新田恵利の現在がヤバイらしい…介護疲れ?劣化は本当か?

1985年から約2年間、”おニャン子クラブ”は大ブレイク、夕方5時の夕ニャン楽しみでしたね。

グループの元メンバーで、おニャン子の顔として人気を誇った会員番号4番の新田恵利さん!

現在が話題です。

「あの人は今」状態な新田さんですが、現在も芸能界で活動しています。

ネット上は、本人の病気や母親の介護が目につきますね。

気になりますね~。

今回は、元おニャン子クラブの新田恵利さんを話題にしたいと思います。

新田恵利のプロフィール

■本名:長山恵利(旧姓:新田)
■生年月日:1968年3月17日
■出身地:埼玉県上福岡市(旧市名)
■身長:156㎝
■血液型:O型
■学歴:埼玉県立福岡高校卒業
■デビュー:1985年
■所属事務所:オフィスウォーカー

現在56歳。2人兄妹。

おニャン子クラブ初期メンバー。

1985年4月、フジテレビ系「夕やけニャンニャン」に会員番号4番で登場。

同年7月、「セーラー服を脱がさないで」でフロントメンバーとしてデビュー。

1986年1月、「冬のオペラグラス」でソロでビューしヒットを飛ばします。

同年9月、グループを卒業。

1990年3月、作詞家転身を理由に芸能界を引退するも、作詞活動は一切無かったそう。

1993年6月、オムニバスドラマ「映画みたいな恋したい」で芸能界復帰。

同年9月には写真集を発売しています。

私生活では1985年のクリスマスイブに父親が他界。

1996年、「夕やけニャンニャン」の復活放送で出会った当時フジテレビイベント担当だった長山雅之さんと29歳で結婚。

旦那さんは1つ年下だそうで、現在のところ子供はいないようです。

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新田恵利 引退から復帰

「セーラー服を脱がさないで」で華々しくデビューしフロントを飾った新田恵利さん。

当時アイドルの中でも絶大な人気を誇っていました。

デビュー以降グループの顔としてソロでも大活躍。

ぶっちゃけ歌は下手ですが、そんなところもファンにとっては癖になる歌唱力。

そうしてアイドルを満喫する新田さんでしたが、ある日「次のコンサートでお前卒業な」と突如卒業を告げられます(ほとんどのメンバーが卒業を勝手に決められていたそうですね)。

1986年の卒業が転機となり、人気に陰りが出てきます。

そんな中アルバムでの作詞経験を生かし、作詞家を夢見て引退を決意。

(作詞家になりたかったというのは本当だったそうですが、実際は遊びたかった、当時の彼と結婚したかったが理由だったと後に語ってます)

そうして一時芸能界を引退するも、約3年後には復帰されてます。

新田恵利 父親はどんな人?

新田さんのお父さんですが、ソロデビュー1週間前の1985年クリスマスイブに他界しています。

お父さんは1912年の大正元年生まれで、56歳の時に娘の恵利さんが生まれたとか。

とても厳格な方だったそうで、父親との関係性もあまり良くなかったそうです。

そんなお父さんは新田さんが思春期の頃には高齢で、仕事が出来ない体になってしまいます。

また、おニャン子時代には既に父親は肝硬変を患っていたようですよ。

クリスマスイブに容態が急変し、突然亡くなってしまったみたいです。

亡くなった時は73歳だったそうです。

ちょうど多感な時期であり父親を嫌っていた新田さんは、日常的に父娘の会話もあまり無かった頃の急逝。

お父さんの急死により「後悔ばかりが残った」そうです。

そんな新田さんの今が気になりますが、正直現在テレビであまり見ないですよね。

一体どんな活動をしているのかを調査してみました。

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新田恵利 自分の病気と母の介護に向き合う

◆渡辺満里奈と再会!!◆

新田さんを検索すると「母の介護」「病気」とワードが出てきます。

現在新田さんは91歳になる母親の介護を、兄と交代でしているそうです。

お母さんは85歳の時、骨粗鬆症による圧迫骨折で入院。

それをきっかけに全く歩けなくなり、寝たきり生活を余儀なくされます。

その母の介護生活に入る2年前くらいに、新田さん自身に「脳動脈瘤」という病気が発覚。

https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/123/
◆出典:NHKハートネット◆

病気については、2013年放送のテレビ番組で脳ドッグを受診した際、偶然血管にコブが見つかったようです。

介護を始めた3年目くらいまではコブは小さかったようですが、4年後には生命を脅かすほどコブが大きくなったそう。

2016年に無事手術を済ませ、現在年に一度、病院で定期的に検査を受けてるそうです。

記事によると、現状再発の心配はなさそうですよ。

2014年は、神奈川県内の自宅で母親の介護生活が始まってます。

その時自宅を二世帯にし、新田さんの実兄も介護に加わります。

自宅1階は母と兄、2,3階を新田さん夫婦の住居スペースに生活が始まったそうです。

だけど、こうやってお兄さんも一緒なら心強いですよね。

これまで週刊誌やテレビなどで、新田さんの介護の日々を何度か特集してます。

母親が歩けないと分かった時のことや、初めて経験する介護生活に苦悩の日々を送るなど、葛藤を繰り返したみたいです。

身体的にも精神的にもキツイ印象はありますが、介護は経験した人にしか分かりませんよね。

そんな新田さんを救ったのがブログだったそうです。

介護の日常を書き綴るブログは情報源にも繋がり、同じように悩みを抱えた人の声も寄せられるなど、新田さんの心の支えになってます。

そうして現実を前向きに捉え、お母さんを介護する日々の中ある奇跡が起きます。

圧迫骨折から1年後に、なんと要介護4から3へと介護度が改善されたそうです。

すごいですよね。

またこの体験を生かし、新田さんは「おむつフィッター」なる資格を取得し、それによって排泄のケアもスムーズになったそう。

芸能活動に関して現在は個人事務所を設立し、夫がマネージャー担当だそうです。

しかしお母さんは昨年夏に再び圧迫骨折したようで、さらに認知症の症状も出てきたそうです。

ショックですよね。

兄と交代でお母さんの世話を続ける毎日の中、それでも新田さんは精力的にライブ活動など行います。

介護と仕事と病気に向き合い、しっかり将来を見据える姿が印象的でした。

新田恵利の現在をまとめ

6年目に入る在宅介護は、お母さんの認知症の経過も気になります。

主に母と日々を過ごす新田さんですが、介護疲れも感じない見た目は年相応ですし、劇的変化も見られません。

歳を重ねたことを劣化と呼ぶなら、そこに疑問を抱きます。

また来年は新曲リリースに期待大。

https://www.eri-nitta.com/
◆新田恵利オフィシャルサイト◆

新田さんは老後を考え、2017年静岡県の熱海に中古物件を購入してます。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201911/CK2019111702000170.html
◆出典:東京新聞Web◆

そこは高台で、自分たちで理想的に改装中とのこと。

介護が一段落したら旦那さんと2匹の愛犬と共に、”終の住処”にするのだそうです。

さらに世界一周の旅に出るのが夢と語る新田さん。

「最期は桜の木の下に散骨してほしいですね」の新田さんの言葉がヤバくてついホロリ。

介護は大変ですが最大の親孝行かなと思います。

限りあるお母さんとの時間や瞬間を大事に生きてほしいです。

後悔しない、自分のためにも…ですね。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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