市川海老蔵、涙の会見ノーカット全文【YouTube動画あり】
「きっと良くなる」との思いは届かず、6月22日深夜に旅立ってしまった小林麻央さん。
家族はもちろんの事、関係者やファンも悲しみ驚いた事でしょう。
その訃報について夫である市川海老蔵さんが翌23日に渋谷コクーンシアターにて自身の舞台終了後に記者会見を行いました。
いつも気丈に振る舞いどんな時も涙を見せた事がなかった海老蔵さんですが、この時だけはさすがに…
今回はそんな記者会見の全文とノーカットYouTube動画を載せてますのでご覧下さい。
市川海老蔵「麻央はまだこの世にいてくれた」
小林麻央さんがお亡くなりになる一ヶ月程前、今まで入院にて治療を受けていたのですが、在宅治療に切り替え自宅にて治療を施してました。
ガンがまだ完治してないのに退院なんて…
この時から家族は麻央さんの命がそう長くない事に薄々気づいていたでしょう。
そして6月22日夕方、麻央さんの容態が急変、医者は「家族を呼んだ方がいい」と告げました。
海老蔵さんはその時仕事中で、家族からのLINEには気づいてはいたが確認はできませんでした。
数時間後に確認した海老蔵さんは急遽麻央さんが安静にしていた渋谷区代々木の自宅に向かいました。
のちの記者会見にてその時、
「麻央はまだこの世にいてくれました」
と、当時の麻央さんの状況を説明。
だがこの時の芳しくない容態に家族は覚悟してました。
そして、海老蔵さんの手を握って「愛してる..」との言葉を最後に麻央さんは旅立ってしまいました。
小林麻央訃報を受け市川海老蔵記者会見全文、ノーカット動画
午前の舞台を終え、憔悴しきった様子が印象的だった海老蔵さん。
23日朝のブログでは、
人生で一番泣いた日です。
マスコミの方々もお察しください。
改めてご報告させていただきますので、(省略)
により、当日14時から記者会見が行われました。
市川海老蔵会見全文(前半)
※動画は記事後半になります。
海老蔵「この度、わざわざ報告するようなことではないかもしれませんが、本日今朝家の前にも多くのマスコミの方がいらっしゃいました。
ご報告するのも義務なのかなと思いました。
昨夜、妻の真央が旅立ちました。それにより、色々とございます。」
海老蔵「思った以上に皆様に早く伝わってしまったのですが、これ以上皆様にご迷惑がかからないよう、そしてアナウンサー時代から麻央を応援してくださっていた方々、皆さんにご報告をということで時間を設けさせていただきました」
ーーーー「真央さんとの最後の時はどなたが看取られて、どんな会話を?」ーーーー
海老蔵「私は昨日も舞台でして、姉の麻耶さんと母さんと、二人で看てもらっていました。
昨日は舞台が終わった後、別の撮影がありまして、ロビーで稽古もありました。
母さんからラインでメールが入っていたのは気付いていたのですが、確認出来ませんでした。
約1時間半後にメールを確認しまして、容態が非常に悪いので家族を呼んだほうがいいとお医者さんから言われたそうで、私も急いで帰りました。」
海老蔵「帰ると、まだ麻央はこの世にいてくれていて・・・呼吸が苦しそうで、大丈夫かなぁ、と。
おとついまではしゃべれたんですが、昨日は痛みでしゃべれない状態でした。
不思議な話ですが、私は麻央が息を引き取る瞬間を見ていました。
これは本当に不思議な話ですが、その瞬間『愛してる』って。
泣いちゃいますよね、その一言。そしてそのまま旅立ちました」
ーーーー「愛してるという言葉は麻央さんはしっかり受け取っていると感じましたか?」ーーーー
海老蔵「私がいったのではなく、麻央が言ったんです」
海老蔵「こんなに愛されているなんて、愛されているのは分かっていたんですが、最後の最後まで愛してくれていたことに何とも言えない気持ちです。
すいません、昨日の今日なもので、準備が出来ていなくてお見苦しい所をお見せして」
ーーーー「最後自宅で送ってあげることが出来て良かったと思いますか?」ーーーー
海老蔵「それはとても良かったと思っています。家族全員、子供もずっとそばにいられたので、すごく良かったなと思います。
私は父を病院で亡くしているので。家族の時間を持てたのはとても良いことだったなと思っています」
ーーーー「お子さん含め、家族全員で送ることが出来たということですか?」ーーーー
海老蔵「はい、子供達も見ていました」
ーーーー「麻央さんは辛い時でも勇気・愛情・笑顔を忘れずに語ってこられたと思うのですが、そんな麻央さんの生き方に海老蔵さんはどのように感じていらっしゃいましたか?」ーーーー
海老蔵「おっしゃる通り、笑顔・勇気・愛情、そして決してぶれない自分。どんなときでも相手を思いやる気持ち、愛情ですね。
そういった力が最後までブレずに笑顔で・・・笑顔で話していました。
昨日は急に調子が悪くなったので、家族も戸惑う部分が多かったです」
