巨人・坂本勇人内野手(31)が史上2番目の年少記録で通算2000安打を達成たしました。
中学時代は兵庫県のリトルシニアの伊丹シニアで活躍していた坂本勇人が関西ではなく、なぜ青森の光星学院(現八戸学院光星高)に進学したのでしょう?
その後のこれまでに至る成長の軌跡とともに、その理由を探ってみました。
坂本勇人はなぜ青森の高校行った?兵庫出身なのに
兵庫出身なのに坂本勇人はなぜ青森の高校行ったかを見てゆきましょう。
いくつかの説があります。
・地元の学校だと中学の時の友達と遊んでしまうだろうと思い、人一倍強野球に集中するためには、寮生活をしたいという思いがすごく強かったため。
・関西の野球強豪高を受験したが、落ちまくって、仕方なく光星学院に行った。
落ちた理由は、野球の技術レベルではなく素行の悪さのうわさと言われています。
・野球を続けられないことを心配した母が知人を通して、親交のあった光星学院の金沢成奉監督(現明秀学園日立高監督)を紹介され、野球のレベルを買われて進学することができた。
共通するのは、地元で有名選手にまで成長した頃に、野球以外の時間は近隣の「イオン」にたむろしていたため、素行が悪いとうわさとなっていたことがポイントになっています。
結果的には、光星学院の金沢成奉監督との出会いが、坂本勇人のその後の運命を変えたことになりました。
金沢成奉監督の厳しい指導で、徐々に生活態度は変わってゆきましたが、それでも、高校1年の冬、正月休み明けに兵庫の実家から寮に戻ってくると、鼻にピアスをしていたことで、その日のうちに実家に帰すこともあったそうです。
光星学院時代は、1年生時の秋からショートのレギュラーの座を掴み、2006年光星学院が、8年ぶり3回目の選抜高等学校野球大会に出場すると、1回戦で敗退したものの、坂本は3安打を記録するなどと、活躍し、これが巨人のスカウトの目に留まった幸運もあったと思われます、 高校通算39本塁打を記録しています(Wikipedia参照)。
2006年の高校生ドラフト会議においても、巨人が1巡目で堂上直倫を抽選で外したために、再指名で坂本勇人との交渉権が確定したという偶然も重なっています。
2007年巨人入団後の成績を表でまとめました。
プロでの年ごとの素晴らしい成長も原辰徳監督や、阿部慎之助選手らの指導によるところが大きいようですが、それを自分のものとする本人の努力がこれほどの結果を生んだのだと思われます。
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光星学院(現八戸学院光星)の強さ・現状
2000年夏の甲子園で光星学院は3年ぶり2度目の出場で、智弁和歌山に5-7と破れるものの、ベスト4に進みました。
2011年夏の甲子園、光星学院8年ぶり5度目の出場を果たし、徳島商、東洋大姫路、作新学院を破り、決勝進出し、日大三にやぶれたものの準優勝を飾った。
2012年春のセンバツでも、決勝へと進出したが、大阪桐蔭に敗れ、甲子園2大会連続の準優勝に終わった。
さらに、2012年夏の甲子園でも3大会連続となる決勝へ進出したが、藤浪晋太郎投手を擁する大阪桐蔭を崩せず、0-3で敗れました。
3大会連続の決勝進出ということで、安定した実力が認められ、光星学院の名前を一躍高めました。
光星学院(現八戸学院光星)を全国屈指の強豪に育てたのが、金沢成奉監督で、手を焼いてどうにもならないやんちゃな子でも、金沢監督にかかると更生されるところから、当時「更生学院」と呼ばれていたそうです。
金沢成奉監督は、坂本勇人のほか、現阪神の北條史也、現ロッテの田村龍弘を育てています。
ついで監督に就任したのが、コーチ、部長を経て2010年に就任した東北福祉大出身の仲井宗基監督です。
9/27の高校野球秋季青森大会で、八戸学院光星が16安打14得点の猛攻で、秋は2年ぶり17度目の県王者に返り咲きました。
強打とともに、投手6人での継投策で、チーム防御率は2.53と安定していました。
このように投打に充実した戦力で、2年ぶりのセンバツを目指しています。
坂本勇人2000本安打達成にみんなの反応は?
- 偉大な偉業おめでとうございます。19歳から試合に出続ける事も凄い事で、それだけ実績が伴ってないとスタメンにはなれないし大きな怪我もなかったからこその成果ですね!
- 原監督の積極起用に応え、一気にスターダムへ!王さんと荒川氏、松井さんと長嶋氏、やはり良き指導者との出会いは大事ですね!
- 13年前の初ヒットは今でも覚えています。それから今まで坂本選手の勝負強さは印象的で、特に近年は本当に驚くほど凄みを増した成績ですね。ずっと応援しています。
- 過去の2000本安打は大ベテランになってやっと到達するケースがほとんど。坂本はバリバリに脂が乗り切っている余裕の年齢到達は凄いの一言。通過点以外の何物でもない
- 年々野球人としても人としても成長してきているのが見て取れます。監督や先輩たちのアドバイスを素直に聞いて活かせる、彼の謙虚さがいかに大事なのか分かりますね。周りから可愛がられ、沢山のことを教えられるというのも才能なんでしょうね。
出典:ヤフコメ
まとめ
- 坂本勇人が青森の高校へ行った理由は、3つ考えられるが、背景にあるのは1つ
- 坂本勇人のここまでの成長には、多くの指導者との偶然の出会いが大きく働いている
- 若くして偉業達成の称賛の声とともに、アドバイスを素直に聞いて活かせる、彼の謙虚さが大事だったとのコメントも
野球人生を一番応援してくれていた母を入団1年目の2007年に47歳で失った坂本勇人は、2000本安打達成を一番は母に見せたかったそうです。
そういった思いがプロでのたゆみない努力と成長を助けてきたのだろうと思えます。
これからさらにどこまでの高みに至るのか、すべてのプロ野球ファンが期待しているところです。
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