
また、調査を続けていき過去にさかのぼっていく中で、実在する小説家――『ダイナー』でおなじみ平山夢明氏、ドラマ化した『侠飯』の福澤徹三氏――なども登場してさらに作品の現実味を増していく。どこまでが小説で、どこまでがドキュメンタリーなのかがわからないのは、ホラー小説における最大の武器かもしれない。
ただ、中盤で微妙に中だるむ印象を感じたので、そのあたりはドキュメンタリーの強さから生まれる弊害だと思う。ちなみに小野さん曰くこの作品は、「実話とフィクションの間」との事だ。
わかりにくい恐怖
冒頭でも書いたが、この作品に恐怖を感じる人間とそうでない人間がいる。
おそらく『リング』における貞子や『呪怨』でいうところの佐伯伽椰子のような、わかりやすい恐怖の対象は存在しないことが原因ではないかと思う。
貞子嬢
引用:http://blog.goo.ne.jp/mh0914/e/a5e0949b17a6b5e6168a7f4c6d57c594
佐伯伽椰子ちゃん
引用:http://www.oricon.co.jp/news/2043932/photo/6/
うん、わかりやすく怖い!!
だから、この残穢という作品にはこういうキャッチーなバケモノは登場しないので、人によって「え?これで終わりなの?」と物足りなさを感じてしまう感情も理解できる。
しかし、この『残穢』の恐怖のベクトルはわかりやすさの方に向いていないだけで強烈だ。そもそも『残穢』とは過去に起きた不幸から生まれた穢れが土地、物品、人間に残り、それらの行く先々で、新たな穢れの連鎖を引き起こしていることを指している。つまり『残穢』に触れたら人間はどんどん感染していくのだ。
ここで気が付く人は気が付く。
関わった人たちに感染する怪異なのであれば、今実際にこの本を読んでいる自分はどうなんだろう、と。
どんなに怖い映画や小説を読んだとしても、作品から一歩離れれば他人の恐怖を一時的に疑似体験しているに過ぎない。ところがこの作品に関しては、気が付くと自らが当事者として巻き込まれている感覚になっていくのだ。
実際、僕もこの作品を読んでいる最中、仕事ではありえないような失敗をして大きなもめごとを抱え、滅多にひかない大きな風邪をひいてしまった。うまくいかない出来事がいくつか重なると、この作品の影響なのかなと頭の片隅で考えてしまったりする。
これは “呪い” のシステムと一緒だ。
呪いとは
呪いという存在の有無については特に語るべきことはないので、ここで言う呪いとは、論理的思考に基づいた呪いという存在についての事を指す。
「アナタにこれから不幸なことが訪れるでしょう」
例えば、貴方がこんな呪いの言葉を浴びせられたとする。
そのあと、どんなに小さな事であろうと、嫌なことがアナタに降りかかってきたら、どこかでその呪いの言葉のせいかもしれないと、頭の中で関連付けてしまう。その嫌なことは、体調不良だったとしてもそうだし、家族の問題事だったとしても同じだ。心の95%は呪いなんて信用していなかったとしても、残りの5%で「もしかしたら…」と思わせてしまう時限爆弾のような存在こそが“呪い”ということになる。
『残穢』という作品に触れてしまったら、読者は『残穢』とかかわっていることになる。つまりこの作品は、読者に『残穢』という“呪い”を与えていることになり、そこに気が付いた人間は、作品の中だけではなく、自分の人生に直接かかわる恐怖を覚えることになるのだ。
この作品――『残穢』の恐怖とは、
当事者として『残穢』を味わうことになる恐怖なのだ。
最後に
僕自身は、呪いや幽霊などの怪奇現象については否定派の立ち位置を取っている。まったく信じていないといっていい。ただ、どうにも、この本だけは例外に感じている。
巻末の解説で中島氏も書いていたが、この本を持っていると作品の中から生まれる不穏な何かに自分自身が汚染されていくような感覚を覚えてしまう。信じてはいないものの、出来るだけ早くこの本を処分したい衝動に駆られているのも事実なのだ。
少なくともこの『残穢』という本にはその衝動の源となりうるエネルギーが込められていることは間違いない。