現在絶賛上演中の市川海老蔵全国公演『源氏物語』
多くの反響を呼び、現在海老蔵さんは全国を回り公演中でございまする。
その中でも長崎公演には思い入れがあったようですよ。
何故なら “長崎” と “市川海老蔵” には、ゆかり深い縁があったからです。
そのゆかり深い縁とは・・・
今年の2月から始まった全国公演市川海老蔵『源氏物語』が、只今絶賛上映中です。
名古屋の愛知県芸術劇場から始まり、全国18都市を回り最終公演は4月の9日、東京のオーチャドホールで迎えます。
源氏物語は初め京都南座だけでの公演でした。
ですが余りにも反響が良かったもので、急遽全国公演が決まった海老蔵さんの人気演目です。
てか、そもそも源氏物語って皆様わかりますか?
聞いた事はあるとおもわれますが、わからない方の為に簡単にあらすじを説明しますね。
あらすじがわかれば3倍楽しめる!「源氏物語」
簡単に説明すると、超長編の泥沼ラブストーリーです。
天皇の子供として生まれた主人公の光源氏は誰もが羨む超絶イケメン。
このイケメン光源氏が元で様々な男女のトラブルを引き起こすラブストーリーです。
【禁断の愛】
ママ大好きなマザコン光源氏は幼くしてママ・桐壺更衣(きりつぼのこうい)を亡くしてしまった。
ママが大好きだった光源氏はやりきれない想いで日々を過ごしていた。
そんなある日、父(桐壺帝)が他の女性を後妻として取ることになった。
この時の後妻が藤壺の宮(ふじつぼのみや)でした。
光源氏から見た藤壺の宮は、余りにも実ママにそっくりだったため二人を重ね合わせる日々が続く。
時が経ち、やがて光源氏は義母にあたる藤壺の宮を母としてじゃなく女として好きになってしまった。
「それはダメだ!」
とわかっていながらも二人は男女の関係になってしまった。
そして子供までできてしまったのです。
二人の関係は当然許される事はなく、光源氏は物語の舞台である京都を追い出されてしまいました。
【京都への復帰】
光源氏の失脚により京のトップは朱雀帝(すざくてい)が継ぎました。
だがこの朱雀帝トップの京都では次々と災いが起こりました。
まず、右腕として活躍していた右大臣が死亡。
そして朱雀帝本人も謎の病気で視力を失う。
「やはり光源氏じゃなければ…」
と考えた朱雀亭は自らトップの座を空け、光源氏に戻しました。
京に戻った光源氏は、己の権力を最大限に使い、今まで関係を持った女性を一同に集めて住ませたり、藤壺の宮との子を冷泉帝(れいぜいてい)として即位させるなど、順調に身分を上げて行く事に成功しました。
そして、准太上天皇(じゅんだいじょうてんのう)まで登りつめたのです。
【因果応報】
順調かと思いきや恋愛面では上手くいかなかったようです。
光源氏には本妻・紫の上(むらさきのうえ)がいたのですが、浮気心で女三宮(おんなさんのみや)と関係を持ってしまった。
源氏は二人とも好きだった。
“両手に花” と表現して良いのかわからないが、そんな関係が何日か続いた。
だが、そんな関係にもやがて終演が訪れる・・・
光源氏が自分の息子のように育てた柏木(かしわぎ)が、浮気相手の女三宮と関係を持ってしまったのだ。
しかも妊娠までしてしまったと言う。
そして、本妻の紫の上は源氏が浮気をしている事がショック過ぎて体調を崩し、やがて亡くなってしまった。
“二兎を追う者は一兎をも得ず” とはまさにこの事。
あれっ!?どこかで同じような出来事があったような…
と、気付いた方もおられるとおもいますが、、、そうです光源氏が幼い頃にヤらかした事を今度は自分がヤられたのです。
“因果応報” とはこの事を指すのだろう。
そして誰もいなくなった光源氏は世の無常を悟り出家する事になる。
やがて光源氏が亡くなり本編は終了。
以上が源氏物語の本編あらすじです。
市川海老蔵が繰りなす「新・源氏物語」
海老蔵さんは常日頃から、「歌舞伎を世界的に広めたい」と公言してました。
伝統を重んじる日本芸能の “歌舞伎” を今までと同じように演じるだけでは世界的に広める事はできません。
目まぐるしい世の中の流れに飲み込まれない為には常に新しい事に挑戦しなければなりません。
海老蔵さんの今回の源氏物語は、常識を破り今までにない全く新しい歌舞伎に挑戦しました。
融合
初めての試みは融合です。
歌舞伎を他の芸能と融合させたのです。
一つ目は能です。
今までの舞台なら歌舞伎なら歌舞伎だけ、能なら能のみと別々での公演でしたが、今回この二つが融合した舞台となりました。
二つ目はオペラです。
えっ!オペラは日本の芸能じゃないのでは?
