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仲本工事さん死去「ザ・ドリフターズ」「8時だよ!全員集合」を振り返る

10月19日22時22分、仲本工事さんが急性硬膜下血種のために亡くなりました。
満81歳でした。

前日の18日の午前、神奈川県横浜市で、道路を渡ろうとして車にはねられ、意識がもうろうとした状態の重症だというニュースがありました。

現場では、頭から血を流して大の字になって倒れていて、鞄や靴などが周りに散らばっていたという目撃情報がありました。

救急車で運ばれた後手術をしたのですが、翌日の19日に亡くなったということです。

私は、「8時だよ!全員集合」世代の1人です。
毎週土曜日の夜8時には、テレビの前で面白いコントを見て笑っていたものです。
ザ・ドリフターズは、とても楽しい時間を私たちに与えてくれました。

しかし、荒井注さん、いかりや長介さん、そしてコロナで志村けんさんも亡くなりました。

その後、加藤茶さんと高木ブーさん、仲本工事さんの3人が一緒にテレビに出ているのを見て、「3人とも元気で頑張ってるなあ、長生きしてほしいよー」と思っていたのですが、さらに仲本工事さんまで亡くなり、さびしい限りです。

「8時だよ!全員集合」が終了した後は、「ドリフの大爆笑」という番組もありました。

だからザ・ドリフターズは様々な年代の人に、笑いを届けたグループなのです。

そして今回は仲本工事さんを偲び、ザ・ドリフターズとそれぞれのメンバーのプロフィールや活躍について振り返ってみたいと思います。

ザ・ドリフターズとは・・

ザ・ドリフターズは、1956年に結成された音楽バンド&コントグループです。

当初からはメンバーが入れ替わっていますが、1969年に「8時だよ!全員集合」で大ブレイクしてからは以下のメンバーで活動してきました。

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ザ・ドリフターズの足跡

ザ・ドリフターズか誕生してから現在までの足跡を見てみましょう。

《ザ・ドリフターズの誕生から「8時だよ!全員集合」が始まるまで》

ザ・ドリフターズは、1956年に生まれました。

ジャズバンドでもお笑いグループでもある「クレージーキャッツ」の後輩で、マウンテンボーイズと東京ウエスタンボーイズが一緒になったバンドです。

当初は、桜井輝夫という2代目のリーダーだった人がオーナーとなり、いかりや長介がザ・ドリフターズのリーダーとするメンバーをマネジメントしていましたが、当時のメンバーのうち、4人が脱退しました。(4人の中には坂本九や小野ヤスシがいました。)

ザ・ドリフターズとしては、いかりや長介と加藤茶、小山威と綱木文夫の4人になりましたが、そこに高木ブーと荒井注、石田サダオの3人が加わって、7人体制になりました。

しかしその後、石川サダオと小山威が抜けて、そこに入ってきたのが仲本工事でした。

そしてメンバーは、いかりや長介と加藤茶、荒井注と高木ブー、仲本工事と綱木文夫の6人になり、その後綱木も抜けて、5人体制となったのです。

5人体制になったところで、それ以上メンバーを入れたりすることはせず、オーナーの櫻井輝夫はザ・ドリフターズを渡辺プロダクションに託しました。

1966年には、来日したビートルズの公演の前座で、ビートルズが歌う曲の伴奏も務めたことで、注目を浴びるようになりました。

その後、1969年までは音楽バンドとして、「ズッコケちゃん」や「ミヨちゃん」、「いい湯だな」や「ドリフのズンドコ節」などの個性的なコミカルな曲を歌っていました。
1970年には、日本レコード大賞大衆賞や、日本歌謡大賞放送音楽賞なども受賞しています。

そして国民的なテレビ番組「8時だよ!全員集合」が、1969年10月4日から始まりました。

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《「8時だよ!全員集合」という番組のこと》

「8時だよ!全員集合」はTBS系列局で、1969年10月4日から1985年9月28日まで放送されました。(1971年の4月から9月までは休止)
毎週土曜日の、午後8時から8時55分までの番組です。

初めに「8時だよ!全員集合!」といういかりやさんの掛け声とともに、4人のメンバーが観客席の方からステージに上がってきて、いかりやさんのちょっとしたトークの後、「今日も行ってみよう」と言い、「あ~あ、北海名物」という北海盆歌の全員集合編でオープニングが始まります。

前半はザ・ドリフターズのメンバーによるコントで、後半はゲストも加わった合唱団やゲストたちの歌、ショートコントが展開されます。

前半のコントでは、いかりや長介が一番に舞台に出てきて「オーッス」と会場に声をかけ、観客が「オー」というやり取りがあります。

すぐにコントが始まるのですが、ネタとしては探検隊や忍者のコント、教室での授業風景やお母さんと子どもたちコントなどです。

隊長や先生、お母さん役はいかりや長介さんで、後のメンバーが隊員や生徒の役をして、いかりや長介の言うことを聞かなかったりからかったりしていかりやさんを振り回します。

探検や忍者のコントなどでは、後ろから誰かがこっそり来ていたり、危ない場面では、会場の子どもたちが「あー!」「後ろ後ろ!」と声を上げ、舞台上のドリフターズのメンバーたちに危険を知らせたり、歓声や安堵の声を上げたりして、会場と一体となっていました。

会場の子どもたちだけでなく、テレビの前で見ている人たちも同じ気持ちになっていたでしょう。

そして、いかりやさんの「ダメだこりゃ」という言葉や何らかのオチでコントが終わり、「盆周りという曲に合わせて舞台が回転し、ゲストが歌を歌い、その後は後半が始まります。

後半では、いかりや長介さんが神父の姿をして、他のメンバーやゲスト、合唱団の人たちは白いベレー帽と白いスモック、ドリフターズのメンバーたちは短パンを履いて登場し、動揺などを歌いますが、途中からコントのようになっていきます。

合唱団の後は、いかりやさんの進行で、ドリフターズのメンバーとゲストが夫婦コントなどのショートコントが繰り広げられます。

そしてエンディングは、「いい湯だな」の歌を歌って、曲の合間に加藤茶さんが「風呂入れよ」「歯磨けよ」「宿題しろよ」などと、子どもたちに向けたメッセージを送ってくれ、「バイバイ」「また来週!」と言って締めくくられました。

このように、会場の子どもたちやテレビの前の子どもたちと一緒に進行していく番組で、長い間放送されていました。

放送中は会場も一つの所ではなく、日本各地の体育館や市民会館などを使い、全国の人たちが見に来られるような工夫がされていました。

「8時だよ!全員集合」が終了した後は、「ドリフの大爆笑」や「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」などの番組がありました。

ザ・ドリフターズのメンバーの紹介

ではメンバーを一人ずつ紹介します。

加藤茶さん

高木ブーさん

いかりや長介さん(故人)

荒井注さん(故人)

志村けん(故人)

仲本工事(故人)

まとめ

「ザ・ドリフターズ」のメンバーがまた1人、天国に行ってしまいました。

昭和から平成にかけて一世を風靡した「ザ・ドリフターズ」。

日本国民はこの方たちにどれだけ、笑いを振りまいてくれたでしょう。

仲本工事さんが交通事故で亡くなってしまったという訃報を受けて、「ザドリフターズ」と国民的番組となった「8時だよ!全員集合」について振り返ってみました。

仲本工事さんのご冥福をお祈りいたします。

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