オレ、2番キライ1番にならなきゃ!矢沢永吉の名言集!

日本のロックスター矢沢永吉の名言集をご紹介。

▼矢沢永吉

矢沢永吉は1949年9月14日に広島県で生まれ、幼少期は父が原爆後遺症になくなり、母や家を出て行ってしまったので、親戚中をたらいまわしにされ、最終的に祖母に育てられた。高校卒業と同時にギターと5万円を持ち夜行列車に乗り上京。横浜でチャイナタウンでアルバイトをしながらバンド活動を開始。ロックバンドCAROLを結成し一躍人気者となる。その後様々な事情により解散。1975年に「I LOVE YOU OK」でソロデビュー。その後歌手部門長者番付1位に輝く。これは長年1位を維持していた美空ひばりを抜いての獲得でした。その後もロックスターとして様々な活動を行っていくのです。

▼矢沢永吉の名言

熱くないんだよね。熱くさせてくんないのね。政治が。
そう、金があったら何でも買える。
オレがお前よりもビッグになったら、オレが今度お前を潰してやる
気持ちなんて関係ないよ。銭だよ。It’s money。moneyを稼ぐべきだ。
みんなはどうなの?シャバダバだった?
オレ、2番キライ。1番にならなきゃ。
目的のない男に、良い女は着いてこないよ。
人は、一瞬のハッピーでまた走ることができる。
オレは天才だって言い切れるアーティストになろうと思った。
辛い時は自分一人じゃないと思え。ガス抜きも必要だ。
金も入った、名誉も手にした。だけど、寂しさは残った。おかしいじゃないか、オレは思った。そう思ってふと見ると、幸せのレールは隣にあった。オレはそのレールに乗っていなかった。それから矢沢の幸せ探しが始まった。
自分のプライドも自分の財産でしょ。そうでしょ?
オレは、オリジナリティーを大切にしてる。自分のテーマが大切なんだ。
人生というのは、失うものを増やしていくゲームなんだ
てめぇの人生なんだから。てめぇで走れ
20代で苦労した者だけが、30代で夢の世界を見ることが出来る。
1のリスクしか無い事はしない、10のリスクが有る事をする。達成すれば10の成果が有る。
年とるってのは細胞が老けることであって魂が老けることじゃない。
コンサートは、音を聴くだけのとこじゃない。何か気持ちをもって歌ってる男に、会いに行くものなんだ。
テレビなんかで最近よく「家族そろってアウトドアで料理」なんて番組をやるのは、家族がそろって食事をすることがなくなった反動だ。
人間なんて、どっかでちゃんと帳尻が合うようになってるのね。20代は20代の青さとか未完成な部分がある。そこを恥ずかしがったり隠したがったり、うまくごまかしたりしてきた人は、あとで絶対しっぺ返しが来るよ。
ドアの向こうに夢があるなら、ドアがあくまで叩き続けるんだ。
自分に合ってるかどうかが、才能ってことだ。
上に行きたいのは当たり前のこと。
何かやれるものを持っているというのは幸せ。
スターですから。
親父もたいへんだったな。いまになって思う。オッサン、根性たりなかったね
オレは、いま生きるのがつらいって言っている人は、やっぱり、どこかに自分の生き方を自分で決められないって背景があると思うんだ。・・・かんじんなのは手前の足で立つことなんだ。
謙虚な部分は、他に使うところたくさんありますから。
俺はいいけどYAZAWAが何て言うかな?
言いたいのは、それひとつだよ。その生き方を人のせいにしちゃダメだ。オレも、人のせいにしないから。自分で処理する。
「生活保護受けて、苦労して広島から夜汽車に乗って上京し、やがて世紀のロックンローラーになる役さ」ってね。悪くないよね。
望むと望まないにかかわらず、なんだか生き方がドラマチックな方に行っちゃうんだよね
一回目、散々な目に遭う。二回目、落としまえをつける。三回目、余裕。
何歳まで生きられるのか知らないけど、オレは役を与えられたんだ。矢沢永吉という役を。
60才になってロックンロールやれる、ケツ振れる。その事に感謝しないで何に感謝だ!
最近勝ち組とか負け組みとか流行っているけど、スタート切っているかどうかが僕は大事だと思うけどね
お前がどんだけ良い大学入って、どんだけ良い会社に就職してもお前が、一生かかって稼ぐ額は。矢沢の2秒。

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