と、おもわれた方も多いとおもわれます。
歌舞伎、能、オペラの違う芸能が一つの舞台で演じる事が可能なのか?
私も当初は疑問におもいましたが、すぐに期待へと変わりました。
「海老蔵さんならきっと凄い舞台にしてくれるだろう」と…
そして出来上がったのが今回の新しい歌舞伎「新・源氏物語」なのです。
「源氏物語」全国公演で訪れた長崎は…
源氏物語の説明はこのくらいにして本文に戻りましょう。
今回は海老蔵さんが全国公演で訪れた先の、長崎について興味深い出来事がありましたので調べてみました。
実は市川海老蔵とゆかり深い場所の一つが長崎だったのです。
今から約200年程前の話になるのですが、興行で長崎を訪れた七代目市川団十郎と八代目市川団十郎親子は、今後の子孫繁栄と先祖の供養を願い立て長崎県長崎市の「万寿山・聖福寺」に供養塔を建立したのです。
この長崎市の「聖福寺」とは、国指定の重要文化財や長崎県指定の有形文化財に選ばれる程の門や殿などがあり歴史深い寺です。
さだまさしさんが原作の映画『解夏』のロケ地となった事でも有名です。
聖福寺
所在地:長崎県長崎市玉園町3-77
山号:万寿山
宗旨:黄檗宗
創建年:1677年
八代目市川団十郎と言えば現在の海老蔵さんが「歌舞伎をやってみたい」とおもわせる程の演技をしたとされる九代目市川海老蔵の父にあたる方です。
現海老蔵さんからですと曽祖父になります。
なので長崎は海老蔵さんからするとゆかり深いトコになるみたいですね。
なお供養塔には七代目市川海老蔵、八代目市川団十郎と記されてます。
なぜ供養塔が長崎に建てられたのかは不明ですが、先祖様のお陰で今の海老蔵さんが存在してるのは確かです。
そのお陰で私達ファンも海老蔵さんの演技が見られるのですね。
初代市川海老蔵の墓所
海老蔵さんの先祖について調べて行くと、初代の墓がどこにあるのか気になりついでに調べてみました。
初代市川海老蔵と言えば、後に初代市川團十郎を襲名した江戸時代を代表するほどの人気役者。
今では歌舞伎の舞台でよく目にする「荒事」だが、その荒事の創始者とも言われてます。
だが人気絶頂だった45歳の頃、人生の終わりを告げました。
市村座で『わたまし十二段』の舞台中、役者の生島半六に刺殺されてしまったのです。
あまりにもいきなりな出来事だったので、観客は
「これも芝居の一つなんだ。」
と、勘違いするほどだったと言う。
動機は一説によると、生島半六の息子が團十郎に虐待を受けていたとの話もあるが定かではない。
真相は今でも不明のままである。
そんな悲劇な終焉を迎えてしまった初代市川團十郎の墓所は高野山奥の院にあります。
高野山奥之院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山550
世界遺産にも登録されてる高野山。
観光スポットとしても有名ですが、その中でも空海が入定されたと言われてる奥之院は最高のパワースポットとして有名です。
奥之院までは一の橋から2キロほどあります。
その道の途中には、有名企業の慰霊碑や供養塔などが建ち並ぶお寺にしては珍しい参道が続きます。
そして奥之院には誰もが知ってる有名な戦国武将や歴史上の人物などの墓もあります。
その中に初代市川團十郎の墓もあるそうです。
ここに眠っておられる方が”市川海老蔵”の始まりなんだ?と、考えたら神秘的ですネ。
『「長崎はゆかり深いトコ…」市川海老蔵さんと長崎の関係とは?』・まとめ
今回は海老蔵さんとゆかい深い長崎について調べてみました。
市川海老蔵の供養塔が長崎にあるなんて知らない方も多かったのではないでしょうか?
私も知りませんでした(汗
ファンとしてはまだまだかな…と感じた今回の記事でした。
最後までご覧いただき有難うございます。
長崎イベント紹介
長崎で開催されるイベント情報も載せてますので参考にどうぞ。?
・ガガガSP
4/18、DRUM Be-7(長崎県)
・ファンキー加藤
4/26、長崎ブリックホール 大ホール
・久保田利伸
4/29、長崎ブリックホール 大ホール
・ウイーン少年合唱団
5/19、長崎ブリックホール 大ホール
・加藤登紀子50周年記念 百万本のバラコンサートwithラトビア・リエパーヤ交響楽団
6/12、長崎ブリックホール 大ホール