雑誌「キャンディータイム」
僕らが高校生の頃、今ほどネット環境は整っていなかった当時は電話回線でインターネットを繋いていた。
さとう珠緒のセクシーな写真をたった一枚表示させるのに30分かかり、途中で電話がかかってきたらやり直しになってしまうような環境。
振り返ってみると悶々とした高校生にとっては地獄のように不便な生活だが、そんな日々を支えていたのは友達からローテーションで回ってくるHなビデオとDVD、そしてコンビニでこっそり購入するエロ本だった。
その中でも僕が特に愛してやまなかったエロ本の一冊に「キャンディータイム(Candy time)」という名前の雑誌があった。
引用:Amazon CAPTCHA
「キャンディータイム」は漫画タイプのエロ本で、当時主流だった写真タイプのエロ本ではない。
グラビアのようなページは一切ない漫画のみで構成されたストロングスタイルのエロ本だ。
掲載されている作品も絵をゴリゴリに押して興奮させるのではなく、ストーリーとシチュエーションで読み手の心をくすぐってくれるものが多いハイセンスな内容で、イメージ的には大量生産大量消費のエロ本ではなく、匠の技が光る知る人ぞ知るエロ本といった感じとでも言えばわかるだろうか。
とにかく文化人のためのエロ本、それが「キャンディータイム」だ。
星の数ほど存在するエロ本の中で、この「キャンディータイム」のことを、僕は世界に一つだけのオンリーワンなエロ本と位置づけ、愛しい恋人に接するかの如く身も心も捧げていたのだ。
カラオケ『キャンディー』
ここで話は変わるが、僕らの地元には『キャンディー』という名前のカラオケボックスがあった。
そのカラオケ『キャンディー』は6時間フリータイムで一人1500円という当時の相場からすると破格のコストパフォーマンスを誇るカラオケボックスで、24時間金欠だった当時の僕らはよくこのカラオケを利用していた。
全盛期にはL’Arc-en-CielやGLAY、Mr.Childrenの曲をよくここで練習して、おままごとみたいな合コンの時に格好つけながら女の子に披露して相手の失笑を買っていたものだ。
また、夜中に家を抜け出してカラオケに行き、一晩中歌いあかしてから朝にこっそり帰って眠りにつくような青春っぽい高校生活を送れていたのは、すべてこのカラオケ『キャンディー』があったからと言っていいかもしれない。
今、親の年齢になって振り返ると決して褒められた生活習慣ではないのだが、もう時効である。
ちなみに、当時よくつるんでいたトミーともよくカラオケに来ていた。太りすぎてもはやボーダーに見えないTシャツを着ながら広末涼子の「大好き」を歌っているトミーを見て、鳥肌がたっていたのも今となってはいい思い出だ。
明智くんのPHS
ある日、僕らはいつものように『キャンディー』に行くことにした。
まずは駅に集まってマックで腹ごしらえをして、みんなが揃ったら『キャンディー』へ向かういつものルート。
だけど、その日に限って明智くんは集合場所に現れなかった。
不思議に思った僕らは、手に入れたばかりのPHSで明智くんに電話をかけたのだが、驚くことに電話の先ではなぜか明智くんではなく彼のお父さんの声がするではないか。
「もしもし?だれだ?」
突然出現したお父さんというラスボスに、僕はテンパった。
それもそうだ。
電話に出れば挨拶がわりに「おっぱい」とでも言っておけばいいような明智くんではなく、ロクに話したこともないような明智くんのお父さんがいきなり現れたのだから。
僕は明智くんのPHSにどうしてお父さんが出るのかを聞こうとするのだが、焦っているのでたどたどしく聞くしかない。
なんとか明智くんがいま宿題をやっていること、終わるまでは家を出さない軟禁状態であることは聞き出せたが、明智くんと電話を代わってはくれないらしい。
このPHSも宿題が終わるまでは没収されているようだ。
小学生かよ!
