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リア充じゃなくても問題ない。オードリー若林正恭『ナナメの夕暮れ』は人付き合いが苦手な人ほど読んでほしい一冊!

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オードリー若林氏が雑誌「ダ・ヴィンチ」での連載に、大幅に書き下ろしエッセイを加えた、ナナメの夕暮れを読みました。

人見知りや人付き合いが苦手な人にとっては無茶苦茶頷ける内容でしたので、一部ご紹介していきます。

ナナメの夕暮れ

内容紹介

オードリー若林、待望の新エッセイ集!
『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』から3年。
雑誌「ダ・ヴィンチ」での連載に、大幅に書き下ろしエッセイを加えた、「自分探し」完結編!

ゴルフに興じるおっさんなどクソだと決めつけていた。
恥ずかしくてスタバで「グランデ」が頼めない。
そんな自意識に振り回されて「生きてて全然楽しめない地獄」にいた若林だが、四十を手前にして変化が訪れる――。

ゴルフが楽しくなり、気の合う異性と出会い、あまり悩まなくなる。
だがそれは、モチベーションの低下にもつながっていて……

「おじさん」になった若林が、自分と、社会と向き合い、辿り着いた先は。

キューバへの旅行エッセイ『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』では第三回斎藤茂太賞を受賞。
「生き辛い」と感じている全ての人に送ります。

引用:あらすじより

 

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進んで孤独を選ぶ

相方とのネタ作り以外は散歩をしているか家で本を読んでいた。その行動パターンを繰り返すことは、プライドが高く、その割に打たれ弱い、だが影響され易い、そんな自分の防衛策だったのだろう。

私も若い頃は特定の人以外と距離を縮めなかった。一人でいることが楽だからという以外の理由を探せば防衛策以外見当たらない。

 

一人好き

一人でどこかに行った話をすると「寂しくないの?」と聞いて来たりする。挙げ句の果てには「他人に自分を開かないと成長は無いよ」とか言う。こっちは自分なぞを開いたら、未来が閉じてしまうぐらいに内面が腐っている。だから、閉じているというのに。
〜略〜
自分の行きたい所に行きたくて、他人の行きたい所に付き合うということに耐えられない。そして、自分の行きたい場所に他人を付き合わせることには後ろめたさがある。

読みながら何度も頷いてしまった箇所。自分が楽しい・関心あると考えていても、一緒にいる相手はそのテンションじゃないのかなぁと気付き始めると、より一人を選んでしまいがち。

 

一人で居てもあまり寂しくないのは、自分と話しているからなのだ。
〜略〜
ぼーっとしている人は何も考えていないんじゃない、猛烈に自分と会話しているのだ。

こうすることで相手から「話聞いてる?」とは、こちらも何度も経験してきた。自己中・B型・ゴリラ。何を言われても仕方がないが、話す言葉より、心の中で話している言葉の文字数が多いのも理解できる。

 

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違和感の正体

なぜ相談もされていないのに「野心や欲望が無いとダメ」と他人に言いたくなってしまう人がいるのだろうか。自分の生き方に自信が有り過ぎるのだろうか?それとも無さ過ぎるのであろうか?

【会社員はダメでフリーランス最高!族】に感じる違和感に似ている感情だ。ちなみに、フリーランスのほとんどは最低限の情報発信しかしておらず、会社員をディスることもない。下手にブロガーとして認知度を上げてしまうと、キャラ作り・過去の怨念のために会社員ディスしてるだけなんだろうなぁと考えるようにしている。とはいえ、社畜はクソだよねw

 

若い時にとんがっている理由って男性ホルモンのせいもあるんじゃないのだろうか?と思った。今の自分があまりイライラしなくなったのは、精神的に成長したからという意識は希薄だ。

なんだか、若い時って胸の真ん中に巨大なイライラがあってそれがもう渦巻いちゃってしょうがなかった。
〜略〜
とにもかくにも、ぼくはあんなにもイライラが体の中に渦巻いていた頃より今の方が全然楽です。

