歌舞伎界にショック!
海老蔵さん同様、歌舞伎界に新風を巻き起こし「平成中村座」などでは今までにない歌舞伎を披露した事でも有名な十八代目中村勘三郎さんがお亡くなりになりました。
あまりにも短い生涯でした。
ですが、中村勘三郎さんのその死因に一部のファンからは疑問視する声が挙がってます。
「本当の死因は?」「急死が納得できない真相は?」
などと、、、
一度再起してからの急死でしたので、疑問視する声が挙がってくるのも確かですね。
今回はそんな中村勘三郎さんの死因、真相、なぜ死なないといけなかったのか(?)を、詳しく調べてみました。
中村 勘三郎
まずはプロフィールを紹介します。
本名: 波野哲明
生年月日 : 1955年5月30日(享年57歳)
出身地: 東京都
屋号: 中村屋
父・十七代目中村勘三郎、母・ 波野久枝(六代目菊五郎の娘)の長男として生まれる。
1959年(昭和34年)4月、歌舞伎座『昔噺桃太郎』の桃太郎で五代目中村勘九郎を襲名して初舞台を踏みます。
勘三郎さん3歳の春でした。
それ以降、舞台、映画、テレビ・ラジオなどで子役として活躍し、天真爛漫さで「天才子役」と称される。
父や祖父の芸を受け継ぐ、歌舞伎界のホープとして期待されその後、「元禄忠臣蔵」や「髪結新三」、そして「鏡獅子」などの舞台は特に高い評価を得た。
1980年(昭和55年)11月27日、勘三郎さん25歳の時に、七代目中村芝翫の次女・波野好江と結婚。
翌年1981年(昭和56年)10月31日に長男・現、中村勘九郎(波野 雅行 なみのまさゆき)が産まれ、1983年5月18日には次男・現、中村七之助(波野 隆行 なみのたかゆき)も産まれました。
その後、「納涼歌舞伎」や 「コクーン歌舞伎」など初上演し、2004年(平成16年)7月には、アメリカニューヨーク市リンカーンセンター内に、平成中村座を設営して「夏祭浪花鑑」を上演した。
当時のニューヨークタイムズ紙は「(当時上映中の)大作映画よりはるかに刺激的で面白い」と絶賛し、ニューヨーク市民からも高い評価を得ている。
日本のみならず海外にも勢力的に進出し始めた。
同年12月、子役時代から46年間名乗ってきた「中村勘九郎」での舞台納めをし、翌年2005年(平成17年)3月3日に歌舞伎座「鬼一法眼三略巻」の一條大蔵卿、「近江源氏先陣館」の佐々木盛綱ほかで十八代目中村勘三郎を襲名。
襲名興行は、通常1ヶ月程度なのですが、勘三郎さんの場合なんと5ヶ月間も行われました。
これは海老蔵さんの父・市川團十朗以来とのことです。
歌舞伎界での大物さが伺えますね。
ですが、2010年(平成22年)の冬に特発性両側性感音難聴を発症して休養に入ります。
翌年には完治し無事舞台復帰を果たしますが、2012(平成24年)平成中村座ロングラン公演千秋楽の長期公演を無事終えた後に受けた健康診断で、初期の食道癌が判明した。
同年6月18日、年内の演劇活動を停止し療養に専念することを発表した。
7月27日に食道がん摘出手術を行う。(サザンの桑田圭祐と同じ執刀医が担当)
癌の摘出手術は成功し、回復に向かいつつあるも今度は肺疾患を併発する。
癌の転移ではなく、抗がん剤治療などに伴う免疫力低下の影響からウイルスに感染し肺炎を発症したこと、さらにその悪化により急性呼吸窮迫症候群から肺水腫を発症し、危険な状態であることが報道された。
状態は増々悪くなる一方で、人工呼吸器を使用しないと呼吸ができない状態にまでなってしまった。
そして、2012年(平成24年)12月5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため、東京都文京区の日本医科大学付属病院で死去。
57歳という余りにも短い生涯でした。
2013年4月には新生・歌舞伎座こけら落としを控え、今後の歌舞伎界の牽引役の一人と言われていただけに、亨年57という早すぎる死は、梨園にとどまらず多方面から大変惜しまれた名優でした。
中村勘三郎の直接の死因は?