とは思ったが、話していてもらちが明かないので、先に『キャンディー』に行っていることを伝えて電話を切ろうとしたら、
「で?どうしたらいいんだね」
やや高圧的な物言いで訪ねてくる明智くんのお父さん。
それに焦った僕は次の言葉が出てこなくなってしまった。
「あ…あの…その…」
と、どもる僕。
ダメだ!何か言わないと!そう思えば思うほど言葉が出てこないのは人見知りあるあるで、どうしても肩に力が入ってしまうのだ。
焦って焦って追い詰められた僕は、宿題が終わった明智くんに、とりあえず今日の集合場所だけは伝えなければならないと思い、気が付くと明智くんのお父さんにこんなことを口走っていた。
「キャンディータイムで待ってます」
キャンディータイムで待ってます
キャンディータイムで待ってます・・・
キャンディータイムで待ってます・・・
キャンディータイムで待ってます・・・
口走った後に、僕は自分の耳を疑った。
僕、今、キャンディータイムで待ってますって言ってたぞ。
うん、それはエロ本だ。エロ本で待ってるってなんだ。
僕らが待っているのはカラオケ『キャンディー』だ。それなのになぜ僕はいま『タイム』を付けてしまったのだろう。
どれだけエロ本のことを愛しく思ってるんだ。自分が情けなくなる。
仮に100歩・・・いや1000歩ゆずったとして、
「キャンディータイムを待ってます」
だったら意味はわかる。
確かに、僕は「キャンディータイム」を毎号、心待ちにしていた。
発売日にはわざわざエロ本を買う為に深夜の1時にコンビニに自転車を走らせていたし、間抜けにも発売日を間違えてキャンディータイムが置いてなかった時は、代わりにペンギンクラブを買って帰っていた青春の1ページ。
ペンギンクラブについてはわかる人だけわかればいい。説明もしない。
ていうか、そもそも僕が発した言葉が、
「キャンディータイムを待ってます」
だったとしても、エロ本を心待ちにしている事を友達の父親に宣言してどうする。
やはり意味がわからない。
しかし、ここで少しだけ冷静になった僕。
よく考えたらまだそんなに焦る必要はないのかもしれない。
だって明智くんのお父さんが高校生が隠れて読むようなエロ本である「キャンディータイム」を知ってるとは限らない。
明智くんのお父さんは真面目な人だったから、特にそういうことを知らないかもしれない。
と、一瞬でメンタルを持ち直すことに成功した僕は淡い期待を胸に耳に神経を集中したのだ。
すると電話先からこんな声が聞こえたのだ。
「ふっ…ふふっ…
キャンディータイムね…
ふふふっ…」
ははーん
こいつ
キャンディータイム知ってんな?
明智くんのエロいお父さん
明らかに「キャンディータイム」という言葉に反応して笑ってる明智くんのお父さん。
しかも、ただエロ本のタイトルを聞いただけでこの敏感な反応だ。
なんだ。明智くんのお父さん、めっちゃエロいオッサンじゃん!!
あの厳格そうな明智君のお父さんがキャンディータイムを知っているとはね。
確かにスケベそうな顔してんなとは思っていたんだよ、いやマジで。
と、急激に明智くんのお父さんと心の距離が縮まった気がする僕。
なんだったら、お義父さんと呼びたいくらいだ。
心の距離が縮まったことにより、なんとかうまく話せるようになり、そのままカラオケで待っている旨を伝えて電話を切ることが出来た。
キャンディータイムで待っているという謎の宣言をした僕、こらえきれずに笑っちゃった明智くんのお父さん。
電話を切ったあとの僕は明智くんのお父さんに対して10年来の親友に会ったような、そんな不思議な感情を抱いていた。
エロ本の題名を聞いて笑いを堪えられない友達の父親に感じた親近感・・・この奇妙な感覚は今も強烈なインパクトとして僕の胸の中に刻まれている。
青春のキャンディータイム
気が付くともう、あの日からどれだけの月日が流れたのだろうか。
先日、帰京すると地元の街は様変わりしていて、僕らの青春だったカラオケ「キャンディー」はもう無くなってしまっていた。
そして僕の愛読書だった「キャンディータイム」も廃刊していて、今はもう存在しない。
時代は変わり、流れていくのだ。ずっと同じであることなど何もない。
でも、僕はあの頃の「キャンディー」ことを今でも鮮明に思い出せる。
タバコと埃の匂いがするカラオケの空気。
ボロボロのソファーと剥がれ落ちたクロスの内装。
薄い味のウーロン茶と不愛想な店員。
「キャンディー」での時間はふりかえれば青春だった。きっとそれ以外の時間も青春だったのだろう。
一枚のエロ画像を見るのに30分かかっていた不便さだってそうだ。
それら全てを愛おしく感じてしまう。
今でも僕は、いや、全てが効率的でわかりやすい今の時代だからこそ僕は、便利じゃないけど輝いていたあの頃の時間を求めているのかもしれない。
そう、僕はいま、あの不便なキャンディータイムを待っているのだ。