【出生の秘密】片岡愛之助は歌舞伎出生じゃなかった?
端正な顔立ちで二枚目歌舞伎俳優として知られてる片岡愛之助さん。
2016年には女優の藤原紀香さんと結婚した事でも話題になりました。
そんな愛之助さんですが、世襲制を重んじる傾向にある歌舞伎界で実は歌舞伎一家の出生ではないようです。
今回は”片岡愛之助、出生の秘密”について調べてみました。
歌舞伎役者になるには世襲制が大事?
そもそも歌舞伎役者にはどうやってなれるのでしょうか?
歌舞伎は1609年、京都で始まったとされてます。
その語源は「傾(かぶ)く」と言った世間の流行や常識にとらわれない反骨精神から生まれた『かぶき者』を真似た踊りがルーツとされてます。
現在は日本の伝統として多くの人々を楽しませる芸能の一つとして知れ渡りました。
ではどうやれば、歌舞伎俳優になれるのでしょうか?
現在歌舞伎俳優はおおよそ300人程いるとされてます。
400年の歴史を持つとされてる歌舞伎は、世襲制を重んじ、自分の息子や孫、または血筋を引いたものが代々その家系を継いでるのが一般的で、名跡と呼ばれる芸名を引き継いでます。
例えば現在の市川海老蔵は十一代目になります。
先代にあたる十代目市川海老蔵は実父にあたる故・十二代目市川團十郎でした。
そしていずれは現在の海老蔵が十三代目市川團十郎を襲名するであろうとされてます。
このように子や孫へと家系と名跡が代々引き継がれていくのが歌舞伎の世襲制です。
しかし、歌舞伎家の出生じゃなくても歌舞伎役者になった方もいます。
歌舞伎の世襲制は”血”より”家”
先ほど話した世襲制は、血縁関係は勿論ですが“家”も大きく関わっています。
例えば、子供が生まれなかった場合に、才能がある役者を自分の養子として迎え、その歌舞伎家に弟子入りするというパターンもあります。
だがこの養子として弟子入りするのと、もともとの家柄が歌舞伎だった人ではやっぱり実力の差や偏見があるのではないだろうか?
と、思う方も多いとおもいますがそんな事はなさそうです。
現に養子として弟子入りし、そこから現在でも大活躍されてる役者は大勢います。
その代表的な3人を上げてみました。
五代目坂東玉三郎
有名な歌舞伎役者で言えば五代目坂東玉三郎。
歌舞伎界の女方を背負って立つとまで言われた坂東玉三郎の出生の秘密は・・・
実家は料亭で歌舞伎との繋がりはない家に生まれたが、幼い頃に小児麻痺後遺症のリハビリとして舞踊を習い始めます。
その舞踊の魅力に引き付けられ、また稽古に通ってた縁から十四代目守田勘弥の部屋子となる。
その後、戸籍上で養子縁組となり、五代目坂東玉三郎を襲名。
現在は人間国宝にまで登りつめた。
六代目中村東蔵
女方から脇役までこなせる芸域の広さで知られてる六代目中村東蔵
もともと舞台や映画では主演を務める程の実力の持ち主。
だが23歳の時にその地位を捨て歌舞伎の世界へ。
六代目中村歌右衛門の芸養子となりました。
戸籍上養子ではないが、養子同然に育てられた。
そして1967年現在の中村東蔵を襲名し、2016年に人間国宝に認定されました。
六代目片岡愛之助
そして今回出生の秘密を調べてる片岡愛之助さんも、生まれは歌舞伎家ではないです。
歌舞伎とは無縁の金属製造工場を営む家庭に生まれた愛之助さんは、習い事の一環として受けた松竹の子役オーディションに見事合格。
養成所に通い子役として経験を積んだ愛之助さんは、芸能界入り。
その後は舞台にも出演する。
子役時代は本名で歌舞伎の舞台に出るなど、幼い頃から歌舞伎への関心を示す。
そんな関心の高さを見出され、二代目片岡秀太郎の誘いで片岡一門の部屋子へ。
そして1993年、二代目片岡秀太郎の養子となったことをきっかけに、現在の六代目片岡愛之助を襲名。
襲名の翌年には名題昇進し、その後も数々の賞を獲得するなど歌舞伎役者として活躍を見せた。
だが活躍の場は歌舞伎だけに留まらず連続ドラマにも出演。
そんな愛之助さんを一躍有名にしたのが、ドラマ『半沢直樹』に出演した際のおネエ口調のエリート官僚役。
この役柄は各方面から話題となり、当時は一躍”時の人”として取り上げられる程でした。
現在は女優の藤原紀香さんと結婚し、歌舞伎役者として活躍中。
このように、歌舞伎家の血筋じゃなくても弟子入りしトップ俳優まで登りつめた方も実在します。
要するに、いかに有名な歌舞伎一家に生まれたのではなく、どれだけ努力して頑張ったのか?が、この世界でやっていく上で必要な事になるのではないでしょうか。。。
以上が片岡愛之助さん出生の秘密でした。
片岡愛之助に隠し子発覚!
そして愛之助さんのもう一つの出生の秘密といえば、現在10代後半になる隠し子の事です。
実は5年程前から隠し子騒動はあったのですが、藤原紀香さんとの結婚でまた再熱してきたみたいですね。
愛之助隠し子出生の秘密
愛之助さんがまだ20代半ばの頃、当時大阪の北新地でホステスをしていた「大宮美絵」と知り合いました。
何度かお会いして行く中で、お互いが惹かれていき、お付き合いが始まります。
互いの実家に行ったりと親公認の付き合いだったそうです。
そうして行く中、自然の流れで大宮さんは妊娠しました。
だが当時の愛之助さんはまだまだ無名で駆け出しの歌舞伎役者。
しかも部屋子として片岡秀太郎さんのお世話になってる身分。
認知して戸籍に入れるのであれば仁左衛門さんにも許可を取らないといかない。
当時の愛之助さんにはどうしてもそれはできなかった。
それでも大宮さんは産む覚悟をしました。
そして生まれてきた子を愛之助さんが認知してない為に、隠し子と呼ばれるようになったのです。
以上が愛之助さん隠し子の出生の秘密でした。
隠し子とはその後どうなった?
出生間もない頃は3人で暮らしていたそうですが、次第に仕事が入るようになってきた愛之助さんは家を空ける事が多くなってきます。
そうしたすれ違いから大宮さんとは徐々に不仲になっていき破局。
子供は母親が育てる事になりました。
そしてここ数年この話題が出てきたのは、愛之助さんの結婚と財産分与等によるDNA鑑定を要求されてるなどと発言した事から再熱したもようです。
『片岡愛之助、出生の秘密』・まとめ
今回はラブリンこと歌舞伎俳優・片岡愛之助さんの出生の秘密について調べてみました。
歌舞伎役者は「遊びも芸の肥やし」よく言います。
ですが、その遊びでこの世に生まれてくる、いわゆる”隠し子”も実在します。
そんな隠し子が今も幸せなら良いのですが、自身の出生の秘密を知ったらどう思うのでしょうか?
今回は少し考えさせられる記事になってしまいました。
最後までお読みになり有難うございました。