今やテレビで見ない日はないと言っても過言ではない芸人「有吉弘行」
今回は、有吉さんの周囲の人との関わり(相関図)をまとめてみました。
有吉弘行プロフィール
名前:有吉弘行(ありよしひろいき)
生年月日:1974年5月31日
出身地:広島県
身長:172cm
体重:62kg
血液型:A型^
所属:太田プロダクション
1994年に森脇和成とお笑いコンビ「猿岩石」を結成してデビュー
96年に「進め!電波少年」(日本テレビ)でのヒッチハイクの旅企画でブレイクしました。
猿岩石は2004年に解散し、その後はピン芸人として活躍しています。
先輩芸人
オール巨人(1975年デビュー。19年先輩)
漫才コンビオール阪神・巨人のツッコミ担当。
有吉は、高校在学中に「EXテレビ」(読売テレビ)の「オール巨人公開弟子面接」という企画で合格し、18歳でオール巨人に弟子入りしています。
同時期に弟子入りしたもう一人と喧嘩し、相手を殴ってケガを負わせたため、オール巨人から長期謹慎を言い渡されます。
しかし、巨人には無断で謹慎中に地元の同級生だった森脇和成を誘い2人で上京し、1994年に森脇とお笑いコンビ猿岩石を結成。
後にオール巨人の楽屋に出向き正式に破門となりました。
上島竜兵(1985年デビュー。9年先輩)
ダチョウ倶楽部のボケ担当。有吉とは同じ事務所の先輩芸人。
有吉は、ダチョウ倶楽部の上島竜兵を中心とした集団「竜兵会(りゅうへいかい)」に所属している。
有吉の暗黒時代(仕事のない7年間)を支えた。
有吉にとって上島は一生の恩人。上島が老後、仕事がなくなっても面倒を見ようと、上島貯金を積み立てている。
内村光良(1985年デビュー。9年先輩)
ウッチャンナンチャンのメンバー。
有吉は猿岩石解散後、ピン芸人として内村の番組「内村プロデュース」に出演。久々の全国ネット番組の出演となり復活のきっかけとなる。
有吉によれば自分の復活は正しく「内Pのおかげ」であり、「内Pで再デビュー」といった気持ちでもあったとのこと。
有吉は2008年の『内村さまぁ〜ず』放送回で内村にもらった「1個1個の仕事を大事にして、確実に仕留めていく」という旨のアドバイスを心に刻み、後輩にも同様のアドバイスを送っている
後輩芸人
品川祐(1995年デビュー。1年後輩)
品川庄司のボケ担当。
2007年8月23日放送の「アメトーーク!」にて品川祐(品川庄司)に対して世間が持っているイメージを「おしゃべりクソ野郎」と表現した。これが「おしゃクソ事変」と言われ話題となる。「おしゃべりクソ野郎」は同番組の年間流行語大賞となり、有吉も「久々に爆笑という感覚を味わった」と自賛している。この出来事以来、有吉のあだ名芸と毒舌キャラが認識され、テレビへの露出が多くなり再ブレイクを果たした。
安田和博(1988年デビュー。4年後輩)
デンジャラスのツッコミ担当。竜兵会のメンバー。
有吉がパーソナリティを務める「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」(通称サンドリ)では、アシスタントとしての人気の安田。
数多くいる芸人の中でも、デンジャラス安田と有吉の掛け合いやコメントのサポートが1番だとリスナーに評判となっている。
実際に、サンドリ内で企画された「アシスタント総選挙」において、デンジャラス安田は、3回も1位に輝いている。
その他
森脇和成(1994年デビュー。)
有吉と同じ地元の同級生。
1994年に有吉と猿岩石を結成し、太田プロダクションに所属。
2004年に猿岩石の解散と同時に芸能界を引退する。
高田文夫(1973年デビュー)
放送作家。竜兵会のメンバー。
竜兵会に高田文夫が顔を見せた際、酔っ払った上島に対する有吉のツッコミの面白さを見た高田は自身のラジオ番組に有吉を起用することを決めた。
加地倫三(1992年テレビ朝日入社)
『アメトーーク!』の演出兼プロデューサー。
有吉は加地倫三(あだ名は「オシャレ骸骨」)に対して「(テレビにたくさん出られるようにしてくれた)加地さんと雨さんと品川に感謝です」という感謝のメールを送っている。
夏目三久(2007年日本テレビ入社)
フリーアナウンサー(元日本テレビアナウンサー)
2011年、「マツコ&有吉の怒り新党」に出演し、有吉と出会う。
2021年4月に有吉と結婚したことを発表する。