男性ホルモンという認識はなかったけど、良いエネルギーも悪いエネルギーも、20歳前後の頃より落ちた原因はこれかもしれない。ホルモンバランスなんて気にしたことなかったけど、この章を読んで考えさせられた。

 

おじさん化

「絶対おっさんになってもそんなことやらねぇよ」と若い時には鼻で笑っていたことを37歳になって全部やっていることに気付く。

最近でいえばゴルフ。森林を伐採して造ったコースを我が物顔で歩きながら「空気がおいしいね〜」なんて言うのは俗物のブタ野郎がやることだと若い時は決めつけていた。今はまんまとやっている。
〜略〜
流行っている若いアーティストの曲を一応しっとかないといけない気がする。なので聴いてみたりするのだが、まったくついていけない。すぐバンド名は忘れるし、歌われているいることがピンとこなくなってしまった。
〜略〜略
アイドルがみんな同じ顔に見えるという現象も始まっている。ハナから見分ける気持ちがないのだ。

若い時は流行りに乗っていたか?と聞かれればイエスではないが、歳を重ねて新しい流れに全く乗ろうとしない気持ちは同感。流行りの歌は分からないし、YouTubeやInstagramのライブ配信、TikTokなどついていけないし、無名のおっさんがライブ配信しても需要がない。(とはいえ、古川優奈さんの新着だけは追うぐらいの気持ち悪さは残してる)

アイドルも同様だ。グループのメンバーの名前が全く覚えられない。乃木坂46が好きなんだけど、白石麻衣、西野七瀬、齋藤飛鳥、松村沙友理、生田絵梨花、若月佑美、秋元真夏、星野みなみ、桜井玲香、大園桃子ぐらいしか知らない。

 

若者との接し方

未だに人見知りというイメージが消えないぼくだが、最近周りの環境の変化に驚くことがある。共演者やスタッフに年下が多くなってきたのだ。マネージャーも現場では全員年下だ。となると、こっちの方が経験があるから知っていることも多い。当然、こっちから話しかける頻度は増える。そんな状況で人見知りなんて成立しないのだ。若者は社会のゲストで、おっさんはホスト。昔のぼくは、お客様だから人見知りなんてしてられる余裕があったのだ。

人見知りしている場合じゃないというのは確かにある。気づけば周囲は年下だらけだ。私より年下にも関わらず、社員100名以上抱えている社長さんに会ったことは一度や二度ではない。

どこへ行っても「え!?無茶苦茶若いじゃないですか!!?」なんて、おっさんの定型文を発する機会が増えてきたなと。また、「人見知りなんですよ…」とは、言い辛い年頃だ。

 

外へ

“絶望に対するセイフティネットとして、趣味は必要である!そう確信している。

そして親父が死んでからは本格的に冷笑・揶揄は卒業しなければならないと思い始めた。死の間際、病室で親父が「ありがとな」と言いながら痩せこけた手で母親と握手している姿を見たからだ。その時にやっと、人間は内ではなく外に向かって生きたほうが良いということを全身で理解できた。教訓めいたことでもなくて、内(自意識)ではなく外に大事なものを作ったほうが人生はイージーだということだ。外の世界には仕事や趣味、そして人間がいる。内(自意識)を守るために、誰かが楽しんでいる姿や挑戦している姿を冷笑していたらあっという間に時間は過ぎる。だから、僕の10代と20代はそのほとんどが後悔で埋め尽くされている。

30代後半になって、より1年が短く感じるようになった。感じるようになったのは仕方ないけど、振り返った時、ネガティブなことしか思い出せない生き方はしたくない。電車内で他人と喧嘩する人、会社で誰かの悪口を肥やしにしている人、ネットで誰かを攻撃しないと存在価値を見い出せない人。