当時、読売新聞の発表では、
12月5日(水)午前6時19分配信
歌舞伎の古典から新作まで芸域は広く、「平成中村座」公演などで歌舞伎界に新風を吹き込み、テレビや映画、現代演劇でも活躍した俳優の中村勘三郎(なかむら・かんざぶろう、本名・波野哲明=なみの・のりあき)さんが5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため、東京都文京区の日本医科大学付属病院で亡くなった。57歳だった。
とあります。
つまり、癌の摘出手術は成功したものの、術後の体へのダメージが大きく、免疫力が低下してしまった時に肺が別のウイルスに感染し、それが発端となり死に至ったとされている。
この事から何点かの疑問がファンの間では飛び交っているようです。
真相1 癌は食堂のはず,,, だが死因は肺疾患?
勘三郎さんは食道癌が見つかった事で摘出手術のため休養宣言をした。
だが、死因は肺の急性呼吸窮迫症候群による肺水腫を発症した事が直接の死因とされています。
これはどういう事かと言うと、術後の勘三郎さんは思ってた以上に体力を消耗し、その後の抗ガン剤の投与が予想以上に腎臓にダメージを与えました。
東洋医学では、肺は腎臓の「母親がわり」と言われております。
そのため腎臓がダメージを受け、弱ってくると自分が身代わりになる特徴をもっており、抗ガン剤や抗生物質、ステロイドなどの強力な毒素を排出するために瀕死の活躍をした腎臓を助けるために肺は無理をし、やがて機能が麻痺して突発性の呼吸器不全になり肺疾患になったのです。
真相2 食道癌は初期じゃなかった?
手術時に癌はかなり進行してたのでは?
勘三郎さんの所属事務所ファーンウッドは当初、「内視鏡でつまんでとることができるほどの初期の食道癌」と説明していた。
しかし手術は12時間にも及ぶほどの長丁場でした。
この事から専門家やファンなどは「発見当初から深刻だったのでは?」としている。
お亡くなりになった、12月5日放送の日テレ報道番組「スッキリ!!」では、吉祥寺セントラルクリニックの矢端院長が取材にこう答えていた。
「12時間という手術時間から考えると、かなり進行していたのかな。または、転移がかなりあったのかな、と推測はできます」
食道癌の場合、普通は6時間前後だという。
手術時間が長引くほど、呼吸不全といった合併症になる可能性は高まるし、勘三郎さんの場合も手術が原因でなったのでは?とも考えられる。
人工肺を着けていたとも報じており、矢端院長いわく
「それが長引くと肺機能が衰え、どんなベテランの医者でも手に負えなくなる」
ともコメントした。
この事から、どうやら関係者は深刻な症状をわかっていたようである。
ファンを心配させないように、無駄な混乱を起こさせないように、事務所側の配慮なのであろう。
?真相3 テクノロジー犯罪
ちょっとオカルトめいた内容ですが、最近の海老蔵さんにちなんでこちらも調べてみました。
こんな記事がありました。
「テクノロジー犯罪でしょうね、肺を狙われるのは常套手段。ベッドに寝たきり、しかも病院なら、テクノロジー犯罪はやりやすいです。屋根裏や屋上からやります、スナイパー部隊がね。」
ちょっと映画の見過ぎなのでは、、続いて
「動機ですが、日本の伝統芸能潰しが数年前から始まっています。私は、朝青龍がやられた(ハメられて引退)際の内部事情を聞いています。朝青龍がやられた、次は歌舞伎と落語に来るねと内輪で話していたら歌舞伎(海老蔵)に来てしまいました。海老蔵に来た際に、次は歌舞伎を盛り立てる立役者、勘三郎に来ると、身内には発言していました。 」
あらら、、、最後に
「で、その後、テクノロジー犯罪臭の高い突発性難聴を患われたので、非常に心配していました。入院した時は病気に乗じて、肺と心臓を狙うのは、テクノロジー犯罪の常套手段なんです。恐らく、限りなくテクノロジー犯罪被害者の可能性が高いですね。歌舞伎界、相撲界、落語界、その他伝統芸能界の皆様、お気をつけください。」
??…との事です。
『海老蔵さんが「兄さん」と呼ぶ、中村勘三郎さんが急死!死因の真相は?』・まとめ
真相3はなかったとして、真相1と真相2は納得いったとおもわれます。
簡単な流れは、
(進行した食堂癌)⇒摘出は成功したが術後の抗ガン剤投与⇒(腎臓にダメージ)⇒身代わりで⇒(肺が呼吸不全)⇒肺疾患を煩い⇒(死に至る)になります。
これが「中村勘三郎の死因」の真相になります。
そもそもなぜ、手術は成功したのにもかかわらず、抗ガン剤の投与が必要だったのでしょうか?
病院側は完璧を期するために行き過ぎた治療がアダとなった典型的な例なんじゃないでしょうか。
今回も最後までご覧頂きありがとうございます。
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