「少年隊」ってご存知ですか?
若い人たちはご存知ないかもしれませんが、かつて(30年以上前)のジャニーズの3人組アイドルグループでした。
メンバーは錦織一清、植草克秀、東山紀之の3人で、それぞれ「ニッキ・ニシキ」「かっちゃん」「ヒガシ」という愛称で親しまれていました。
「仮面舞踏会」や「君だけに」、「デカメロン伝説」など数々のヒット曲を出していましたよ。
「仮面舞踏会」なら、若い方たちも聴いたことがあるのでは?
この少年隊のメンバーのうち、「ニッキとかっちゃんが、10月1日に東京ドームホテルのディナーショーで共演をし、『恒例にしたい』と言ってファンを喜ばせた」ことがニュースになりました。
このニュースを機に、ヒガシを含め少年隊の人たちは今までどのような活動をしてきたのか、そして3人で復活をすることはないのか調査していきます。
少年隊のこと
少年隊は、当時ジャニーズ事務所に所属していた人たちの中の研修生(ジャニーズJr)の中から選ばれたメンバーで結成されたグループです。
現在はニッキが59歳、かっちゃんが58歳、ヒガシが58歳ですが、当時ヒガシはまだ中学生でした。
結成された当時は、この3人のほかにもう1人、松原康行という人がいて4人グループで、「Bチーム」という名称のグループでした。
しかし、ヒガシが高校受験のために休止した時期があり、その間はニッキとかっちゃん、それに松原康行の3人が、すでにデビューしている先輩たちのバックダンサーとして音楽番組などに出演していました。
ところが松原が、ドラマ「3年B組金八先生」に出演するために少年隊を脱退したのです。
そこへちょうど入れ替わるようにヒガシが戻ってきて、ニッキとカッチャン、ヒガシの3人が「Bチーム」から「ジャニーズ少年隊」というグループ名に変わって(その後は「少年隊」になる)活動を始めたという経緯があります。
しばらくは、近藤真彦や田原俊彦のバックダンサーとして活動していました。
そしてまだレコードデビュー前にもかかわらず、1982年6月に、「夜のヒットスタジオ」という歌番組に、初めて「少年隊」として出演しています。
レコードデビューは、1985年12月12日に発売された「仮面舞踏会」です。「日本初、世界行き」というキャッチフレーズと共にデビューして大ヒット、翌年には最優秀新人賞を獲得、紅白歌合戦にも出場しました。
その後ミュージカルや冠番組も持つようになり、1986年から始まった少年隊が主演のミュージカル「PLAYZONE」は2008年まで23年間続きました。(その後は後輩が引き継ぐ)
少年隊の楽曲としては、2008年までシングル曲が出ています。
その後は3人で活動することはなく、2020年9月20日に、ニッキとかっちゃんがジャニーズを退所し、ヒガシはそのまま活動を続けることになりました。
2人が退所をしても「少年隊」という名前は存続していたので、2020年12月12日には35周年を迎え、「少年隊35th Anniversary Best」というベストアルバムが発売されています。
ちなみに「少年隊」という名称は、この3人グループのための名称ではなく、ジャニーズの研修生の総称だったのです。
このことは、のちに錦織が出演したラジオで語っています。研修生の総称なので、自分たちから「その名前をやめてほしい」とは言えない、とも話しています。
3人の活動は?
3人での「少年隊」としての活動は、2008年のミュージカルを終えて以来見られなくなりました。
しかし、3人はそれぞれの分野で活動しているようです。
そこで、一人ずつ、今までの活動について調べてみましょう。
錦織一清(ニッキ)の活動
ニッキがどのような活動をしているのか、プロフィールと共に紹介します。
- 名前:錦織一清(にしきおりかずきよ)
- 生年月日:1965年5月22日(59歳)
- 出身地:東京都江戸川区
- 血液型:O型
- 身長:172cm
- 結婚歴:未婚
1977年、ジャニーズ事務所に入所。仲間からダンス・歌・芝居などなんでもできると注目を浴びる
体育の先生を目指して高校受験(ジャニーズは1年休業)
1981年から少年隊の活動
2020年ジャニーズ事務所を退所
2021年9月より植草克秀とYouTubeチャンネルを開設
ニッキはジャニーズ事務所に入所以来、抜群の運動神経と歌にダンス・芝居・美術系などなんでも器用にこなせたので、ジャニーズのメンバーから「なんでもできる人」と噂されていたようです。
本人は、芸能界に興味がなく、体育の先生を目指して高校受験をしたとか・・・
しかし、受験のために1年間休業している間、矢沢永吉に魅せられ、スターになることを決意したとのことです。
少年隊の3人の活動としては、歌手活動のほかにミュージカルがありました。
そして毎年3人が主演のミュージカル「PLAYZONE」を行う中で、ニッキはミュージカルの脚本や演出まで手掛けるようになりました。
1995年の夏に行われたミュージカルに続き、2009年以降、毎回ニッキがミュージカルの脚本・演出を行うことになったので、「PLAYZONE」は、自分たちの出演を終えた2009年以降も後輩たちに受け継がれて行くことになりました。
ニッキは「PLAYZONE」だけでなく、他の舞台の演出も手掛けています。
さらに巧みなダンスは、ジャニー喜多川さんと一緒にニューヨークに行き、路上で踊っている人に直接指導を受けた賜物だそうです。
その後もディスコに通いダンスの腕を磨いていき、少年隊のミュージカルだけでなく、宝塚スターとの共演もしています。
2020年に植草克秀と共にジャニーズを退社しました。
そして、2022年10月1日、13年ぶりにかっちゃんと東京ドームホテルのディナーショーで共演しました。
