皆さんは『生きる』ということについて真剣に考えたことがあるでしょうか。
『生きる』ということは、何も食事をし、睡眠をとる事だけをいう訳ではないと思うんです。本当の意味で『生きる』ということはそんな机の上の生物学のお勉強ではなく、もっと血の通った熱い物だと思うのです。それは「僕は生きているぞ」という自発的な実感だけではなく、周囲の人間からの与えられる刺激や安らぎなども存在し、その受動的な刺激は僕等に多くの『生きる』という実感を与えてくれます。
例えば、偉大な記録を塗り替えるスポーツ選手であったり、車や人をいとも簡単に消し去ってしまうマジシャン。世界一の音色を奏でるピアニストだってそうです。
皆それぞれが高い技術を持って人々に驚きや興奮、さらには感動を与えるエンターテイナーだと思うのです。彼等のおかげで、僕等は生物学上のただ生きているという状態ではなく、本当の意味での『生きる』を感じる事が出来ているのではないでしょうか。
けれどもっと身近に素晴らしいエンターテイナーがいることを皆さんはご存知でしょうか。日々人々に感動と興奮を与え、夢や希望すらも生むエンターテイナーが近くにいるのです。わかりますか?
そう。皆さんが今想像した通りです。
ミニスカートの女の子ですね。
本当に素晴らしい。彼女等こそ真の意味でのエンターテイナーだと思うのです。様々なエンターテイナーが混在する現在の日本においてもその存在は他の追随を許さない魅力を発揮しています。
発見した段階での胸の高鳴り。見えるか見えないかのギリギリの緊張感。希望(パンツ)が見えた時の全てを凌駕する程の歓喜。Jリーグ初期で言う所の『Vゴール』みたいなもんですね。うむ、例えが古い。
と、まぁミニスカートレディはどれをとっても一流のエンターテイメント性を有してる訳なんです。だからね。女性はもっとミニスカートをはくべきだと思うんですよ。なんだったら、はくように法律で規制してもいい。建築士の名義貸しの罪を問う前に、パッと見るとスカートだけど、実はショートパンツでしたぁ!みたいな女の子を詐欺罪に問い、激しく糾弾すべきです。
とはいえ、やみくもに短ければ良いという訳ではなく、その基準となるべきスタンスというのも明確化するべきですよね。
例えばワカメちゃん。
彼女はミニスカートに白パンツという魅惑の装備を兼ね備えているにも関わらず、全くその力を発揮することが出来ていません。嘆かわしい。
今皆さんは「それは年齢的な事や、アニメだからなんじゃないか」とか思ったのではないでしょうか?
あのね。もしそうなら全然わかってない!アタイのこと全然わかってくれてない!!
アニメは特別好きじゃないけど、ミニスカートについて語らせたら「これが世界レベルだなと実感しました」とA代表がコメントするんじゃないかと呼び声高い僕が言うんだから間違いない!ワカメちゃんがいけないのはそんな単純な話じゃない!
彼女の失敗は、一瞬の輝きにこそ価値のあるパンツを常に見せている事なんです。
仮に価値のあるものでも、それが常に見えてる状態だとそこに感動の麻痺が生まれるんです。人生と同じで、苦労せず始めから手に入る成功(パンツ)なんて、価値がないんです。
つまるところ、簡単にいうと、
高校生のうちから酒とタバコと喧嘩に明け暮れる町一番の不良の鉄平。その鉄平はその日も隣町の不良達と喧嘩。頭や顔から血を流しつつ雨の中バイクを押して帰ると、公園の隅に濡れたダンボール箱、そして中から小さな泣き声。鉄平はバイクを止め、自分の命よりも大切な長ランでその小さな命を包み、大切そうに抱えて家に帰っていきます。そしてその光景をたまたま目撃していた同じクラスのお嬢様のサユリ。
「あら、あれは不良の鉄平君・・・。あ!子猫を・・・」
普段の強面からは想像も出来ないような優しい一面を垣間見て、サユリお嬢様は鉄平のギャップにすっかり参ってしまい、恋の病にかかってしまいます。初めての恋に戸惑うサユリ、それでも事あるごとに鉄平に普通に話しかけるようになります。はじめは戸惑い、反発していた鉄平もサユリの献身的な行動をいつしか受け入れるようになり、二人は惹かれあっていきます。
しかし、サユリはお金持ちのお嬢様。当然家族から猛反発があり交際は認められません。だから高校卒業後、二人はこっそり町を出て二人で暮らし始めるのです。北の大地へたどり着いた2人は、小さな町工場でなんとか働き口を探し、貧しいながらも生きていきます。それでも二人は幸せです。だって、二人は愛し合っているのですから。
小さいけれど笑顔に溢れた新居で二人はついに結ばれます。
それから、朝も夜もなくずっとセック○ス。
もう働いてる時間以外ずっとセッ○ス。
それこそ挨拶のように交わされるセッ○ス。
歯磨きのように行われるセッ○ス。
恍惚とした表情で幸せそうな2人。
幸せなカップルなんて別れろ!ボケが!!
と、ずいぶん話がそれまくりましたが、要はサユリを惚れさせた鉄平のように、普段見せない姿を稀に見せる事で、通常よりも高い効果が期待でき、そこに強い感情が生まれる訳ですね。そしてその強い感情が『生きる』っていう実感を与えてくれるという訳なんです。それがミニスカートとパンツの間にも成り立ってるという訳なんです。
素晴らしいです。素晴らしすぎて手の震えが止まりません。
でね。
その事を含めて、さっき凄く短いスカートを穿いていた職場の女子社員に注意したんですよ。
「~って訳でね、スカートが短けりゃいいってもんじゃないんだよ」って。
そしたら、「良く解らないけど、必死になってる芥川さんが気持ち悪い」なんて言われてしまいましてですね。
その子普段は凄く優しい子なのに、いきなりこんな毒を吐かれてショックうけたりしたのですが、同時に、なんか、こう、普段見れないサディスティックな発言をされると、なんか興奮するものですね。
それはそれで『生きる』って感じがしますね。
サディストもエンターテイナーの資質があるに違いない。