村田沙耶香の作品に一度ハマってしまうと、その世界から抜け出すために大変な苦労をすることになる。
村田作品は読めば読むほど読み手の常識を揺さぶってくる。自分が常識だと思っていることが、普遍的な常識ではないことに気づかされて、現在の社会の常識と感覚がずれていってしまうことが本当に多い。いわゆる普通の常識というものを疑って、日常生活でいちいち自分の常識が間違っていないか考えるようになってしまうというわけだ。この感覚から脱却するのが意外と難しい。
そんな村田作品の中で、僕が特に“性に関する感覚の違い”を感じる作品がこちら『ギンイロノウタ』だ。今回は性に対する常識をひっくり返すこの作品のネタバレ感想を書いていきたいと思う。
ギンイロノウタ
あらすじ
極端に臆病な幼い有里の初恋の相手は、文房具屋で買った銀のステッキだった。アニメの魔法使いみたいに杖をひと振り、押入れの暗闇に銀の星がきらめき、無数の目玉が少女を秘密の快楽へ誘う。クラスメイトにステッキが汚され、有里が憎しみの化け物と化すまでは……。少女の孤独に巣くう怪物を描く表題作と、殺意と恋愛でつむぐ女子大生の物語「ひかりのあしおと」。衝撃の2編。(amazon)
感想
一冊の中に『ひかりのあしおと』と『ギンイロノウタ』の2作品が収録されているので、まずは『ひかりのあしおと』についての感想。
この作品は孤独な少女が自身も気が付かない間に怪物的な心に侵されていく作品。2作品共に言えることだが、母親の教育が特殊でそこから誕生する怪物的な思考がおぞましく、グロテスクでエロティックな表現に溢れている。もちろん、グロさやエロスを目的とした文章ではないのでそこが最重要なわけではないのだが、そういった要素はこの作品において外すことが出来ないファクターだ。
一番エロスを感じたのは、別に付き合っていない同級生の蛍を家に連れてきたときに、彼を横に寝かせてバニラアイスを彼の脚や胸や頭に乗せて身動きが取れないようにしてから愛撫をする場面。
私の手が彼のジーンズにかかると、蛍は少し体をこわばらせて、僅かに抵抗を見せました。
「だめだよ、蛍、ゲームなんだから。アイスを倒したら負けだよ」
私は左手で蛍の腹部を押さえつけ、蛍のジーンズの中に右手を差し込みました。
えっろぉ…
もはやフランス書院のようだが、この後に溶けたバニラアイスにまみれながら抱き合っていく様子はゾクゾクする。
僕は表題作よりもこの『ひかりのあしおと』の方が好きなのだが、その理由としてズレた性に対する感覚の表現が楽しめたからだ。細かく好きだった表現は後述したいと思う。もちろん後半にはエロスだけではなくグロテスクさについても突き進んでいくのだがそちらの部分もパンチが効いていて違った意味でのゾクゾクも味わえる。
続いて『ギンイロノウタ』について。
こちらは羽化できないサナギのような存在であることを突き付けられ続ける女の子が登場する。変化に対する渇望から銀色のステッキ(教師が使う指し棒)に恋をして、押入の中でひたすら自慰行為を繰り返しながら生きる少女の話。暗い印象の話だったが、グイグイ引き込まれていき、後半では文章を読むことで時空がゆがむような気持ちの悪い感覚を味わえる作品。
相変わらずクレイジーな村田沙耶香の作り出す世界の中でも男から見られたいがために、チラシに載っている男性の目玉の部分だけを切り取って、押入の天井にビッシリ貼り付けまくる場面は流石に鳥肌が立ってしまった。血や内臓が出ているわけではないのに、感覚的なグロテスクさを感じる部分だ。
また、自分の感覚を押し付けてくるクソ担任教師から極度のストレスを感じ続ける主人公が、そのストレスのやり場として「自分にも相手を殺す権利がある」ということに気がついて心が軽くなっていく心理描写がある。
さらにそのクソ担任教師を想像の中で相手を何度も何度も何度も何度も殺すことによって、心の均衡を保っている主人公の感覚が、わかるとは言いがたいが、共感出来てしまう部分がある自分自身に対して小さな恐怖を感じてしまった。
解説での藤田香織さんが書いている文章を引用させてもらうと、
気がつけばまた、食い入るように文章を追いかけ、その世界に引きずり込まれてしまう。怖い。でも知りたい。怖い。だけど見たい。抗いきれないのは作者の中に棲む「狂気」が、ともすれば自分のなかにもあるかもしれない、と思わされるからです。
といった部分がまさに村田作品の魅力の根幹ではないだろうか。自分自身の中に村田沙耶香の描く「狂気」があるようで恐ろしくなってしまうのだ。
村田表現
中学校二年生のとき、塾の講師と初めてレンアイ関係になったときは、うれしさでいっぱいでした。誰にも感情を表現したことがない私の、初めての排水溝だったのです。(本文より)
村田作品を読んでるなぁと感じるのはこういう表現を見つけた時だ。まず恋愛をカタカナで“レンアイ”と表現している点。恋愛という感情・行為について知識はあるが、それを実感として感じることが出来ていない主人公の感覚がありありと伝わってくる。
さらに自らの感情を伝えることができる関係性のことを“排水溝”と表現している点もいい。高まる感情(性欲?)が内側に溜まって溜まって溜まって仕方ない生き方をしており、文字通りそれらを吐き捨てる為の相手が恋人という役割だと認識している点もクレイジーだ。
上記の内容も『ひかりのあしおと』の一文なのだが、他にも序盤で付き合っていた恋人である隆志さんと主人公が車の中で性行為をする描写がある。
隆志さんは主人公に対して毎回必ず同じ手順で愛撫をしてくる。普通の女性は同じ手順であることを嫌がると思うのだが、この主人公はそれを嬉しく思っていたりする。
二人力をあわせて白濁液を出すのが私たちに課せられている義務であり、いかに最小限の労力でそれを成すか、という一致した目的のもと、私達はお互いにベストを尽くしているのでした。
変な好奇心を出さずにきちんとその任務にのみ徹してくれる隆志さんは、私にとって今までに出会った中で最高のパートナーでした。(本文より)
性行為をより効率的に行うという冷めているのか、逆にプロフェッショナルなのかわからない考えが独特で、村田沙耶香の文章を読んでるなぁと嬉しくなるのはこういう文章を読んでいる時なのだ。
最後に
性行為に関する作品といえば、『殺人出産』に収録されている『トリプル』という作品も、かなり感覚の違いを感じる作品だ。3人で性行為を行うことが常識になりつつある世界を描いたものなので、独特の世界観とエロスが広がっている。面白くてかなり没頭して読んだ記憶がある。
そして今回も村田沙耶香の世界にハマってしまった。
常識だと思っていたものが崩れ去り、新しく構築される空想の世界の常識に飲まれてしまいそうだ。自分の常識がグラグラになって、謎めいた行動で社会に迷惑をかけないように気を付けなければいけない。
でも性行為は独創性を持って臨むべきだと思う。