12月には大阪での共演も予定されています。
植草克秀(かっちゃん)の活動
次にかっちゃんがどのような活動をしているのか、プロフェールと共に紹介します。
- 名前:植草克秀
- 生年月日:1966年7月24日(58歳)
- 出身地:千葉県千葉市
- 血液型:O型
- 身長:170cm
- 趣味:バーベキュー・バス釣りなどアウトドア系
- 結婚歴:1994年に元モデルと結婚し長男・長女をもうけるが2010年12月に離婚
2013年10月に再婚し、女児が誕生
1985年から少年隊のメンバーとして「仮面舞踏会」でレコードデビュー
2020年ジャニーズを退社
2021年1月個人事務所「2Steps」の設立を発表・錦織一清とYouTubeチャンネルを開設
植草克秀は、TBS系のドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(1993年から2012年)の5人娘の末っ子、本間長子(藤田朋子・演)の夫役・本間英作役で出演していたのは、多くの方がご存知だと思います。
その他に「さすらい刑事旅情編シリーズ」や「宗像教授シリーズ」、「内田康夫旅情シリーズ」などの数々のホームドラマやサスペンスドラマに出演したり、映画やバラエティ番組にも出演しています。
また舞台、ラジオやCM出演など、歌手活動以外に俳優やタレントとしても活躍しています。
2020年末に錦織一清と共にジャニーズ事務所を退社してからは、「ニッキとかっちゃんねる」というYouTubeチャンネルを開設、2人で楽しく話をしたりアウトドア好きなかっちゃんが料理を作ったりする動画を配信していて、チャンネル登録者数も4.75万人にのぼります。
2021年には、水の江瀧子さんの人生を描いた「TARKIE THE STORY」という舞台で、演出家デビューもしています。
東山紀之(ヒガシ)の活動
では、ヒガシはどのような活動をしているか、プロフィールと共に紹介します。
3人の中では一番よくテレビに出ていますね。
- 名前:東山紀之
- 生年月日:1966年9月30日(58歳)
- 出身地:神奈川県川崎市
- 血液型:A型
- 身長:178cm
- 趣味:スキューバ―ダイビング・ボクシング、料理
- 結婚歴:2010年10月、女優木村佳乃と結婚、2011年に長女、2013年に次女が誕生
定時制中学に通いながら合宿生活を送る(高校は中退)
1982年、少年隊のメンバーとなり、1985年「仮面舞踏会」でレコードデビュー
ソロとしても活躍、2008年以降は俳優や舞台業などソロ活動が主となる
2020年、錦織と植草が事務所を退所し、ヒガシは事務所に残る
2021年近藤真彦が退社し、事務所内では最年長となる
東山紀之は同じ事務所の後輩たちや、他の芸能人たちとの交友関係が広いです。
合宿所を出て一人暮らしをする際には、事務所から頼まれてTOKIOのメンバー3人を一緒に住まわせたり、付き人が後輩の坂本昌行だったり、Kinki Kidsの二人とも親交が深いなど事務所内の後輩たちとも仲が良いようです。
また、事務所以外でも、森光子と親交が深かったのは、多くの人が知られていますね。
また、時代劇を教わった松方弘樹や「湾岸スキーヤー」などの楽曲を提供してくれた山下達郎夫妻など、大物の芸能人とも長きに渡って親交があります。
マイケルジャクソンを「ダンスの神様」として尊敬していて、ムーンウォークを披露したり、マイケルについてのコラムを執筆したりしました。
また、「しょうゆ顔」という言葉が流行ったときに、しょうゆ顔の代表のようになったのがヒガシでした。
ヒガシは自身で決めたトレーニングを毎日欠かさずすることでも有名で、「ミスターストイック」という異名もあるほどです。
少年隊、3人での活動は?
ニッキとかっちゃんは、2人で一緒に事務所を退社したあと、二人でYouTubeを開設し、ディナーショーで共演もし、「これからも恒例にしたい」と話しています。
錦織一清と植草克秀がジャニーズを退社した時、「少年隊」という名前は残したままでの二人の退所となったので、今後も少年隊として、楽曲を歌うことができます。
しかし、ヒガシを含めた3人での少年隊はいつか見ることができるのでしょうか。
錦織一清は、「長い間ジャニーズ事務所でお世話になって甘えてきたので、そろそろ1人立ちをしたい」という理由、植草克秀も、「ジャニーズで酸いも甘いも経験したうえで、ピュアな気持ちで新たなスタートをしたい」という理由で、退所をしています。
しかし裏側では、「ヒガシとの待遇の格差が大きい」という理由もあったようです。
90年代半ばごろに植草が、「収入においても僕とニシキは、ヒガシと格差がある」と親しくなったドラマの共演者たちに言っていた、という情報がありました。
さらに、2人が退所を表明したときに、メリーさんから少年隊の復活を提案されましたが、ジェリーさん体制に変わるときには、その話も消えてしまったということです。
そのようなこともあり、そろそろ辞め時だと思ったのでしょう。
ミュージカルが終わったころからもうすでに3人での活動はしていません。
その後は確かにヒガシばかりが、よくテレビなどに出演していたという印象があります。
長い間3人で活動をしていなかったこと、それに復活の話もなくなってしまった今となっては、ヒガシとの3人での復活は少し難しいのかもしれません。
まとめ
少年隊という名前が残っている限り、ニッキとかっちゃんの二人だけでも少年隊の歌やダンスを披露することができるので、良かったですね。
今回のディナーショーで二人だけでもかつてのヒット曲を歌ってくれれば、ファンの方たちはとてもうれしいはずです。
まだこれからも「少年隊」は続くので、いつか3人の少年隊が実現すればいいですね。