僕は作家本人の人柄を好きになってしまうと作品も好意的に捉えてしまうことがあるので、なるべく作家と作品は別物として読むように気を付けているんです。
だから、朝井リョウの作品『何者』を読んだ時に感じた感想。
「これは素晴らしい作品を読み終えてしまった」
という感覚は、きっと作家の魅力とは無関係で作品に魅力があったに違いないと確信しています。
朝井リョウの作品はどうも心をえぐられる事が多いので心に準備をしつつ読むことが多いのですが、この作品は何故か油断しつつ読んでしまったので、最後にガッツリ心をえぐられてしまいました。
エグられついでにテンションが上がってしまったので、今回はその『何者』のネタバレ感想を書いていきたいと思います。
何者
あらすじ
「あんた、本当は私のこと笑ってるんでしょ」就活の情報交換をきっかけに集まった、拓人、光太郎、瑞月、理香、隆良。学生団体のリーダー、海外ボランティア、手作りの名刺……自分を生き抜くために必要なことは、何なのか。この世界を組み変える力は、どこから生まれ来るのか。影を宿しながら光に向いて進む、就活大学生の自意識をリアルにあぶりだす、書下ろし長編小説。
(出典:amazon)
就職活動の為の情報共有基地として理香と隆良の同棲している部屋に集まる大学生5人が、特別な”何者”かに見られたい願望と現実の自分との狭間で揺られながらともに時間を過ごしていくのですが、その願望は基本的にTwitterやFacebook、Instagramを経由して外へ外へと発信されていきます。
ルームシェアをする若者の空気感や物語に隠された秘密などは吉田修一の名作『パレード』に似た雰囲気を感じますが、印象的には『パレード』をさらに現代的に研ぎ澄ませたイメージでした。
この作品を面白くしている点は、そういったSNSを利用して外へ向かう願望と、内側に収めておけばいいという冷静な観察者としての視点が混ざり合い、作者の意図として、読者が冷静な観察者の視点(主人公の視点でもある)から物語を読んでいくことで、最後の大きなしっぺ返しを受けるという展開の巧妙さにあるのではないかと思います。
わかりにくいですね。下でもう少し細かく書いてみます、汗。
「拓人 = 読者」
”自分はこんなにもがんばってきたと、自分はこんなにも愛されていると、そう思われるために思い出を外へと発信する。”
『何者』では、主人公・拓人の考え方 = 読者からみた考え方になるように、少しずつ巧妙に誘導されれいきます。
SNSに対しての意見。例えば “仲間内で共有していればいい事を外へ発信するイタさ” などについて、読者が拓人の意見にそれとなく賛同するように物語が進みます。そのまま読者は、拓人に共感しながら周囲の人間たちを共に観察し判断していきます。しかし――
最終的に、行動を起こさず一歩も踏み出さない拓人の観察者としてのイタさを、読者も共に突き付けられるという、どんでん返しが待っているんです。僕のような捻くれた読者には耳が痛い内容です笑。そして、その共感からのしっぺ返しこそが作者・朝井リョウが仕掛けたトラップなのでしょうね。
初めて読んだ時には、拓人が理香になじられる場面で、自分も一緒になじられるような感覚を味わうので、本当に興奮して心をえぐられるような感覚に陥ってしまった。朝井リョウの手のひらで踊らされているようでとても悔しいですね笑。
どうして自分だけが
“自分たちの周りに漂うどこか痛々しいものを、どうして自分だけが見ているのだろう、と思った。”
作中でなぜ拓人の目線に読者が重なってくるのか?を考えると、『何者』の物語には読者にとって、多くの“共感”が散りばめられていることに気が付く。主人公の拓人と共にその共感を味わっていくから読者は拓人に近づいていくのではないでしょうか。
たとえば、上に書かれているように “周囲にいるイタい行動をしている奴” を見つけた時に、そのイタさを自分だけが見えているように感じてしまう感覚は一つの“共感”ポイントだと思います。
みなさんも自分だけが冷静、自分だけがわかっている感覚でいる事ってありませんか?でもそれって多くの場合は勘違いで、周りの人たちはわかっているけど、ただ顔にも出さずに許容しているだけだったりするんですよ。
本当は、拓人のような物事を斜めから見る視点なんて持っていたくないですよね。僕はこの作品に共感できないような、真っ直ぐな瞳で他人と関われる人生を送りたかったです笑。
想像力の有無?
