父親は銀行員…..初代中村獅童が歌舞伎役者を廃業したワケとは?

【中村獅童の父親が歌舞伎役者を廃業したワケ…】

出会いから5年、先日豪華な結婚披露宴をした事でも話題になった歌舞伎役者の中村獅童さんと元読者モデルの足立沙織さん。

母親の小川陽子さんがお亡くなりになり、悲しみに打ちひしがれる獅童さんを暖かく見守ってくれたのが結婚相手の沙織さんだったそうです。

披露宴ではそんな事をおっしゃってましたね。

そんな獅童さんの母親に関しましては生前度々メディアに取り上げられてた事もあり情報があるのですが、では獅童さんの父親はどんな方だったんでしょうか?

今回はそんな疑問から”中村獅童父親“について調べてみる事にしました。

一部情報によると歌舞伎役者を廃業し、銀行員だったとの事なんですが実際はどうなんでしょうか?

また、世襲制を重んじる歌舞伎の世界で”親”または”師匠”がいない中、獅童さんはどうやって歌舞伎界で活躍する事ができたのでしょうか?

詳しく調べてみました。

現・中村獅童の父親、初代中村獅童とは?

初代中村獅童

屋号: 播磨屋

本名: 小川 三喜雄(おがわ みきお)

生年月日: 1929年9月28日・没79歳

三代目中村時蔵の三男として東京に産まれる。

小川家は伝統ある歌舞伎一家で長男が二代目中村歌昇、次男は父の時蔵を受け継ぎ四代目中村時蔵、そして三男が初代中村獅童、四男が後に大ヒット映画スターとなった萬屋錦之助、五男は同じく映画スターとなった中村嘉葎雄

2008年10月11日に胃ガンのため死亡。

享年79歳でその生涯に幕を下ろしました。

そんな初代中村獅童はナゼ歌舞伎役者を廃業したのか?

廃業後に影響したとされる弟の萬屋錦之助とはどんな人物なのでしょうか?

初代中村獅童の生涯について調べてみました。

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初代中村獅童ヒストリー

現・獅童さんの父・初代中村獅童の歌舞伎を廃業した理由からその後の活動までを見ていきましょう。

歌舞伎役者を廃業したワケ

歌舞伎一家に生まれた三喜雄(初代中村獅童)は小さい頃から父親の三代目中村時蔵に歌舞伎役者としての芸を教え込まれてました。

五人兄弟という事もあってか、たまには意見の食い違いで喧嘩になる事もしばしば…

ですが時には助け合ったりと男兄弟ならではの生活の中で過ごした。

三喜雄は特に四男の錦一(後の萬屋錦之助)とは仲が良く、錦一が後に出版した自書伝にも書いてあるほどだという。

屋号: 播磨屋(萬屋)

本名: 小川 錦一(おがわ きんいち)

生年月日: 1932年11月20日・没64歳

中村 錦之助(なかむら きんのすけ)として歌舞伎役者。

また映画・テレビの時代劇俳優。

映画・舞台制作会社中村プロダクション社長。

愛称は萬錦(よろきん)。

東映俳優労働組合委員長。

錦一は兄弟の仲では飛び抜けて役者としての才能があり、その才能をいつも間近で見ていた三喜雄は

「自分は役者には向いてないのではないか?」

との違和感を抱くようになってきました。

18歳になった三喜雄はまだ役者としての実感がなく

「このまま続けていっても大丈夫なのか?」

と将来に対しての焦りや不安を日に日に増す一方だった。

そんなある日、大変な出来事が起きてしまいます。

大好きだった弟の錦一の芸風に対して、

「なんだお前のその芸は」や、「それでも時蔵の息子なのか」

などと叱りつけてきた大御所の役者がいました。

錦一はショックを受けると同時に大御所ゆえ、反発できない苛立ちにじっと我慢するしかなかった。

その時だった。

そんな時だった。

そんな光景を間近で見ていた三喜雄は、大好きな弟が罵倒されてるのを我慢できず、その大御所役者に対し自分が役で着用していたカツラをおもいっきり投げつけたのだ。

世襲制を重んじる歌舞伎界で先輩役者に反発するなんて当時は考えられない事でした。

これに対し大御所の役者は怒り狂い、三喜雄を二度とこの世界では生きて行けないようにしてしまったのです。

だが三喜雄は当時、若さもあったゆえに

「なら、辞めるわ(怒」

とあっけなく歌舞伎役者を辞めてしまったのです。

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父・初代中村獅童は銀行員?

