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サーモスのタンブラーと水筒がすごい!真空断熱技術を解説

飲み物を飲むときに必要なのがコップ。

最近では、飲み物の冷たさ、温かさがキープできるタンブラーが人気です。

中でもサーモス(THERMOS)のタンブラーの人気が高く、沢山の人の愛用されています。

サーモスのタンブラーや水筒には、真空断熱技術が使われており、高い保温性、保冷性があります。

今回は、サーモスのタンブラーや水筒に使用されている真空断熱技術について紹介します。

熱や冷気を逃がさない2重構造

サーモスのタンブラーや水筒は、熱々の飲み物をいれても外側が熱くならないので手で安全に持てますし、冷たい飲み物を入れても外側が結露しないのでテーブルを汚しません。

これはサーモスのステンレス製の魔法びんが、外びんと内びんの2重構造の容器になっているからです。
外びんと内びんの間は宇宙空間と同じ、高真空状態になっています。

高真空状態は、熱を伝える気体分子がほとんどないため、熱が外びんまで到達することがありません。

また、内びんの外側に放射率の小さな金属箔を巻きつけていて、熱放射による放熱を防いでいます。
これが、ステンレス製魔法びんの高い断熱効果の秘密となっています。

熱移動による放熱の遮断

魔法びんはステンレスの2重構造で、外びんと内びんの間を真空状態にしています。真空は宇宙と同じで、熱を伝える気体分子がほとんどないため熱を伝えません。

熱放射による放熱の遮断

内びんの外側に金属箔を巻きつけることで逃げようとする熱を反射させ、熱放射による放熱を防ぎます。

1重構造と2重構造では、保温力・保冷力が大きく異なります。
長時間の保温や保冷には真空断熱の魔法びん構造が圧倒的に有利です。

上記図のように、通常の1重構造のやかんでは時間経過とともに温度は急激に下がっていきますが、サーモスの2重構造ステンレスポットの場合はその減少が緩やかで、長い時間たった後でも温かさをキープしています。

保冷に関しても同様で、サーモスの製品なら長時間冷たい状態をキープすることが可能です。ガラスコップと時間経過の温度差を見るとこんなにも違います。(上記図)

高い保冷力があるので、氷が長持ちします。時間がたっても氷が溶けにくいので飲み物の味が薄まりにくく、最後まで美味しく頂くことが可能となっています。

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安心できる徹底した品質管理

サーモスのステンレス製魔法びんは、はじめに高度な金属加工によって作られた二重構造の容器を大型の真空チャンバーの中に入れ、1/1000万気圧以下という高真空状態の中で二重構造の底の封止穴をふさいで作られます。

さらに容器をそのまま2~3週間保管して、製造後に発生しやすい真空不良を発見するエージング工程や、その後に保温性能を全数検査するなど、厳しい品質管理を実施しています。

この高度な技術と厳格な管理こそ、サーモスが高い人気を誇る理由です。

最初に魔法瓶を発明したのは誰?どのような経緯で発明されたの?

冷たい飲み物は冷たいまま、温かい飲み物も温かいままと、長時間の保冷・保温が効く魔法瓶は今やどの家庭にもあるのではないでしょうか。

特に暑すぎる夏は、熱中症予防のために水分補給をしっかりしなくてはいけません。そのためいつでも冷たいお茶や水が飲めるように、魔法瓶の水筒を持っている人も多いでしょう。
冬も、魔法瓶の水筒に温かい飲み物を入れて持っていれば、どこでもいつでも温かい飲み物を飲むことができますね。

魔法瓶の技術はタンブラーといわれるコップにも利用されていますが、最初に魔法瓶を考えた人ってすごいと思いませんか。

そこで世界で初めて魔法瓶を発明した人のことや、日本での魔法瓶の歴史について触れてみます。

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世界で初めて魔法瓶を発明した人は誰?