他にも、SNSをやっていれば一度は目にしたことがあるようなイタい行動を外へ発信している人たちが登場していきます。まだ何も成し遂げていない、“何者” にもなっていないのに、その途中経過を発表していること。つまりセルフプロデュースとしての発信をしている人たちです。
彼らのことを主人公の拓人はこんなふうに思って苛立ちます。
“誰にも伝えなくてもいい段階のことを、この世で一番熱い言葉をかき集めて、世界中に伝えようとしている。自分にしかできない表現。舞台は無限。甘い蜜でコーティングをしたような言葉を使って、他人に、理想の自分を想像してもらおうとしている”
何も成し遂げていないのに、その途中経過を大げさにばら撒いて、自己プロデュースに使っている連中。そんな彼らのことを拓人は “想像力のないやつら” と切り捨てます。
“想像力が足りない人ほど、他人に想像力を求める。他の人間とは違う自分を、誰かに想像してほしくてたまらないのだ”
想像力が足りている人間は自己で完結できる。想像力がないから他人に自分という存在を想像してもらおうとする。拓人はそう考えるのです。ただ、その考え方には不足している側面があります。
それは “実際に行動に起こしているか?” という側面です。
挑戦
実際、何者にもなっていない経過をアピールする奴や経験をこれ見よがしに並べる奴などのSNSを見れば、僕もイタさを感じるし否定的な感情も持っていました。
しかし、サワ先輩の意見で隆良とギンジは全然違うとハッキリ言われてから、その違いを僕なりに考えたのですが、それは恐らく挑戦し、実際に行動に起こしているかどうかではないでしょうか。
口だけで語っている隆良(バカ)と、挑戦していて語っているギンジ。
サワ先輩はその違いをわかっているのですが、拓人は両者を混合して否定してしまいます。是非、その考えを正すサワ先輩の言葉を読んでもらいたいです。サワ先輩は色々な人に対して平等で公平だから、とても素敵な先輩なんですよね。
心に響くほかの場面
ちなみに、再度しっかり読んでもらいたいシーンは他にもあります。瑞月が隆良にガツンとかます場面は衝撃を受けます。小さい場面でも素晴らしい文章があるので、二つだけ紹介します。
・就職のつらさをしっかりと分析しているシーン。
“就活がつらいものだと言われる理由は、ふたつあるように思う。ひとつはもちろん、試験に落ち続けること。単純に、誰かから拒絶される体験を何度も繰り返すというのは、つらい。そしてもうひとつは、そんなにたいしたものではない自分を、たいしたもののように話し続けなくてはならないことだ。”
これは、本当にそうですよね。たぶんこれは朝井さん本人も感じていたことなのではないかと思うのですが、一種の詐欺行為を働いているような罪悪感が生まれてきそうですよね。この分析は流石です。
・瑞月さんが家庭のことを考えて就職を頑張ると宣言したことに対しての拓人の言葉。
“本当の「がんばる」は、インターネットやSNS上のどこにも転がっていない。すぐに止まってしまう各駅停車の中で、寒すぎる二月の強すぎる暖房の中で、ぽろんと転がり落ちるものだ。”
僕はこの言葉が大好きで、「がんばる」ことの本質を突いている気がします。外へ発信するセルフプロデュースの「がんばる」ではなく、自分の内側へ向けた「がんばる」。その後の電車の表現と合わせて素晴らしいと感じてしまいました。
他にも挙げればキリがないほど、バチンバチン心にぶつかってくるフレーズばかりで、当然、最後の理香との会話は名シーンです。黙って観察していればどんな時でも自分は傷つかずに済みます。それでも最後には理香にその観察者の壁を壊されます。
でも拓人が観察者としてのイタさを指摘されたことで、自分の事は信じられなくなったとしても、光太郎のようないい奴が主人公の事を応援してくれるのだから、拓人は間違いなくいい奴なのではないかと思うんですけどね。
アンソロジー『この部屋で君と』
ちなみに『この部屋で君と』という題名のアンソロジーが新潮文庫から発売されています。参加している作家さんは、
- 朝井 リョウ
- 越谷 オサム
- 吉川 トリコ
- 坂木 司
- 似鳥 鶏
- 徳永 圭
- 飛鳥井 千砂
- 三上 延
という僕の好きな作家さんだらけでテンションが上がる一冊なのですが、その中で朝井リョウさんが書かれている『それでは二人組を作ってください』ではこの『何者』の登場人物である、理香と隆良の出会いの話が描かれています。
内容的には…まぁあまり気分のいい話ではないのですが、「へ~理香は隆良のことを意外とそんなふうに思っていたんだな」と、嫌な視点で少しだけニヤニヤしてしまう感情が描かれているので、興味がある方は是非読んでみてはいかがでしょうか。
最後に
SNSの発展、というよりそういったSNSが普通に存在する環境がもはや日常になっている現在では、外に対して意見を発信していくことはもはや当たり前の事なのかもしれません。
だからこそ、その発信される言葉の意味を考えて、切り捨てられた言葉たちを想像していく必要があるのかもしれませんね。
そのうちスピンオフ作品の『何様』の感想も書きたいと思います。