辞めた当初の三喜雄は、歌舞伎役者は自分には向いてないと気づき始めた頃だったので未練も全くなかったと言う。

辞めた後は歌舞伎とは全く無縁の“銀行員”として務める事となる。

なぜ銀行員を選んだのかは不明だが、全く別の道に進みたかったのではないかと考えられる。

「中村獅童・父親」と検索すると「銀行員」と出てくるのは、どうやらこのような事実があったからなんだろう。

父・初代中村獅童その後…

三喜雄が特に仲が良かった兄弟として先ほどもお話しましたが、その弟の萬屋錦之助が映画界からのオファーを受けました。

その役が、なんとあの美空ひばりの相手役だったのです。

だが梨園は、映画界に役者を取られて行く不安からこれを拒否していたのだったが、錦之助達五人兄弟は当時歌舞伎役者として鳴かず飛ばずといい役に付けず鬱屈していた頃だった。

そんな時の大物女優の相手役としてのオファーだった。

生活の為にも将来の為にもせっかく来たチャンスを逃したくなかった錦之助は、

「映画に行くなら歌舞伎には戻るな!」

と散々言われたにもかかわらず、歌舞伎界に戻らない覚悟でこのオファーを受けたのです。

その時の作品がこちら、

 

『ひよどり草紙』(ひよどりぞうし)は、吉川英治の小説。

1927年8月に講談社から刊行された。

その後、4度にわたって映画化されている。

1954年に公開された同作品4度目となる作品で美空ひばりさんと共演デビュー。

5兄弟からは錦之助だけではなく弟の賀津雄も続いて映画界入りする。

そして銀行員だった三喜雄は弟達をバックアップする為に銀行を辞め、映画プロデューサーとして一緒にやっていく事となりました。

その後の錦之助の活躍ぶりは見事なもんでした。

時代劇、映画と数々のヒット作にも恵まれ、大映の市川雷蔵と共に、時代劇若手二大スターとして映画界に君臨しするほどだったという。

今では”伝説の映画スター”だったと話す人もいるらしい。

こうした活躍ぶりも、銀行員から転身した兄のサポートがあったからだったのではないでしょうか。

伝統ある歌舞伎一家の小川家に生まれながらも、五人のうち三人が梨園を離れるという結果になってしまいました。

歌舞伎一家に生まれたからといっても将来歌舞伎役者になるとは限らないみたいです。

むしろ自分の好きな道に進んだ方が上手く行く場合もありますものね。

今回調べてみた方々がいい例でした。

“親”がいない二代目中村獅童

世襲制を重んじる歌舞伎の世界では“親”“師匠”がいないと歌舞伎役者としては無理であろうとされてます。

獅童さんにとって実際の父親は存在してたのですが、歌舞伎を廃業しているために梨園の父親はいない事になってました。

その状態から獅童さんはどのようにして今の地位まで登りつめたのでしょうか?

本名: 小川 幹弘(おがわ みきひろ)

生年月日: 1972年9月14日・現51歳

血液型:O型

身長・体重:177㎝・63kg

父・初代中村獅童と母・陽子の結婚10年目でやっと生まれた待望の跡取り。

おおらかな子に育って欲しいとの母からのおもいで、幼い頃からストリップなど多種多様の舞台を観に行ったという。

本人が6歳のころ日本舞踊を始め、自ら歌舞伎役者になりたいと申し出た。

そして8歳の頃歌舞伎座で初舞台。

歌舞伎役者として始めたのはいいものの父親が廃業している為、師匠不在のままのスタートとなった。

その為身の回りの世話は全て母親が担当していた。

中学生になった獅童さんは歌舞伎とは真逆のロックバンドを結成し活動していく事になります。

歌舞伎役者は開店休業状態だったのだが、19歳の時再び歌舞伎役者として活動する事を決める。

歌舞伎の屋号はあったのだが、親・師匠が不在のため、後ろ盾がない獅童さんはいい役が貰えずにいた。

悪い言い方をすれば、歌舞伎役者は”親の七光り”でいい役が貰えたりもする。

もちろんそれだけではなく実際の演技力も必要だが、

「どこどこの息子さん」

と言う事で主役級で舞台に立つ事ができるのも事実です。

だが獅童さんはそんな七光りが全くない所からのスタートだった。

歌舞伎以外でも色んなオーディションに出ては落ち、出ては落ちの日々が続く。

やっと受かった映画でもエキストラ並みのちっさい役ばかり。

それでも獅童さんは諦めなかった。

そして29歳の時、やっと主役級の役に受かった。

それが獅童さんを一躍有名にした映画『ピンポン』でした。

この役で獅童さんは、日本アカデミー賞・映画新人賞などの新人賞を多数獲得し知名度を上げました。

その後大ヒットとなった映画『いま、会いにゆきます』でも主役を演じ、今では中村獅童の名前を知らない人はいないであろうぐらい有名になりましたね。

獅童さんはここまで並々ならぬ努力をしました。

そして現在は、市川海老蔵や中村勘九郎などの若い世代のこれからの未来の歌舞伎界を背負って立つ歌舞伎役者の一人である事には間違いないだろう。

『父親は銀行員…..初代中村獅童が歌舞伎役者を廃業したワケとは?』・まとめ

今回は中村獅童さんの父親がナゼ歌舞伎役者を廃業し銀行員になったのかとその後の活躍ぶり、また親がいなかった獅童さんがここまで有名になれた理由について調べてみました。

世襲制を重んじる歌舞伎界ですが、必ずしも歌舞伎を受け継ぐわけではなく、また必ずしも親がいないと有名な歌舞伎役者になれないワケではない事がわかりました。

再婚もし、今幸せの絶頂期にいる中村獅童さん。

今後の活躍に期待です。

今回も最後までご覧頂きありがとうございました。

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