1881年にドイツのアドルフ・フィルディナント・ヴァインホルトという人が、液化ガスを保存するために二重のガラス瓶を作り、その二つの瓶の間に真空の空間を作ったことがきっかけとなります。

イギリスの科学者で物理学者でもあるジェームス・デュワーという人が、液化酸素を保存するために、1873年(日本では明治6年のころ)に、金属の容器を二つ重ね、その間を真空にしたものを作りました。
その後他の物理学者たちも、ガラス容器を使ったり様々な実験を重ねていました。

そして1892年に、デュワーは内側のガラス容器に鏡のような銀メッキを施したところ、高い断熱効果があることが分かりました。それが世界で最初の魔法瓶の発明で、「デュワー瓶」と呼ばれたものです。

そのデュワー瓶が世界で一番最初に発明された魔法瓶で、現在の魔法瓶も同じ原理で作られています。

その後1904年にドイツのブルガーという人が、そのデュワー瓶をドイツで初めて家庭用の保温保冷器具として商品化し、「熱」を意味する「テルモス(サーモス)」という名で販売しました。それからはイギリスでも工業製品化されて、販売するようになりました。

日本で魔法瓶が作られるようになった経緯

日本に「テルモス(サーモス)」が入ってきたのは、1907年9月のことです。ドイツから輸入されてきました。
東京日本橋の「金丸鉄砲店」という会社が初めて魔法瓶の広告を出し、伊藤喜商店、ドイツのサーモス社からも広告が出されたことで、どんどん普及していきました。

そして日本でも製造をするようになったのですが、一番先に国内産の製造を手掛けたのは大阪の電球を製造していた会社で、1912年のことでした。
大阪には電球作りなど、優秀なガラス職人がたくさんいました。ガラスの製造には真空技術が必要なので、魔法瓶の製造に生かすことができたのです。

ところが国産の魔法瓶は高価だったため国内ではなかなか売れず、製造数の9割は水質の悪い東南アジア等へ輸出されていました。
もともと東南アジアはヨーロッパの魔法瓶を輸入していて、魔法瓶は生活の必需品でした。しかし戦争でヨーロッパの魔法瓶が輸入できなくなったことから、日本の製品を輸入するようになったのです。

そこで大坂ではたくさんの電球会社等が、魔法瓶作りを目的とした会社を設立していきました。
現在でも魔法瓶で有名な象印マホービン㈱会社が「市川兄弟商会」という会社名で設立されたのも1918年のことです。当初は中瓶の製造のみ行っていましたが、魔法瓶の製造をするようになっていきました。

タイガー魔法瓶株会社は1923年2月に設立され、当初は「タイガー」ではなく「虎印」という社名でした。
タイガー魔法瓶は、東京のとある店に100本納品し他の製品と同じように倉庫に保管してあった時に関東大震災に遭いました。その大きな揺れで倉庫にあった魔法瓶たちは次々に壊れましたが、虎印の魔法瓶だけは100本すべて無傷だったというエピソードがあります。

会社にマークが作られたのも、魔法瓶の輸出をスムーズにするためでした。象印ならゾウのマーク、虎印なら虎のマークをそれぞれつけることで、言語の違いがあってもスムーズな輸出ができたからです。

魔法瓶の製造は、戦時中に一時中断をしたものの、戦後はすぐに復活して携帯用から卓上用など様々なタイプの魔法瓶が作られ、輸出だけでなく国内でもたくさん売れるようになりました。
時代の流れとともに様々なデザインのものや機能をつけた魔法瓶が続々と登場して来たのです。

ステンレス製の魔法瓶が登場、ガラス生徒の違いは?

現在よく使われているステンレス製の魔法瓶は、1978年に開発されました。

今ではガラス製のものとステンレス製のものが両方販売されていますが、どのような違いがあるのでしょうか?

まずはガラス製の魔法瓶には、「重い」「衝撃に弱く割れることがある」「ステンレス製より水や湯の味が変わらない」という特徴があり、ステンレス製には「軽い」「丈夫」「湯赤・水垢が付きやすい」という特徴があります。

持ち歩くために使う場合は、重かったり落として割れると大変なのでステンレス製が適しています。家でずっと置いて使うようなポットなら少々重くてもよく、落として割ることも少なく、それより長時間水や湯の味が変わらない方が良いので、ガラス製の魔法瓶がおすすめですが、それぞれの好みで選ぶと良いでしょう。

 

まとめると、魔法瓶を最初に発明したのは、デュワーという人でした。
液化酸素を保存するために考案されたことが始まりでした。

日本に輸入されてから間もなく、日本でも国内製造が始まったのですが、「お湯が冷めない」「冷たい水ぬるくならない」という本当に魔法のような瓶が、当初は日本で売れず輸出ばかりしていたということも驚きでした。

今では特に暑すぎる夏、いつでも冷たい水やお茶が飲める魔法瓶はありがたい商品ですね。

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