現代でも多くの人に読み親しまれるニーチェの名言をご紹介。
▼フリードリヒ・ニーチェ
フリードリヒ・ニーチェは、ドイツの哲学者として知られていますが、先祖はポーランドの貴族だったと公の場で主張しています。
ニーチェは少年の頃父を亡くし母親に育てられます。
青年期にはすでにその知性が評価される一方当時のドイツではありえない、神学を学ぶ事を辞めるという異端ぶりも見せています。
24歳の頃、その若さにしてバーゼル大学教授を務め、当時プロイセン国籍だったニーチェはスイス国籍を取得したいと考えプロイセン国籍を破棄。その後結局スイス国籍を取得していないので、以後無国籍者となる。
その後哲学者として数々の著書を出しました。
▼フリードリヒ・ニーチェの名言
人生を危険にさらせ。
同情するものは自分は強者であると信じている。だから助けることができるとあらば、すぐにでも介入したくなる。
あなたにとってもっとも人間的なこと。それは、誰にも恥ずかしい思いをさせないことである。
誰も学ばない、誰も知ろうとしない、誰も教えない。
自分に命令する力のないものほど、自分を命令するものを求める。
ここにはまことの男が少ない。だから、女性が男性化する。つまり、本当に男らしい男だけが女の中に女を解き放つ。
愚か者はよい暮らしを得ても、それよりもっとよい暮らしを求める。
生きるとは、死にかけているようなものを絶えず自分から突き放していくことである。
真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。
誰であれ、若いうちは、思う存分遊ぶべきである。長いあいだ活字の森にばかりいると、そこから抜け出られなくなるものだ。
人間のみがこの世で苦しんでいるので、笑いを発明せざるを得なかった。
自殺を想うことは強い慰謝剤である。これによって数々の悪夜が楽に過ごせる。
怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
苦しみを共にするのではなく、喜びを共にすることが友人をつくる。
才能が1つ多いほうが、才能が1つ少ないよりもより危険である。
愛のなかには、常にいくぶんかの狂気がある。しかし狂気のなかには常にまた、いくぶんかの理性がある。
悪人がいくら害悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼず害悪にまさる害悪はない。
人間は神の失敗作に過ぎないのか、それとも神こそ人間の失敗作にすぎぬのか。
万人向きの書物は常に悪臭を放つ書物である。民衆が飲み食いするところでは、崇敬するところでさえも、常に息がつまるものだ。
自己侮蔑という男子の病気には、賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である。
孤独を味わうことで、人は自分に厳しく、他人に優しくなれる。いずれにせよ、人格が磨かれる。
あとからくる世代は、過ぎ去った一切を、自分のところに導く橋と解釈する。
怒っても殺せないときは、笑えば殺すことができる。
復讐と恋愛においては、女は男よりも野蛮である。
男が本当に好きなものは二つ。危険と遊びである。そしてまた、男は女を愛するが、それは遊びのなかで最も危険なものであるからだ。
脱皮できない蛇は滅びる。意見を脱皮していくことを妨げられた精神も同じことである。
職業は生活の背景である。
自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。
みずから敵の間へ躍り込んでいくのは、臆病の証拠であるかもしれない。
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