【お家騒動】市川九團次を弟子入り!?海老蔵がヤラかしたご法度とは?

市川九團次の弟子入りはご法度なのでは?

『週刊女性』が報じた市川宗家のお家騒動

今回の件は代々続く市川宗家にも危機が及ぶであろう大問題にも発展しかねないらしい。

そんな市川宗家のお家騒動からは海老蔵さんの”焦り”が見え隠れした。

一体何があったのだろうか?

今回は市川宗家のお家騒動についてまとめてみました。

お家騒動の発端は弟子入りした市川九團次

『市川道行』という方をご存知ですか?

2014年9月に海老蔵さんに弟子入りした40代のベテラン俳優です。

この方が今回の市川宗家のお家騒動の発端となった方です。

2015年の1月2日から始まる海老蔵さん主演、初春花形歌舞伎『石川五右衛門』では60年ぶりに復活する市川九團次の襲名がある方に決まった。

市川九團次が復活するのは嬉しい事で、お家騒動と騒ぐ事ではないのだが、問題はその市川九團次を襲名したある方がいわくつきだったのだ。

そのある方とは歌舞伎界では滅多にないとされる他の一門を破門にまでされた人だった。

海老蔵さんは、なんと歌舞伎界ではご法度とされるその破門になったある方を幹部待遇で弟子入りさせ、市川九團次を襲名させたのだ。

そんな、破門になったにも関わらず今回その市川九團次を襲名したある方こそ、先ほど冒頭でも話した市川道行と言う役者です。

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市川道行とは?

関東ではあまり聞かない名前ですが、実は以前は関西歌舞伎では知らない者はいないほどの大御所、上方歌舞伎のベテラン女方・坂東竹三郎さんの弟子で、坂東薪車(ばんどうしんしゃ)を名乗って関西では人気の俳優でした。

坂東竹三郎

五代目坂東竹三郎が当代。

本名:岡崎正二

生年月日:1933年8月4日

出身:大阪府

歌舞伎屋号は音羽屋

1949年5月に尾上菊次郎の弟子となり、大阪『盛綱陣屋』で尾上笹太郎を名のり初舞台。

その後、1959年には三代目坂東薪車と改名し名題昇進。

1967年3月には現在の五代目坂東竹三郎を襲名。

大阪中座にて、1998年芸能生活50周年を記念して『肉付の面』を復活公演した。

上方歌舞伎を支えるベテランの女形として「右に出るものはいない」とまで言われた大ベテラン。

また、上方歌舞伎塾の講師としても活動しており、後世の指導と育成にも力を入れている。

東山村流の家元として一門を率い、日本舞踊の継承に努めてる一人でもある。

市川道行

現在は四代目市川九團次

本名:鈴木道行

生年月日:1972年4月4日

出身:千葉県

一般家庭に生まれた道行は子供の頃から芝居に興味をしめす。

歌舞伎に入る前はミュージカルや芝居などの現代劇に出演していた。

1998年の7月、道行が26歳の時、音羽屋の五代目坂東竹三郎に一門閥外から入門する。

同年9月には坂東竹志郎を名乗って、大阪松竹座『ヤマトタケル』で初舞台。

その後2005年の4月には『菅原伝授手習鑑』で四代目坂東薪車を襲名。

この頃には十三夜会賞奨励賞を受賞し、翌年の2006年には、咲くやこの花賞も受賞、名題昇進もした。

この頃が、道行改め四代目坂東薪車がノリにノってる時期だったのかもしれない。

が、そんな道行さんが去年突然の破門を言い渡されました。

道行さんに何があったのでしょうか?

破門になった理由は?

週刊女性の記事を引用させて頂きました。

こちらをご覧下さい。

「次第に増長していった道行の素行に目をつむっていた竹三郎さんでしたが、昨年2月に彼が無断で現代劇『サロメ』に出演、さすがに咎めた師匠に対して、“僕は歌舞伎に向いていない”と言い放ったといいます。

謹慎ですませるつもりだった竹三郎さんですが、これに愕然とし芸養子関係を解消することにしたのです」(歌舞伎関係者)

約17年間自分の弟子として苦楽を共にしてきたのだが、最近の道行の素行には頭を悩ます事が多かった。

ヤンチャで素行不良の弟子だったが、今までなんとか我慢していた竹三郎さん。

だが今回の現代劇『サロメ』の無断出演はさすがに我慢できなかった。

これには厳しく対処し謹慎処分にするつもりだった。

、その話をした竹三郎さんに向かって、バカ弟子は「僕は歌舞伎に向いていない」とまで言い放ったと言う。

これにはさすがの竹三郎さんも、怒りを通り越して呆れ返ってしまった。

その後、歌舞伎興行を運営する松竹によると、竹三郎さんから「師弟関係を解消した」との報告を受けたといいます。

歌舞伎俳優が所属する日本俳優協会の名簿からも坂東薪車は削除されている事から、事実上の破門が確定した始末です。

以上が市川道行さんの破門理由でした。

では何故そんないわく付きの役者を海老蔵さんは弟子に受け入れたのでしょうか?