ーーーー「海老蔵さんからはどのような言葉をかけられましか?」ーーーー
海老蔵「この世にあるありとあらゆる言葉を耳元で話していました」
市川海老蔵会見全文(後半)
ーーーー「海老蔵さんにとって真央さんはどのような存在でしたか」ーーーー
海老蔵「とにかく私を、どんな部分も愛してくれていたのでは。
できれば私が先に逝って、麻央には幸せになってほしかった。
家族やお父様やお母様、僕の役者としての成長を。見守ってほしい存在でした。」
ーーーー「麗禾ちゃんと勸玄くんの様子は?」ーーーー
海老蔵「麗禾は昨日は麻央のそばを離れませんでした。横で一緒に寝るって言ってました。麻央の死を認識しているようですね。
勸玄は分かっているんですけど、まだ分かっていない所があって。今朝も二人が麻央の顔を触ったり、足をさすったり、手を握ったり、そういうものを見ていると、私が今後、背負っていくもの、やらなくてはならないこと、子供達に対してとても大きなものがあるなと感じています。
勸玄はまだ分かっていますが、分かっていないと思います」
ーーーー「奥様から学んだこと、これからどんなことを伝えていきたいですか?」ーーーー
海老蔵「麻央は元気になったら乳癌やそれに伴う病気など、多くの人の救いになる存在になりたいと話しており、一生懸命闘病していました。
それでブログを始めたんですよ。
本当にマスコミさんのおかげで公になって、ありがたかったと思います。
ブログを通じて同じ病の人や、苦しんでいる方々と悲しみや喜びを分かち合う妻の姿は、私からすると、人ではないというか。なんというか、すごい人だなと。言い方おかしいですが。
とにかく総合的に教わったこと。これからも教わる続けることは愛なんだと思いますよ」
ーーーー「海老蔵さんの中に浮かんでくる、麻央さんの姿というのはどういう表情が思い浮かびますか?」ーーーー
海老蔵「どういう表情?全部です。初めて会ったときから、今日の朝まで。全部です。笑顔が多かったと思います。」
ーーーー「子供さんにかけられた言葉で印象に残っている言葉は?」ーーーー
海老蔵「そうですねぇ。心残りだと思います。2人の事についてどうすればいいのかと、考えても答えが出なかったものだと思います。
ですから、7月にせがれが出るんですけど、そういうのを見に来るのを一つの目標にして色んなものを作ったんですけど。まぁ、でおきっと見ていると思うんですけど。心配でしょうがないんじゃないですか?」
ーーーー「海老蔵さんが託されたことはありますか?」ーーーー
海老蔵「多すぎて言葉に出せないですね。この後も舞台がありますし、子供の稽古もありますし、子供の成長も考えますし。
5歳と4歳ですから、これからお母さんという存在が、非常に重要な存在になるわけですよね。それを失った僕は代わりにはなれませんが、出来る限りのことをやっていくように思っています」
ーーーー「麻央さんがよく言っていた言葉で思い出されることはありますか?」ーーーー
海老蔵「うーん、そうですね。麻耶さんが調子悪くなった時に、私が舞台で疲れていた時、お母さんが看病で疲れていた時、麻央の方が重い病気にかかっているにも関わらず自分よりも相手のことを思いやる優しさ。自分よりも相手のことを思いやる気持ち。これが一番多かったですね」
ーーーー「麻央さんと家庭を築いて、改めてどんな奥さんでしたか?」ーーーー
海老蔵「そうですねぇ、分かりません。僕を変えた奥さんではないですか?」
ーーーー「麻央さんがプロポーズのときに『来世も一緒にいよう』という言葉が一番響いたとおっしゃいましたが。」ーーーー
海老蔵「そのつもりです。その話もしました。が、僕が愛想を尽かされないようにしないと」
ーーーー「その話をされた時、麻央さんはどんな感じでしたか」ーーーー
海老蔵「喜んでいました。
まだ昨日の今日なんで、こういうところも全部聞いているとおもうので、言うことは言わなくても伝わると思うので。いつも思っているということです。
麻央のブログや存在によって励まされた方々がいらっしゃるといことで、今回はこういう形を取らせていただきました。
実際そういうことがなければ、このような事をご報告する事自体が形としてどうかと思います。
多くの麻央のことを応援してくださった方、共に戦っている方がた、昨日先に旅経ちましたが、ずっと麻央は皆様のそばにいると思いますので、本当に色々とありがとうございました。」
市川海老蔵会見動画(ノーカット)
【動画あり】市川海老蔵、会見で涙…来世も再来世も一緒になって欲しい。
今回は海老蔵さんが麻央さん死去についての会見の全文とノーカットYouTube動画を載せました。
振り返り見てみると涙が止まりません…
海老蔵さんと麻央さんは本当に愛し合ってたんだなあ、と感じさせてくれる会見でした。
結婚記者会見の時の「来世も再来世も一緒にいよう」は現実のものとなるでしょう。
今回も最後までご覧頂き有難うございました。