KAT-TUNは凄かった!東京ドームが揺れた?!当時のメンバーと脱退順!

2022年で16周年を迎えた、ジャニーズの3人組グループ「KAT-TUN」

2001年に、KinKi Kidsの堂本光一さん専属バックダンサーグループとして結成されました。

当時は6人で結成されたKAT-TUNですが、かなりのヤンチャな男の子の集まりで、血気盛んな個性豊かなメンバー構成でした。

そして、歌も踊りもカッコイイKAT-TUNの人気は、あっという間にトップアイドルへと導かれました。

今でも人気のKAT-TUNですが、伝説に残るほどKAT-TUNは凄かったと言われています。

そんなKAT-TUNについて、皆さんが気になる事と言えば「KAT-TUNは凄くて東京ドームが揺れた?!」「当時のメンバーと脱退順」ではないでしょうか。

そこで、今回はKAT-TUNについて「KAT-TUNは凄くて東京ドームが揺れた!」「KAT-TUN当時のメンバーと脱退順」について、調査してみたいと思います。

・KAT-TUNは凄くて東京ドームが揺れた!

・KAT-TUN当時のメンバーと脱退順

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KAT-TUNは凄かった!東京ドームが揺れた理由!

2006年にデビューしたKAT-TUNですが、結成後からKAT-TUNは凄かったと言われています。

KAT-TUNが凄いと言われている理由はいくつかありますが、ひとつはジュニア時代からの人気が凄かったからです。

そして東京ドームが揺れたと言われている理由は、2009年5月19日の東京ドームコンサートで起きた、後にムラサキ記念日」と呼ばれるきっかけになった出来事から、東京ドーム中のファンの歓声が、ドームを揺らしたからだと言われています。

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KAT-TUNが凄かったと言われる理由!

では、KAT-TUNがどれだけ凄かったのか、いくつかご紹介したいと思います。

結成1年で単独ライブ開催

2001年に結成されたKAT-TUNですが、グループ結成わずか1年で東京国際フォーラムと大阪松竹座で単独ライブを行いました。

 

このライブでは、なんと興行史としては史上初となる“1日11回公演”という、とんでもなくハードスケジュールでライブ回数をこなしました。

若かったとは言え、信じられない回数ですよね!

当時の事をメンバーが振り返る時、本当に時間と体力が大変だったと語っています。

ジャニーズのライブは1日2公演で行われる事が多く、他のアーティストさんに比べても公演数は多いと言われています。そう考えると1日11回公演はスゴイことです!
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デビュー前DVDの売り上げがスゴイ

結成して3年経った頃には、すでにライブ会場も大きくなったKAT-TUNは、2004年に横浜アリーナなど東名阪3都市で「KAT-TUNLive海賊帆」を開催しました。

 

翌年2005年にはそのライブツアーがDVD化されると、初動売り上げが12.9万枚となり、当時の音楽DVD史上3位となる快挙を遂げます。

またこの「KAT-TUNLive海賊帆」のDVDは、年間DVD音楽ランキングでも1位、総合ランキングで10位と、素晴らしい記録を残しました。

デビュー前に東京ドームライブを開催

2006年1月にデビューの発表があったKAT-TUNですが、当時の人気はデビューしているグループにも負けない勢いでした。

それだけ人気があったKAT-TUNは、デビュー前に東京ドームでライブを開催します。

 

「KAT-TUN SPECIAL TOKYO DOME CONCERT Debut“Real Face”」と題し、デビュー前にライブを開催したKAT-TUNですが、デビュー前のアーティストが東京ドームで単独ライブを行うということは、史上初のことでした。

デビューシングルはミリオンセラー

2006年3月22日に念願のCDデビューを果たした、KAT-TUNの皆さんですが、そのデビュー曲「RealFace」発売9周目にして、ミリオンセラーを達成しました。

ジャニーズ事務所としても、デビュー時の売り込み方は、かつてないほどの力の入れようでした。

デビュー日にはシングルCD「Real Face」以外に、アルバム「Best of KAT-TUN」DVD「Real Face Film」の3作が同時リリースされると、それぞれがオリコンチャート1位を取得、「Real Face」は有線リクエスト、着うたダウンロード数でも1位に輝き、デビュー早々5冠を達成するなど、次々と記録を作っていきました。

デビュー曲「Real Face」は、歌詞をスガシカオさんが作成され、楽曲はB’zの松本孝弘さんが作曲してくれました。

音楽会のレジェンド二人からの、楽曲提供ということでも話題になりました。

ジャニーズ史上最多の連続公演数

デビュー以降、その勢いを増していったKAT-TUNですが、2009年には東京ドーム連続8日間公演を開催するという、史上最多記録をつくりました。

 

