市川海老蔵の娘は??歌舞伎が女性を禁止にした本当の理由

歌舞伎はなぜ女性禁止なのか?

歌舞伎って男性しかやってはいけないって知ってました?

たしかに市川海老蔵や松本幸四郎など代々の歌舞伎一家に生まれ、歌舞伎役者になってる人って全員男性ですよね。

しかし歌舞伎一家に生まれるのは男性だけではありません。

たとえば、松たか子とか寺島しのぶだって歌舞伎一家に生まれました。ですが、歌舞伎役者にはなってません。女性だからという理由で…

なぜ女性は歌舞伎役者にはなれないのでしょうか?

ん、でも市川海老蔵の娘って舞台に出てましたよね…なんで?

今回はその理由についてまとめてみました。

市川海老蔵の娘が舞台へ

妻である小林麻央さんが病気で亡くなってからは、親子3人で力を合わせ生活をしてきたという市川海老蔵一家。2020年に本格的に対策する必要が出てきたコロナ禍での舞台が、新しい取り組みとして行われた『初春海老蔵歌舞伎』でした。

自らの名を冠した公演は1月17日に千秋楽を迎えました。

東京で長期公演を打ったのは一年ぶりであり千秋楽はオンラインで有料配信するなど、新しい取り組みなども積極的に取り入れられたが特徴です。

これは従来の公演とは異なり、新型コロナ対策のため新橋演舞場の客席は約700席と約半分の席数しかない状態だったためであり、そこで歌舞伎開発の試みとして17日の千秋楽をHuluStoreで生配信し、視聴チケットの金額も二等席よりも安い3,500円に設定したことにより誰でも気軽に視聴できる環境を整え、歌舞伎界に新風を吹き込もうとする試みです。

そして本公演で注目されたのが、市川海老蔵のである4代目市川ぼたんを襲名した長女の麗禾(れいか)が公演の一つである藤娘で藤の精を務めたことです。

この演目は20分程度の小品であり、藤の精が恋の歌に合わせて踊ることが特徴で歌舞伎の中でも非常に人気のある演目です。

実際に海老蔵自身も麗禾(れいか)本人の踊りの技術は申し分なく、と称賛し9歳で藤娘を踊ることは史上初として注目されていました。

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市川海老蔵の娘はなぜ出れた?

しかし、本来歌舞伎の世界では女性が舞台に上がることを禁じられていたことや、松竹の歌舞伎においてこの演目を女性が演じたことはなく、そういった点でも非常に異例な公演になったとことも大きく話題になりましたね。

海老蔵自身は歌舞伎も男と女で差別する必要はないという思いが根底に持っていて、自分の妹が3代目市川ぼたんを襲名したのは27歳と時間がかかってしまったことを目の当たりにしてきたこともあり、娘を4代目市川ぼたんを襲名させたのが8歳の時であったのは我が子を少しでも早く襲名させ、勸玄くんと一緒に早く芝居をしたいという思いがあったからといわれています。

そして今回の新橋演舞場で出演を行ったのは、いずれ娘自身を歌舞伎座に立たせようと外堀を埋め、経験を積ませていることがわかります。

歌舞伎が女性禁止の理由

そもそも何故歌舞伎の舞台には女性が立てないというのと、男性による女方が誕生したのでしょうか?

それは歌舞伎自体が1603年の出雲の阿国が創始したことがきっかけでした。

阿国の傾き踊りが評判になるにつれて、遊女が踊る女歌舞伎が流行するのですが、興行後に売春が横行したことにより1629年に徳川幕府が女歌舞伎を禁止したのです。

これが直接の理由となってます。

また、成年前の美少年による若衆歌舞伎が登場するも、男色は風紀を乱すとして同じく禁止され、現在の成年男子が演じる野郎歌舞伎が登場し、男性が女性を演じる女形が確立されたのでした。

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今後は変わって行くかも…

様々な困難があり、乗り越え新しいものを産んできたのが歌舞伎であり、伝統芸能であることにあぐらをかいていては生き残っていけないと考え、先代から引き継がれた考えを元に市川家では女性を舞台に上げる取り組みを行ってきた歴史があります。

歌舞伎は多様に発展してきたものだから、色々な形があっていいという思いや伝統を受け継ぐ重要さを両立していくことが重要だと考えられて今後も発展していくでしょう。

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