ゼロリスク症候群とは意味は?コロナ禍で信仰的になり我々はおかしくなってるんでしょうか?

コロナ感染の拡大をなんとか止めようと、社会全体が活動を止め息を潜める毎日。ストレスが溜まる状況ですが、そんな中、実業家の堀江貴文氏が「自粛強要ムード」に激しく反発するつぶやきを、自身のTwitterで連日発信し話題になっています。

堀江氏が特に批判するのは世間の「ゼロリスク症候群」「ゼロリスク症候群」とは?その意味や問題点を探るとともに、堀江氏が言うようにコロナ禍で人々に「自粛信仰」が蔓延しているのか、考えてみました。

ゼロリスク症候群とは意味は?

かつてライブドア社長として「ITバブル」の寵児となり、企業買収、総選挙落選、逮捕と収監、ロケット事業など話題を振りまき続けている堀江氏。コロナ禍では連日、扇動的な言葉で「自粛厨」「不謹慎厨」「ゼロリスク症候群」などを猛批判するツイートを繰り返し、ネットやメディアで話題になっています。

最近の「批判例」は以下のようなものです。

堀江氏の主張は「統計や論理、科学的エビデンスを無視して、過剰に自粛だけを煽るのはおかしい」という趣旨に集約されそうです。堀江氏はかねてから日本人のこうした〝信仰〟のような「ゼロリスク症候群」を問題視しています。このゼロリスク症候群とは?その意味はどういうことなのでしょうか。

読売新聞のWeb記事で、ゼロリスク症候群についての内科医のコラムが紹介されていましたので、引用します。

リスクというのは小さい方がよく、医療従事者は医療行為に伴うリスクをできるだけ小さくする努力をしなければなりませんが、どんなに努力してもリスクはゼロにはなりません。リスクをゼロにしたければベネフィットも得られなくなります。結局リスクからは逃れられないということです。医療行為に限らず、リスクに囲まれて生きているというのがわれわれの宿命です。
それでも、リスクはゼロであってほしいと多くの人が願っています。理想を求める気持ちは否定されるべきではありませんが、現実に目を背けてひたすら「ゼロリスク」を追い求め続けることには、いろいろと問題があります。
「リスクはゼロでなければいけない」という考え方に取りつかれてしまうことは「ゼロリスク症候群」と呼ばれます。「ゼロリスク症候群」の症状は次のようになります。

(1)リスクがゼロの状態がありうると信じている

(2)(どんなに小さいリスクでも)「ゼロではないリスク」は許容できない

(3)リスクがゼロでない限り、ベネフィットについて考えることができない

yomiDr.記事より(抜粋)

すべての物事・活動にはリスク(危険)とベネフィット(利益)がつきもので、両者を勘案、平衡させてベストな結果を求めることが大事だとこの筆者は説きます。リスクを0にすることは現実的には難しく、しかも多大なエネルギーやコストがかかりますが、それらを無視して、ただ病的に「リスク0」を追い求めることが「リスクゼロ症候群」だといえるわけです。

ホリエモンの考えは、コロナの自粛厨や不謹慎厨=「リスクゼロ病」だということだろうな
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コロナ禍で我々はゼロリスク症候群なのだろうか?

「ゼロリスク症候群」とは、「危険が全然ない世の中」の〝夢想〟に取り憑かれた状態を意味するもといえますが、現在社会を圧迫しているコロナ禍でも、リスクゼロ症候群が「信仰」のように広がっているとの指摘があります。

『「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる (光文社新書)』で紹介された研究によると、人にはリスクを感じる10個の認知因子があるそうです。そのうち次のように多くの因子が今のコロナ禍でも当てはまるといわれます。

恐怖心……コロナ感染で死ぬ恐怖に怯える(しかし実際に感染し死に至る確率は日本では非常に低い)。

制御・選択可能性……どうしても在宅勤務ができないような仕事や環境にあると、感染の危険が高いと考える。

意識と関心……メディアでコロナばかり繰り返し報道されているので、超深刻に捉える。

自分に起こる事か……有名人の死などを見て、自分も感染し大きな健康被害を受ける恐れが高いと思う。

信頼……名だたる大企業が率先してリモートワークなどを進めており、やはりリスク大だと考える。

恐怖心と現実というテーマでよく出される例えに、飛行機事故と自動車事故があります。事故を極端に恐れる人はとりわけ「飛行機嫌い」に多い印象ですが、飛行機が墜落する確率は0.0009%と言われるのに対し、車の交通事故に遭遇する確率は1年で0.5%程とされています。つまり命を守るには、飛行機を忌避するより、日常的な交通安全に気をつける方がはるかに効果があるわけです。

ここまでの国内コロナ死者は300人超。例えばおもちで喉を詰まらせて亡くなる人は毎年100人はいるそうだし、何が本当のリスクなのかは難しいわね

ただ今回のコロナ禍は「目に見えない恐怖」「絶対に感染を防げる方法がいまだに見えない」「仮に感染した時、無事に治癒できるか重症になるか分からない」といった因子が多く、人々のイライラを募らせている面が大きいともいえます。

社会全体が「騒乱」「パニック」になる中では、一人冷静に情報を分析し判断し、行動するというのは極めて難しいという現実が、コロナ禍で浮き彫りになっているかのようです。

ホリエモン側・自粛強制側どちらが正しいのか判定するのは難しいけど、少なくとも互いが罵り合うのは生産的じゃないと思うがな…

ゼロリスク症候群に関するネットの反応

  • 過度に怯えて人叩き買占めゼロリスク症候群、一歩外に出りゃ自粛自粛…気持ち悪い!
  • 残念ながら、原発やHPVワクチンでは現実的な解を持っていた方々も今回はゼロリスク症候群にかかっているようだ
  • 「分からない」ことに耐えられない人が多すぎるよね。ゼロリスク症候群っちゅーか…
  • ゼロリスク症候群とかムダムダ教って、我が国に仇してばかりじゃないか?
  • リスクを下げる努力は必要だと思うが、そもそもリスクがゼロになることはあり得ない。想定されるリスクを洗い出して備えることが重要

出典:Twitter

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まとめ

今回の記事をまとめると以下の通りです。

  • ホリエモンが「自粛厨・ゼロリスク症候群」をTwitterで激しく糾弾
  • 恐怖に耐えられず病的にリスク0を追い求め、他人にも強要する症候群
  • 我々は自粛信仰に陥っているのか?「本当に正しいこと」の判断難しく

戦争や大災害・事件などの危機に社会が陥ると、顕在しがちな「ゼロリスク症候群」。同じ感染症では以前のBSE(牛海綿状脳症・狂牛病)騒ぎを思い出します。これは感染牛の肉を食べると人にも移り、脳の異常をきたし死に至る恐れがあるというものでした。

日本政府は当時、米国産牛肉を禁輸。牛丼などが店頭から消え「豚丼」が新登場するといった現象も。BSEでの人の感染率は「限りなくゼロに近い」とされましたが、当時は多くの人が政府の牛肉禁輸を支持したようです。今振り返ってそれが正しかったのか、見方は様々でしょう。ネットで洪水のように情報が流れる現代、「真の正しさ」を見いだすにはどうすればいいのか、葛藤が続いています。

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