実は、2009年の東京ドーム連続公演の記録を作る前にも、KAT-TUNは記録を作っていました。

2008年のライブツアー「KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATS」では、当時4日間連続で東京ドーム公演を行ったのは、日本のミュージシャンとしてはKAT-TUNが初でした。

 

どちらの記録も、応募人数が予想以上だったことで、急遽追加公演を決定したことによる記録更新であり、それだけ当時のKAT-TUNのチケットは、プレミアムチケットだったことがわかりますね☆

ちなみに2009年に更新された東京ドーム8日間連続公演記録は、未だに記録を更新されていません☆

東京ドームが揺れた5.19

KAT-TUNの歴史の中でも、未だに語り継がれる記念日があります。

それは2009年5月19日に開催された、東京ドームライブ7日目で起きました。

このライブは「KAT-TUN LIVE Break the Records」と題され、8日間連続東京ドーム公演という、前人未踏の記録を打ち立てたライブツアーです。

このツアーでは、毎日メンバーが交代でプロデュースするコーナーがあり、5月19日の担当は赤西仁さんでした。

赤西仁さんには、今でも人気の伝説曲「ムラサキ」というソロ曲があるのですが、2005年の「KAT-TUNLive海賊帆」で披露されて以降、ライブで歌われることがありませんでした。

その名曲「ムラサキ」をこの日の曲に選んだ赤西仁さん。

会場にこの曲のイントロが流れると、東京ドームの客席からは悲鳴にも似た歓声が響き、東京ドームが揺れたのです。

その歓声はメンバーが耳をふさぐほどで、歓声のスゴさに音声も聞こえにくくなるほどでした。

そして、さらに追い打ちをかけるような演出で会場が沸き上がります。

幻の名曲「ムラサキ」が披露されるだけではなく、なんと赤西仁さんと亀梨和也さんが二人で「ムラサキ」を歌ったのです!

結成当時から「仁亀」と呼ばれ、今でもジャニーズ最強のシンメと言われている、赤西仁さんと亀梨和也さんのお二人ですが、当時は仲が悪いのではないかと言われていました。

そんな二人が向き合う形で歌う姿は、まさに奇跡と言っても良い光景だったのです。

 

ムラサキの歌詞「君には他の誰かがいる それでも二人は会えたね」というフレーズが、まるで二人の関係を表しているようで、ファンの心を揺さぶると、その歓声はピークに達し、東京ドームがかつてないほど揺れたのです。

今でも語り継がれるこのエピソードは、「ムラサキ記念日」と呼ばれるようになり、ハイフンにとっては大切な日になりました。

KAT-TUNのデビュー当時のメンバーと脱退順!

数々の偉業を成している、KAT-TUNの皆さんですが、その歴史は決して華やかだっただけではありませんでした。

なぜなら、KAT-TUNはデビュー当時6人メンバーがいましたが、現在では半分の3人で活動をしています。

デビュー4年目にしてメンバーの赤西仁さんが2010年に脱退すると、2013年には田中聖さんが脱退、2016年に田口淳之介さんが脱退しました。

デビュー当時のメンバー

KAT-TUNというグループ名は、メンバーの頭文字を取ってジャニー喜多川さんが命名しました。

デビュー当時のKAT-TUNを、ハイフンは“ロクーン時代”と言っているとおり、6人のメンバーで構成されていました。

名前
K亀梨和也(かめなし かずや)
A赤西 仁(あかにし じん)
T田口淳之介(たぐち じゅんのすけ)
T田中 聖(たなか こうき)
U上田 竜也(うえだ たつや)
N中丸 雄一(なかまる ゆういち)

個性豊かなメンバー6人が集められましたが、個性が強すぎて仲良しなだけのグループではありませんでした。

結成当時は何度もぶつかり、時には殴り合いのケンカもしたという話もあるくらい、ジャニーズでもやんちゃなグループでした。

 

そんな6人ですが、デビューしたい!という強い気持ちを持ち続け、2006年に念願のデビューを果たしました。

 

そんなKAT-TUNのメンバーについて、1人ずつ詳しくご紹介したいと思います。

亀梨 和也(かめなしかずや)

アイドルとしてだけではなく、俳優やキャスターとしても評価の高い亀梨和也さんは、今でもKAT-TUNとして活躍されています。

【亀梨和也プロフィール】

名前亀梨 和也(かめなし かずや)
生年月日1986年2月23日
メンバーカラーピンク
身長171センチ
愛称かめ
血液型B型
出身地東京都
入所年1998年
出演作3年B組金八先生(第5シリーズ)、ごくせん、野ブタ。をプロデュース等

