小林麻央が子供に残せるもの
2016年6月。元キャスターでタレント、女優としても活動していた小林麻央さん(33歳)が乳ガンを患っていることが発覚。
夫である市川海老蔵さんが緊急記者会見を開き状況を説明しました。
がんのステージは公表されませんでしたが、かなり深刻な状況だという事で、ネット上では「余命数ヶ月なのでは?」との憶測も流れてます。
梨園の妻として、女として、二人の子供を抱える母として今小林麻央さんが子供に残そうとしているものとは?
小林麻央が新ブログ開設
がんで緊急入院という衝撃的なニュースが各種メディアを通じて全国に流された後、様々な報道が矢継ぎ早に行われると同時に、報道各社が住宅地に機材を持ち込んで数十人もたむろするような行き過ぎた取材が行われ、夫である市川海老蔵さんが加熱する報道の自粛をメディアに求めるという事態にまで発展することとなります。
というのも、彼女と海老蔵さんの間には5歳と3歳になる2人の幼い姉弟がいる中、療養中の母のインタビューを求めに数十人で市川家を取巻く状況はいくらマスコミに報道の自由があったとしても異常であり、その姿に多くの国民が反発。
その上、一部同業者からも苦言が呈されたことから少しずつ事態は沈静化することとなり、7月を迎える頃にようやく市川家周辺に安息がもたらされることとなります。
そして、先日騒動からおよそ2ヶ月が経過した9月1日、それまでメディアには出ず沈黙を保っていた小林麻央さん本人が声明を発表。
新ブログを開設しました。
「なりたい自分になる」との題名の初投稿は10万いいね!を超え、閲覧した方々からは数々の励ましのコメントが寄せられました。
ブログを開設した理由は、がん闘病中の姿もあえてネット上に公開し、抗がん剤で失われた毛髪の代わりに金髪のウィッグをつけた姿をあえて世間にさらしたのは、それだけ病状が安定したという証拠であると同時に、命をかけて加熱する報道関係者から家庭を守るという立場の表明でもあるのではないでしょうか?
そして、梨園すなわち歌舞伎の世界に生きる女として、子供たちに生き様と死に様こそが最も人の心を打つ表現であると実感させる!、そんな一念が見える気がします。
死に関する歌舞伎界の逸話
実際、歌舞伎に関する様々な逸話には、死に関するものが多く残されています。
中でも、37歳という絶頂期に世を去った歌舞伎出身の映画スター市川雷蔵のように、
八代目市川雷蔵
本名:太田吉哉
別名:亀崎章雄(出生名)竹内嘉男(旧名)
屋号:升田屋
生年月日:1931年8月29日
没年月日:1969年7月17日(満37歳没)
出身地:京都府京都市中京区
職業:歌舞伎役者、 俳優
衰えた姿を誰にも見せたくないから、きれいな顔のままで皆さんに覚えておいてもらいたいからということで、ごくごく少数の関係者以外、葬儀においてすらも決して死に顔を見せることのないよう遺言を残した人。
また、子供の頃天才と知られ、同じく若くして亡くなった大正時代の名優、初代中村又五郎のように、臨終の際に鏡を持ってこさせ、自分の死に様を鏡で見とれながら亡くなった人など、様々な死の様子が梨園では連綿と語り継がれています。
しかし、それぐらいであれば単なる芸談、ただの噂話なのですが、恐ろしいことにそういった一種奇妙な死から、日本の芸能史に名を残す人物が深く関わるとなると話は別になります。
それこそが、小林麻央さんのブログ開設と、情報の発信の発端であるとすれば、ある意味において梨園は狂っていると同時に、だからこそ、梨園に生きる女としてどう生きるか、どう生きたかを子供達に残そうとする悲愴な覚悟なのではないでしょうか?
二代目中村又五郎を例に例えると・・・
二代目中村又五郎
本名:中村幸雄
屋号:播磨屋
生年月日:1914年7月21日
没年月日:2009年2月21日(満94歳没)
父:初代中村又五郎
妻:中村光子 (八代目坂東三津五郎の実妹)
鏡に見とれながら世を去った初代中村又五郎が残した一粒種である二代目中村又五郎こそが、平成の世にまで歌舞伎が存在し続ける大きな原動力となった存在です。
簡単に彼の略歴を説明すると、2009年に94歳という高齢で亡くなった二代目中村又五郎翁は幼くして父を亡くし、わずか6歳にして二代目中村又五郎を継がなければならなかったのですが、そんな少年がその後、初代と同じく天才子役として知られるようになると、六代目尾上菊五郎や初代中村吉右衛門といった歴史に名を残す名優たちの薫陶を受ける立場となり、女形や脇役として日本屈指の存在となっていきます。
そして、大成してからは多くの歌舞伎俳優やテレビや映画の役者に大きな影響を与え続けると同時に歌舞伎の世界を超えて日本の芸能における重鎮として活躍。
中でも、彼に惚れ込んだ小説家・池波正太郎が代表作である「剣客商売」の主人公の秋山小兵衛のモデルにすることで、二代目中村又五郎を知らない世代も彼の芸もしくは所作の一端に触れることが可能になったのは、それぐらい彼の存在が偉大であったことの証明でもあります。
そして、老いてからも若手育成に尽力し続けるとともに、過去の名優の芸を伝える貴重な存在として歌舞伎の世界に君臨。
そして、父の死から77年後の1997年、当たり前のように二代目中村又五郎は人間国宝に指定されることとなります。
こういった、ある意味信じがたい現実が存在するのが梨園すなわち歌舞伎の世界です。
そして小林麻央が子供に残したいもの・・・
1人の天才的な役者の始まりに、父の生き様と死に様、そして美意識と無念があったとするなら、後世においてもその姿勢を受け入れて当然、マネをしてしかるべきという話はしかし、小林麻央さんの子供たちにとっては厳しすぎる話かもしれません。
けれど、幼心に芸とは何か、生きるとはどういうことか、死んだらどうなるのかを理解する、もしくは触れることが出来る機会とは貴重です。
生き様と死に様を知り、自分の人生がどういうものであるかを覚悟することはもっと貴重です。
これがもし、一般の家庭だとしたらこういった話は批難されて当然でしょう。
しかし、小林麻央さんの生きている世界は一般ではなく、芸の世界です。
そして、芸の世界においては忘れられることこそが本当の死なのです。
色んな意味で悲しく、そして狂っている話ですが、だからこそ梨園は美しいのではないでしょうか?
『梨園の女として、ガンを患った小林麻央が子供に残せるもの。』・まとめ
今回はがん闘病中の小林麻央さんが子供に残したいものを、いつもとは違う切り口から調べてみました。
まだ幼い二人の子供には理解しがたい歌舞伎の世界ではあるとおもいますが、いずれは歌舞伎界を背負って立つ程になって欲しいですね。
そして麻央さんの病気が早く治りますように!
今回も最後までご覧頂き有難うございました。