熱く燃え上がるような青春を経験した人は、実は結構少ないのではないだろうか。
何か一つのスポーツに挑戦したり、何か一つの好きなことに没頭したり、ティーンエイジの大切な時間をその一つに捧げたことがある人にとっては、その挑戦や没頭こそを青春と感じるのではないかと思う。
しかし、振り返ってみたら「ああ、あの日は確かに青春だったな」なんて懐かしめる出来事も青春と呼ばれてもいいと思う。今日はそんな熱い青春ではないが、田舎でサラリと過ぎる夏の日の理系青春冒険物語の感想を書ければと思う。
いつもどおり、重大なネタバレはあまりしない。
カクレカラクリ
作者:森博嗣
僕が敬愛する森博嗣(もり・ひろし)先生。1957年愛知県生まれ。某国立大学工学部助教授職の傍ら1996年に小説家デビュー。元々コンクリートの流動性に関する研究者だったはず。しかし、趣味の時間を確保する為に小説家になる(天才すぎる笑)。デビュー作である『すべてがFになる』があまりにも素晴らしかった為「メフィスト賞」が作られたことは有名な話だ。
受賞作『すべてがFになる』から始まる「S&Mシリーズ(主人公の犀川先生と萌絵のイニシャル)」。『黒猫の三角』から始まる「Vシリーズ」。真賀田四季博士が主人公の「四季シリーズ」などシリーズものの人気作は尽きない。また、単体作品も多くエッセイや啓発本?も出しておりおすすめ本だらけ、名言も多く非常に幅広い分野で活躍されている。
同氏の仕事に関する考え方はシンプルで共感できるので、興味がある方は『「やりがいのある仕事」という幻想』という著書を読んでもらいたい。天才等という言葉を安直に使いたくないのだが、森博嗣先生は紛れもなく社会に適合した天才だと僕は思っている。
ストーリー
廃墟マニアの大学生、郡司と栗城は憧れの真知花梨とともに彼女の故郷である鈴鳴村を訪れる。鈴鳴村では明治時代に作られた絡繰りが120年後の今年、動き出すという奇妙な伝説がある。伝説に魅かれた二人は花梨と妹の玲奈の協力のもと村のどこかに隠された『カクレカラクリ』を探そうとするのだが…。村の名家同士の確執、カクレカラクリへの論理的アプローチなど見どころの多い理系青春ミステリー。果たして大学生たちは120年前のカクレカラクリを見つけることはできるのか?
特別に金銀財宝を手に入れる大冒険ではないし、言ってしまえば人も死なない。怪我もしない。鈴鳴村を訪れたのも、カクレカラクリを探そうと訪れた訳でもない。そういうなんとなく緩い空気感が、逆にこの物語を爽やかにしているのではないかと思っている。
郡司と栗城はカクレカラクリに絶対的に固執しているわけではなく、物語中でも趣味の廃墟めぐりや夏の爽やかな雰囲気を楽しんだりして、結構ユルユルっと過ごしているのだ。コーラをのんびりと飲んでいたりもするので、読んでいて過度なストレスがたまらないのが良い。
登場人物もゆるめ
主人公の二人・郡司朋成(以下、郡司)と栗城洋輔(以下、栗城)は廃墟マニアだ。そして直接的な記述はないが、大学生にしておそらく童貞だ。どちらかというと、教室の後ろで男子三人で良くわからない廃墟系のマニアックな雑誌を見ながら盛り上がっているスクールカースト4軍の男子的な奴ら。
物語の冒頭でヒロイン役である真知花梨(以下、花梨)を鈴鳴村に誘う時もロクな誘い方じゃない笑。だからこそという訳じゃないがなんとなく主人公の二人に共感を持ってしまう男性読者も多いのではないかと思う。ちなみにその花梨も美女設定であるが、お嬢様的なのにメカ好きだったりする微妙に変わった女の子なので逆に郡司と栗城と気が合いそうな雰囲気もある。
花梨の妹の玲奈、そのボーイフレンドにして確執のある家柄の太一。二人の高校の教師である磯貝先生など、登場してくる人間は皆なんとなく優しくて少し変わっていて、でも普通の人たちだったりする。そういった、強烈な個性を出さないでゆるーく物語が展開していくのもノンストレスで楽しかったりする。
激しい起承転結はない
この作品にはそこまで激しい起承転結がない。森作品的とでもいうべきなのかもしれないが。特に「転」の部分。普通、過疎化の激しい村に隠れた財宝の伝説があったら、松明を持った村人たちに追いかけられるとか、沼に頭からぶっ刺さって足がピーンと出てるとか、そんな横溝正史的展開があるのが普通?だと思うのだが、森作品にはそれがない。
もちろん、全編にわたって張りめぐらされた伏線がしっかりと回収されていたり、ドキドキワクワクの「結」があり、美しく物語が収束していくのだが、そこに至るまでは、極めて現実的にカクレカラクリについて考え、極めて現実的に「転」が起きる。
その現実的という部分こそこの作品の良いところだと思っている。
現実的かつ論理的アプローチ
実際に120年前のカラクリが村のどこかに隠されているとしたらどうやって見つけ出そうとするだろうか?
主人公の郡司はまず、明治維新から間もない頃に作られ、120年後まで確保できる「動力」が何かを考える。電気やガスなどの現在の科学で動力となりうるものは当時は使えない。天才と呼ばれた絡繰り師が、風力・水力などの不確定な動力を使うのだろうか?もし作動しなかった場合、どうするのだろうか?
などなど、非常に現実的かつ論理的にカクレカラクリへアプローチしていくので、自分自身も一緒に探しているような感覚で楽しめるのも魅力の一つだ。
ドラマ化してるが・・・
2006年9月13日、TBS系列でドラマになっているが、とんでもなく不評だったようだ。
調べると「でしょうね」と頷きたくなる改悪仕様だらけなので、納得だ。加藤成亮が演じた主人公の名字が郡司から阿部に変わっていたり、栗山千明が演じるヒロインの真知果梨も花山果梨という名前に変わっており、物語における名前の伏線もない。主人公の2人とも廃墟マニアでなかったり、玲奈と太一はバイクを乗り回さない。etc・・・。
全然違うじゃないか。なんか空気管が壊れてるんだろうな。作品見てないから偉そうなこと言えないのだが笑。ちなみに天才絡繰り師・磯貝機九郎をSUGIZOが演じてるのが一番の謎だ。
『「やりがいのある仕事」という幻想』
小説ではないが森博嗣の作品で読んでもらいたいのはこの『「やりがいのある仕事」という幻想』という本だ。
慣例や常識にズバリとメスを入れ、「仕事」ひいては「生きる」事について森氏の意見が書かれている。
実に理論的で剥き出しで理想的で力強い。誰もが森先生の様に強いわけではないし、成功できるわけではないが、自らが当たり前に感じている常識の枠を壊すきっかけになりうる本ではないかと思う。過度に期待せず、行動を起こし、自分と向き合い大切なものを見極める。
結局のところ、自分の人生なんだからしっかりと自己分析して大切なものを天秤にかけろという事を教えてくれる本だ。
最後に
森作品は全て目を通したいのだが、完結してない「gシリーズ」と「Xシリーズ」は全巻発売されるのを待っている状態なので、発売されている文庫は全て本棚に並んでいるにも関わらずまだ読んでいない。作品が面白ければ面白いほど待っている時間がもどかしいので今は我慢だ。
新刊がいつ出るのだろうか。全巻そろうのがいまから待ち遠しい。