年を重ねるごとに、その魅力が増している亀梨和也さんは、お茶目な可愛い部分があったり、ライブでは色気全開でカッコイイ姿を見せたり、キャスターでは爽やか好青年だったり、その場に適した顔を持つ多才な男性です。

KAT-TUNの亀梨和也でいることにこだわり、プライドを持ち続ける亀梨和也さん、その志を胸に今後も活躍して欲しいと思います♪

赤西 仁(あかにし じん)

KAT-TUNのツートップと言われた赤西仁さんは、歌唱力やダンスの評価も高く、若くしてその色気に魅了された女性も多かったです。

また、脱退後の2016年には「世界で最もハンサムな顔100人」で31位になるなど、ルックスの良さも人気のひとつでした。

 

【赤西 仁プロフィール】 

名前赤西 仁(あかにし じん)
生年月日1984年7月4日
メンバーカラー
身長178センチ
血液型O型
愛称じん
出身地東京都
入所年1998年
出演作Xmasなんて大嫌い、ごくせん、anego、有閑倶楽部、等

KAT-TUN時代から、アーティストとしての才能が開花していた赤西仁さんですが、ビジュアルもとても素敵で、チャームポイントの泣きぼくろが色っぽくて大人気でした。

独特の世界観を大事にしていた赤西仁さんは、KAT-TUNの中でもアーティスト気質が高く、自身で手がける楽曲はどれも名曲と言われるものばかりで、ジャニーズの後輩達にも長く愛されています。

田口 淳之介(たぐち じゅんのすけ)

長身でスタイルの良い田口淳之介さんは、いつもニコニコしていてKAT-TUNの中でも一番爽やかなアイドルでした。

 

【田口 淳之介プロフィール】 

名前田口 淳之介(たぐち じゅんのすけ)
生年月日1985年11月29日
メンバーカラーオレンジ
身長180センチ
血液型AB型
愛称じゅんの
出身地神奈川県
入所年1999年
出演作がんばっていきまっしょい、有閑倶楽部、リーガル・ハイ等

ダンスももちろんですが、アクロバットやタップダンスができるなど、多才な表現力を持つ田口淳之介さんは、王子様キャラで人気を集めていました。

爽やかな笑顔が印象的な田口淳之介さんは、ギャグが好きで度々ファンを笑わせてくれました。

田中 聖(たなか こうき)

独特なビジュアルはジャニーズとは思えない風貌で、かなり特殊ではありましたが、ラップの腕前はアイドルのレベルではなく、今でもその技術を超えるジャニーズはいないのではないかと言われています。

 

【田中 聖プロフィール】 

名前田中 聖(たなか こうき)
生年月日1985年11月5日
メンバーカラー黄色
身長171センチ
血液型B型
愛称こうき
出身地千葉県
入所年1998年
出演作白虎隊、マイ☆ボス マイ☆ヒーロー、必殺仕事人等

ジャニーズなのにボウズ頭というスタイルは、当時のアイドルという概念を覆すものでしたが、そのスタイルが逆に好きという方も多かったようです。


後輩からも慕われていた田中聖さんは、とても面倒見の良いお兄さん的存在でした。

上田 竜也(うえだ たつや)

スポーツ熱血キャラが定着しつつある上田竜也さんは、バラエティー番組をはじめ舞台俳優としても評価が高く、現在もKAT-TUNとして活躍しています。

【上田 竜也プロフィール】 

名前上田 竜也(うえだ たつや)
生年月日1983年10月4日
メンバーカラー
身長170センチ
血液型B型
愛称たっちゃん、うえぼ
出身地神奈川県
入所年1998年
出演作永遠の0、ロミオとジュリエット、EndlessSHOCK、等

 

上田竜也さんは運動神経が良いだけではなく、ギターやピアノも弾けるなど、音楽的センスも抜群で、見た目とはかけ離れたような繊細な楽曲を作るなど、そのギャップに惹かれる女性も多いです。

アラフォーとは見えない無邪気さと、大人の色気を帯びた上田竜也さんですが、誰よりもKAT-TUNを思う情熱で今後もKAT-TUNを引っ張ってくれる事と思います♪

中丸 雄一(なかまる ゆういち)

最近ではバラエティー番組を始め、情報番組でのコメントの評価が高い中丸雄一さんですが、現在もKAT-TUNとして活躍しています。

 