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市川道行の弟子入りを承諾した理由

そもそも歌舞伎界での破門自体珍しい事なのに、その破門になった役者が別の一家に弟子入りなんて前代未聞だそうです。

「めったにあることではないです。というよりも、破門された人が、別の役者さんのお弟子さんになるという話は初めて聞きますね。尋常なことではないですが、竹三郎さんと海老蔵さんとの間でちゃんと話がついているのかどうか」

と、歌舞伎研究家の喜熨斗勝氏は語ります。

確かに、坂東竹三郎さん側はいい気はしないでしょうね。

いくら松竹の売れっ子、歌舞伎界の大スター市川海老蔵だってこんな事をされては…

では気になるのが、海老蔵さんは何故いわくつきのこの役者を弟子入りさせたのでしょうか?

若いお弟子さんなら今からの将来があるので今後に期待できますが、道行さんは当時42歳、海老蔵さんより年上であって若さは期待できない。

では何故・・・

弟子入りさせた理由1、「借りがあった」

まず一つ目が“借り”です。

2007年の出来事になりますが、海老蔵さんは大好きな風呂場で転んで大怪我をしました。

当時の記事です。

海老蔵さんが風呂場で転倒、足に大けが当面休演

2007-07-13 22:31:10 | 芸能ニュース

歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(29)が13日午後、大阪松竹座(大阪市中央区)で公演中の7月大歌舞伎「鳴神(なるかみ)」に主役で出演した後、楽屋の風呂場で転倒し、割れた戸のガラスで右足の裏を切る大けがを負った。

救急車で近くの病院に運ばれ、縫合治療を受けた。

大阪公演中だった海老蔵さんは、この怪我のせいで公演は急遽代役が務める事となった。

海老蔵さんは”隠し子発覚!”騒動で大変な迷惑を掛けたにも関わらず、

「まあ頑張りなさい。君がきちんとやればそれでいいのではないか」

と一般家庭では考えられないくらい寛大な心で許して下さった父親の市川團十郎さんさえでも、今回の怪我で舞台に穴を開けた事に対しては「自己管理がなっていない」と激怒したらしい。

そんな窮地を救ってくれたのが、当時の坂東新車(道行)さんだったのです。

海老蔵さんはこの時助けて貰った事を未だに覚えてて、今回フリーになった道行さんを弟子入りさせたのではないでしょうか?

「’07年に海老蔵が自宅の風呂場で転倒して怪我したとき、代役を務めたのが彼だった。

いわば“借り”もあったワケですね。

幹部待遇という特例の弟子入りだったそうです」

と、女性週刊も報じてました。

弟子入りさせた理由2、「焦り」

二つ目は”焦り”があったのではと言われてます。

焦りとは現成田屋の看板不足です。

父親の市川團十郎さんがいた頃は海老蔵さんとの強力な2大看板があり問題はなかったのですが、父なき現在は海老蔵さん一人です。

跡取りの長男・勧玄くんがいますが、まだ子供ですし襲名もしていません。

一人で舞台に立つまでは、あと10年〜15年くらいは掛かる。

それに対して成田屋のライバルとも言える『中村屋』は、偉大な中村勘三郎さんを失ってもなお、息子の勘九郎さん七之助さんが支えてます。

 

『澤瀉屋』には市川猿之助さんや市川右近さん、俳優として有名な香川照之さん改め中車さんなど。

 

⇒ 市川猿之助公式ブログ「猿の言の葉」

このように有名な屋号の一族には看板となる役者がいるにも関わらず、成田屋は今現在海老蔵さんただ一人。

その事が若くして市川宗家を継いだ海老蔵さんにプレッシャーとなり、焦りを誘発してると、こんな記事には書いてました。

「焦りもあったのかもしれません。

そこに長身でイケメン、実績のある道行が“フリー”になった。

当の道行も多方面での活動を望んでいた。」(週刊女性)

以上が市川宗家のお家騒動の発端となったいわくつきの役者を弟子入りさせた理由です。

『【お家騒動】市川九團次を弟子入り!?海老蔵がヤラかしたご法度とは?』・まとめ

今回は最近市川宗家に起きたお家騒動についてまとめてみました。

市川道行さんの破門に関して関係者である松竹は、

「わかりません」と…

道行さんの所属事務所は、

「破門ではなく話し合いの結果、道行さんから出て行くとなりました」

とコメントしている。

どんな話し合いがされたのかは当人達しかわかりませんが、さすがの海老蔵さんでも今回のお家騒動はマズかったのでは… 多々の理由があったとしても。

ファンとしては今後の市川宗家が心配です。

今後の市川海老蔵の活躍に期待しましょう。

今回も最後までご覧頂き有難う御座いました。

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