下町の錬金術師と呼ばれた寺山修司の名言を紹介。
▼寺山修司
1935年12月10日に生まれ、様々な活動を行いメディアの寵児とも呼ばれました。行った活動を軽くあげてみても映画韓国、詩人、劇作家、歌人、演出家、小説家、作詞家、脚本家、俳人、評論家、俳優、写真家、馬主など数え切れない活動を行ってい、47歳という若さでこの世を去りました。
▼寺山修司の名言
僕の職業は寺山修司です
夢は現実の欠落を埋めあわせるためにではなく、現実の水先案内人としてあるべきだ。
引き算がさみしいのは だんだん数が減ってゆくことだよ
なみだは人間の作るいちばん小さな海です。
石を投げれば人間に当たる
百年たったら帰っておいで百年たてばその意味わかる
思い出に過ぎない言葉が、ときに世界と釣り合うことさえあることを示す
うしろ手に春の嵐のドアとざし青年は已にけだものくさき
人間の体ってのは「言葉の容れ物」にすぎないし、出し入れ自由である。
世界は、これほど謎にみちあふれているのに、探偵小説家たちが、また新しい謎を作り出そうとするのはなぜだろうか?
偶然はつねに美しい。
人はだれでも「帰りたい」と思いながら、しかし「帰る」ということが想像力のなかの出来事でしかないことを知るようになるのである。
ぼくは政治主義がきらいで、革命が好きである。
夢は現実の欠落を埋めあわせるためにではなく、現実の水先案内人としてあるべきだ。
わたしの存在そのものが質問なのだ。その答えを知りたくて生きてるんだ。
さよならだけが人生。ならばまたくる春はなんだろう。
振り向くな、振り向くな。後には夢がない。
愛されることには失敗したけど、愛することなら、うまくゆくかも知れない。そう、きっと素晴らしい泡になれるでしょう
出会いを期待する心とは、いわば幸福をさがす心のことなのだ。
明日何が起こるかわからなくなってしまったら、明日まで生きるたのしみがなくなってしまうことだろう。
革命は、ダイナマイトによってじゃなく、小さい注意心によってなされるものです
ひとはだれでも、実際に起こらなかったことを思い出にすることも、できるものなのです。
作り直しのきかない過去なんてどこにもないんだよ。
人は誰でも、「悪の愉しみ」への強い欲望をもっている。
人生には、答えは無数にある。しかし、質問はたった一度しか出来ない。
男の一生は、いわばその父を複製化することにはかならない。
親の愛情、とりわけ母親の愛情というものはいつもかなしい。いつもかなしいというのは、それがつねに「片恋」だからです。
どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう
しあわせというのは何だろう。しあわせというのも年老いるものだろうか?
金なしでは生きられない、金だけでも生きるに不足だ。
観客は立会いを許された覗き魔である。
美というものはしばしば社会生活の上で障害になる。美はあくまで個人的なものであり、人は美だけでは生きられないからである。
恋のかたちも時代とともに変遷してくる。そしてそれと共に、恋について語る言葉もまた、である。
自分たちにしか通じない言葉をもつのが恋人同士である。
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