東野圭吾さんの作品を記事に取り上げるのは少し勇気がいる。
何故なら本を読む方の多くはその存在をすでに知っており、どの作品をどのようなテーマで掘り下げても『今更感』がぬぐえないからだ。今まで避けてきたのはその今更感に負けていたからだ。まぁただの偏見なのだが。
しかし、今日久々に本棚に置いたあった東野作品を連続で流し読みをしていたら、東野圭吾作品の中から一冊を選んで感想と紹介を書いてみたいという欲求に駆られてしまった。さらに同時期に出版された東野圭吾作品のお気に入りも一緒に紹介できたらと思う。完全に思い付きでキーボードを叩いているが、少しお付き合いしてもらいたい。
宿命
あらすじ
高校時代の初恋の女性と心ならずも別れなければならなかった男は、苦闘の青春を過ごした後、警察官となった。男の前に10年ぶりに現れたのは学生時代のライバルだった男で、奇しくも初恋の女の夫となっていた。刑事と容疑者、幼なじみの2人が宿命の対決を果すとき、余りにも皮肉で感動的な結末が用意される。
(引用:amazon)
デビュー直後の学園推理物の作家から脱却した1990年頃の東野圭吾作品。
幼いころからライバル視していた相手が初恋の女性の旦那になっているというまさかのNTR系の話になっており、さらに刑事と事件の容疑者という立場がそれぞれの立場と感情をゴチャゴチャにしている。
この作品以前の作品は比較的事件のトリックなどに重点が置かれていたが、この作品からは本格ミステリーというよりも、人の感情に寄り添ったミステリーの様相を呈してきた印象がある。ある意味では脱皮したような作品になっている印象だ。
感想
男が二人、女が一人登場するハードボイルド調の作品の場合、非常に高確率で主人公以外の男と女が寝ることが多い気がする。ネトラレる事は別にハードボイルドじゃない気がするが何故なのだろうか。
それはそうと、“トリック”や“論理的な思考”だけではなく、“人間関係”の面白さにも重点を置いたこの作品は、今後の東野圭吾作品の主軸となる作風なのではないかと思う。
特に主人公の勇作と晃彦が“宿命”のライバルだったという意味合いのタイトルに見せかけて、実は二人が生き別れた双子だったという“宿命”でしたというラストは、読み終わった後にタイトルの意味が解るという東野作品の未来の特徴が生まれた瞬間のように思える。
ただ、作者は最後の一行、
勇作は最後にひとつ質問をする。
「最後にもう一つ訊いていいかな」
「何だい」
「先に生まれたのはどっちだ?」
すると暗闇の中で晃彦は小さく笑い、
「君の方だ」と、少しおどけた声を送ってきた。
(371頁)
をとても重要なセリフとして捉えているようだが、読んだ時にそこまでのインパクトはなかったので何故そこに拘ったのかは僕には理解できなかった。別に兄だろうが弟だろうが、さほどの違いはなかろうもん。
同時期の東野圭吾作品
この『宿命』が発売されて以降(2005年頃まで)の東野圭吾作品にはどのようなおすすめ作品があるのか見ていこう。ちなみにこの時期の東野圭吾さんのことを、僕は勝手に【東野圭吾第二形態】と呼んでいる。フリーザと一緒で第二形態と最終形態が一番熱いと思う。
まずは同年である1990年の作品『仮面山荘殺人事件』と1992年の作品『ある閉ざされた雪の山荘で』の二作品。どちらも“クローズドサークル”として描かれているが、シンプルな展開のCLではなく一筋縄ではいかない素晴らしい出来の作品になっている。20年以上前の作品だが今読んでも面白さは色あせない。
1996年にリドルストーリーの傑作『どちらかが彼女を殺した』がある(厳密にいうとリドルストーリーにみせた論理的な推理小説だが)。最後に正解が書かれた袋とじ解説があり、ペーパーナイフでカットしている時のわくわく感が楽しめる。加賀恭一郎シリーズでもある。
1998年の作品『秘密』では表現しにくい親子と夫婦の狭間の感情を描いており、日本だけではなくフランスでも映画化されている作品。日本では広末涼子が主演してアカデミー賞もとっていた。
1999年の傑作『白夜行』。非常に好きな作品なので独書評を書きたいと思っている作品。当時は厚みのある本だなぁと感じながら読み始めたら面白すぎて一気に読んでしまった思い出がある。主人公二人の見えない関わり合いを想像して読むことで2倍、3倍に楽しめるところも魅力だ。
2002年の作品『ゲームの名は誘拐』は当時の技術をフル活用したような作品なので、流石に少し古さを感じざるを得ないが、スピーディーな物語の展開と誘拐をゲームと捉えて突き進む主人公たちのやり取りはスリリングで面白い。果たして、この危険なゲームの本当の勝者は誰なのか?
2005年には個人的には東野圭吾の最高傑作だと思っている『容疑者Xの献身』が発売されている。この作品は大好きなので、そのうち(今更だけど笑)単独の書評を書く予定にしているので割愛。ちなみに映画の出来も素晴らしかった。
これだけ長い期間スマッシュヒットを続けることが出来るの何故だろうか?しかもマンネリを感じさせない作品を連続で書き上げている様は、ある種異常と言ってもいいのではないだろうか。
最後に
読書好きの中では、東野圭吾の作品を「おもしろいよ」というのは、少し恥ずかしいと感じられる方もいる。そしてその感情は少し理解できる。
きっと安定して高水準の作品を生み出している事と同時に、良くも悪くも読みやすい作品を書いているからこそ、重度の活字マニアからすると“おもしろいけど物足りない”と感じてしまうのだろう。
しかし、世間の活字離れが進んでいる昨今。これだけ面白くて読みやすい作品を世の中に送り出すことは、活字の世界に多くの人を運んできてくれるノアの方舟のような役割を担っていると言ってもいいのかもしれない。これからも素晴らしい作品を世の中に生み出していってほしいものだ。