いつか明智君が言っていた。

明智君:学生の頃と違ってさ、今は『楽しいことしよう!』って思わないとできないよね…

どうせなら楽しくありたい。

流れに乗れない理由

昔から言っているのだが、他人の目を気にする人は“おとなしくて奥手な人”などでは絶対にない。心の中で他人をバカにしまくっている、正真正銘のクソ野郎なのである。その筆頭が何を隠そう私である。
〜略〜
価値下げによる自己肯定は楽だから癖になる。

ハロウィンの仮装、バーベキュー、海外旅行など、それらをSNSでコソコソと価値下げ攻撃をしていれば、反撃を食らうこともないし自分がそういうムーブメントに流されない高尚な人間のような気分も味わえる。
〜略〜
何でも“みっともない!と片付けて、自分は参加しなかった。そうやって他人がはしゃいでいる姿をバカにしていると、自分が我を忘れてはしゃぐことも恥ずかしくてできなくなってしまう。

周りなんて誰も見てないが、妙な気恥ずかしさを感じ、バカにする側に回る気持ちは痛いほど理解できるし、今もそうだ笑。会社で飲み会する度、アホみたいに写真を撮ってはシェアする文化が自分には根付いていない。

“自意識過剰のせいで、自分が本当に楽しいと思うことに気づいていない”という予感がした

メンタルブロックの問題はある。3年前、ジムでダンスのレッスンに参加してみたら無茶苦茶面白かった。インストラクターが凄い可愛い人だったので参加してみただけだが、その後インストラクターにハマって毎週参加することに。

結局はやってみないと分からないのだ。やる前からああだこうだ決めつけて可能性を打ち消す行為は控えていきたい。

 

体力の衰退

「おじさんになって体力がなくなると、悩むことができなくなるんだ」

近頃番組でスベっても気にしないのは、どうやらメンタルが強くなったのではなくて体力がなくなったからなのかもしれない。

20代の頃、今の自分ぐらい失敗したことを気にしなければもっと楽しく過ごせていたのかもしれないと悔しくなった。

20代の頃は寝ても冷めなかった不安や不満も、最近は寝るか別のことしていれば気にならなくなった。「体力がなくなったから」と言われると妙に納得がいく。他人が楽しむ姿をディスる価値下げによる自己肯定も、体力が有り余っていたのだろう。

自意識過剰な人間は、歳を重ねると楽になって若返る。

いいフレーズ。若くなっている印象はないけど楽さはある。例えば、20代で実家暮らしをしていた頃、有給等で平日に家から出た際に妙な気恥ずかしさ・近所の人はどんな目で見ているか?なんて自意識過剰以外何者でもない。

 

素直に

親父が死んでから、自意識と自己顕示欲の質量が急激に減った感覚があった。

そして、“会いたい人にもう会えない”という絶対的な事実が“会う”ということの価値を急激に高めた。

誰と会ったか、と、誰と合ったか。

俺はもうほとんどの人生は“合う人に会う”ってことで良いんじゃないかって思った。

先月、地元の同窓会が開かれたが、参加しなかった。元同級生を否定している訳ではない。SNSで好き勝手に投稿してくれても何も思わない。でも、私にとっては“合う人”達ではないんだろうなということ。実際にLINEで送られてきた写真を見て「あゝ参加しなくてよかった!」って心から思った。心から。

まとめ

パリピと言われる人達、自身の日常をインスタにアップし続ける人達、宅飲みなのに10人以上集められる人達、用事なくても集まる人達、ナイトクルージングを楽しむ人達、特設アイススケートリンクを滑るカップル、ちょっとしたパーティー用ドレスを何着も持ってる人、結婚式で主役から主役の座を奪おうとする人…。私はこんな人達があまり好きではなく、今後も好きになることはないだろう。

それでも、その人達はその人達、自分は自分でいいなぁと。まあ、地元の同窓会には絶対に行かないけどね。絶対に。

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