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壮絶な最後を遂げた三島由紀夫の名言集。

小説家、右翼家、政治活動家である三島由紀夫の名言集をご紹介。

▼三島由紀夫(平岡 公威)

三島由紀夫は東京都に1925年1月14日に生まれ、幼い頃は両親と祖母に育てられる。小説家として『仮面の告白』、『潮騒』、『金閣寺』、『鏡子の家』、『憂国』、『豊饒の海』四部作などを執筆した一方、晩年は自衛隊に体験入学し、独自に民兵組織「盾の会」を結成。

右翼的な政治活動を行いました。1970年11月25日現防衛省本省にて東部方面創刊を監禁しクーデターを促しました。演説を終えた三島由紀夫はその場で割腹自殺を遂げ、この世を去りました。

▼三島由紀夫の名言

若さはいろんなあやまちを犯すものだが、そうして犯すあやまちは人生に対する礼儀のようなものだ。
若さが幸福を求めるなどというのは、衰退である。
本当の美とは人を黙らせるものであります。
神聖なものほど猥褻だ。だから恋愛より結婚のほうがずっと猥褻だ。
まことに人生はままならないもので、生きている人間は多かれ少なかれ喜劇的である。
権力はどんな腐敗よりも純粋を怖れる性質があった。
柔軟性というのは妥協だよ。
死は行為だが、これほど一回的な究極的な行為はない。
人を必ず傷つける結果になるやさしさの支出には慎重になった。
現実というものは、袋小路かと思うと、また妙な具合にひらけてくる。
好奇心には道徳がないのである。もしかするとそれは人間のもちうるもっとも不徳な欲望かもしれない。
美というものは、そうだ、何といったらいいか、虫歯のようなものなんだ。それは舌にさわり、 引っかかり、痛み、自分の存在を主張する。
世の中って、真面目にしたことは大抵失敗するし、不真面目にしたことはうまく行く。
世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない。世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない。
未来のための行動は、文化の成熟を否定し、伝統の高貴を否定し、かけがえのない現在をして、すべて革命への過程に化せしめる
感傷というものが女性的な特質のように考えられているのは明らかに誤解である。
崇高なものが現代では無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力がある。
動物になるべき時には、ちゃんと動物になれない人間は不潔であります。
貞女とは、多くの場合、世間の評判であり、その世間をカサに着た女のヨロイである。
軽蔑とは、女の男に対する永遠の批判である。
日本文化は、本来オリジナルとコピーの弁別を持たぬことである。西欧ではものとしての文化は主として石で作られているが、日本のそれは木で作られている。
私は民主主義と暗殺はつきもので、共産主義と粛正はつきものだと思っております。
政治の本質は殺すことだ。
守るという行為には、かくて必ず危険がつきまとい、自己を守るのにすら自己放棄が必須になる。
言論の底には血がにじんでいる。そして、それを忘れた言論はすぐ偽善と嘘に堕する
いったい何が正義なのかという問題になりますと、核兵器から遠いものほど正義になっているんですな。力が弱ければ正義量が増すんですから。男よりも女のほうが正義なんだ。女は男よりも弱いですからね。
人間は、強くてきたないということは許せないんだよ、だいたいね。
文学においては、自己を弱者と規定すると、とってもやりやすくなるんだよ。
文化を全面的に容認する政体は可能かという問題は、ほとんど、エロティシズムを全面的に容認する政体は可能かという問題に接近している。
日本で言論と称されているものは、あれは暴力。
人間はどうせダメだと思うと、非常に理想が観念的になるわな。どうせダメだと思う人間の思っているユートピアは恐ろしいよ。
初めから妥協を考えるような決意というものは本物の決意ではないのです。
暗殺を非難するのはやさしいが、皆さん暗殺できますか?
人間は悲しいことに、他人の思想を抹殺する方法としては、殺すことしかまだ知らなかった。どんなことをしても、これしかできない。
何もここで諸君と殴り合う必要はないのだ。だけどもその底の底の底には、許し合わないものは対決しなきゃならん、殺す覚悟で話さなきゃならんという信念がなければ、その人は力がない。
こんな私にだれがしたとでもいいましょうか。何者かがこうさせてしまったのです。私もこんなにはなりたくなかった。
なぜ陛下は人間となってしまわれたのか。
生きるということは、自己が美しいものになることを否定することだ。
決意を持続させることのできるのは、習慣という怪物である。
無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るだろう
初恋に勝って人生に失敗するというのは良くある例で、初恋は破れるほうがいいと言う説もある。
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