【中丸 雄一プロフィール】 

名前中丸 雄一(なかまる ゆういち)
生年月日1983年9月4日
メンバーカラー
身長176センチ
血液型O型
愛称ゆっち
出身地東京都
入所年1998年
出演作家事ヤロウ!!!、シューイチ、朝だ!生です旅サラダ等

 

ダンスも歌もそつなくこなす中丸雄一さんは、漫画やイラストを描くのが得意だったり、最近ではYouTubeの編集などもこなす、マルチな才能を持っています。


素朴な雰囲気が優しくて、安心感がある中丸雄一さんですが、誰よりも冷静にKAT-TUNを見ることが出来る存在として、今後も頑張って欲しいと思います。

KAT-TUNメンバー脱退順

2006年にデビューしたときは6人で船出したKAT-TUNですが、現在は3人で活動しています。

初期メンバーの脱退順と脱退理由をまとめてみました。

赤西 仁(2010年7月脱退)

亀梨和也さんとは「仁亀」という、シンメで大人気だった赤西仁さんは、2010年7月に脱退しました。

脱退理由は本人の求める音楽性とKAT-TUNの音楽の方向性の違いと発表されており、人間関係によるものではないとされています。

デビュー早々、語学留学を理由にKAT-TUNとしての活動を休止し、アメリカで英語を学んだ赤西仁さん。

その留学を経験することで、より海外進出への夢が膨らんだと思われます。

脱退後は個人名義でアーティスト活動を行っています。

田中 聖(2013年9月脱退)

赤西仁さんの脱退から3年、KAT-TUNでは2人目の脱退となった田中聖さんは、2013年9月に脱退しました。

脱退理由は度重なるルール違反行為による契約解除と発表されています。

赤西さん脱退後、結束を深めたと思っていたKAT-TUNに、暗雲が立ちこめました。

度重なるルール違反の内容は公表されていませんが、無断で飲食店を経営していたことなどではないかと言われています。

メンバーからも何度も注意されてきたという田中聖さんですが、脱退というより契約解除による強制脱退というのが正しいのかもしれません。

現在はYouTubeで配信などを行っています。

田口 淳之介(2016年3月脱退)

衝撃的な田中聖さんの脱退からわずか3年、もうこれ以上の脱退者は出ないと語っていたKAT-TUNですが、田口淳之介さんはデビュー10周年を飾る2016年3月に脱退しました。

脱退理由は「自分自身の生き方や、やりたい事を考え、30歳というリアルな田口淳之介としての人生が歩みたかった」と後にバラエティー番組で田口淳之介さん自身が公表しています。

当時は理由もフワッとしており、メンバーも納得できず、かなり説得したそうですが、本人の意思は固く、結果的に止めることができなかったと説明していました。

この田口淳之介さんの脱退は、残る3人のメンバーにとっても、ハイフンにとっても10周年を迎えるその年に水を差される形となり、この脱退を機にKAT-TUNは無期限の充電期間に入ることを決定しました。

現在はアーティスト活動をする傍らプロの麻雀師として活動しています。

まとめ

今回は、ジャニーズの中でもベテランの域に入ったKAT-TUNについて、「KAT-TUNは凄くて東京ドームが揺れた!」「KAT-TUN当時のメンバーと脱退順」と題して調査しました。

2001年に結成して以来、デビュー前に東京ドーム公演を行ったり、東京ドーム連続8日間ライブという記録を保持するなど、数々のスゴイと言われる実績のあるグループだということがわかりました。

また、デビューシングル「RealFace」は、スガシカオさん作詞、B’zの松本孝弘さんが作曲を手がけ、ミリオンセラーを達成しました。

 

KAT-TUNには東京ドームを揺らしたと言われる出来事があり、メンバーの赤西仁さんと亀梨和也さんが名曲「ムラサキ」を歌ったことで、その歓声によって東京ドームがかつてないほど揺れたと言われています。

 

KAT-TUNはデビュー当時6人組で活動しており、亀梨和也さんのK、赤西仁さんのA、田口淳之介さんのT、田中聖さんのT、上田竜也さんのU、中丸雄一さんのNから名前がつけられました。

2010年に赤西仁さんが脱退すると、2013年に田中聖さんが契約解除、2016年に田口淳之介さんが脱退するなど、全部で3人のメンバーがKAT-TUNから脱退しています。

そんなKAT-TUNも今年でデビュー16周年を迎えましたが、この16年は波瀾万丈といっても過言ではないほど、紆余曲折があったグループです。

これからの長い月日で、グループ活動がどのように展開されていくかはわかりませんが、KAT-TUNという船を母体に、それぞれが活躍の場を広げてくれる事と思います♪

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