市川九團次とは?
市川海老蔵と言えば歌舞伎が大好きという人はもちろんのこと、歌舞伎に詳しくないという人でも名前を知っているほどの有名な役者として知られています。
父に十二代目市川團十郎を持ち、幼いころより歌舞伎の世界で活躍されてきました。
歌舞伎界でも数々の大役に挑戦し高い評価を得ている彼ですが、歌舞伎以外にも活躍の場を広げています。NHK大河ドラマ『武蔵』では主役である宮本武蔵役に抜擢され、『おんな城主直虎』では織田信長役、その他にもドラマや映画などに数多く主演しています。バラエティやCMなどで見かけることも多い印象です。
数々の賞にも輝いており、日本のみならず世界的にも有名です。
そんな市川海老蔵さんの弟子として知られているのが市川九團次さんです。
今回はそんな海老蔵さんの弟子である市川九團次についてまとめてみました。
一般家庭で生まれた市川九團次
歌舞伎俳優市川九團次は、CMやバラエティ番組に出演するなど幅広く活動を行っており、最近ではトレーニングジムでの肉体改造が話題になるなど、男らしい精悍なマスクは歌舞伎役者らしいとして多くのファンがいる有名人です。
1972年生まれの彼は、歌舞伎とは無縁の世界で生きてきた人物です。
生年月日:1972年4月4日
本名:鈴木道行
襲名歴:1. 坂東竹志郎、2. 四代目坂東薪車
3. 市川道行、4. 四代目市川九團次出身地:千葉県
千葉で生まれ、高校在学中にミュージカル俳優でデビューしたことをきっかけとして、テレビや映画など演技をする場所をどんどん広げていきました。
演技の世界に足を踏み入れ最初はミュージカル俳優として活躍します。そして26歳になってから関西上方歌舞伎に入門し、その演技力の高さや努力の成果から上方歌舞伎界のスターまで上り詰めることに。
1998年に五代目坂東竹三郎に入門してから、2005年には四代目坂東薪車を襲名します。同じ年には十三夜会賞奨励賞に輝き、翌年は咲くやこの花賞を受賞。その存在感の高さから江戸歌舞伎まで名前が広く知られることとなります。
しかし、一大スターであった彼は訳あって上方歌舞伎界を去ることになってしまいます。
市川九團次が破門になった理由
現在は門閥外から歌舞伎の世界で活躍をしていますが、過去に一度破門されてしまった時代があります。
この上方歌舞伎は主に江戸時代の大阪、京都を中心に発展していった歌舞伎であり、1998年7月に坂東竹三郎さんの元に26歳で入門をし、9月には『ヤマトタケル』で歌舞伎俳優として初舞台を踏むことになります。それ以降は長い期間関西を拠点に勢力的に活躍をし、当時は実力のある歌舞伎役者の1人だと非常に注目されていました。
しかし2014年2月に師匠に断りを入れずに、現代劇『サロメ』にて秋元道行という芸名で出演したことが問題となり、師弟関係を解消されてしまい歌舞伎役者を破門されました。
当時この問題が掲載された週刊誌の記事では、市川九團次が無断で『サロメ』に出演したことによりそのことを咎めた師匠に対し、「自分は歌舞伎に向いていない」ということを言い放ったと掲載されています。
師匠側も謹慎で済ませるつもりだったのですが、この言葉に愕然とし芸養子関係を解消し破門という形になってしまいまいました。
市川九團次は当時芸名として坂東薪車という名前で活動していましたが、この破門が元となり歌舞伎俳優が所属する日本俳優協会の名簿からも削除されてしまう事態となり、彼の活躍に期待していたファンや歌舞伎関係者は大きく落胆しました。
歌舞伎界では師匠が弟子を破門するということは非常に珍しいことであり、また歌舞伎界では一度家門を去ったものを他の家に加えることはないというルールが存在しており、関西上方歌舞伎の家から出た市川九團次はもう歌舞伎界には戻れないのです。
だが、そんな九團次が破門されてしまった時点で歌舞伎役者の活動を諦めなくてはいけない事態になった時に、彼の元に一本の電話が入ります。
市川海老蔵:「ここまでやってきたんだから、あなたは歌舞伎をやるべきじゃないか」
市川海老蔵さんからでした。
これがきかっけで、九團次は2014年に海老蔵さんの元に弟子入りすることになります。
そして市川海老蔵へ弟子入り
ここまでやってきた努力を無駄にするべきではない、これからも歌舞伎を続けたいのなら連絡してほしい、と声をかけてもらったことにより、40歳という年齢でまた歌舞伎の世界に戻ることができたのです。
ですが、ご法度であった他の一門への移動は、海老蔵さんにとってもリスクはありました。なぜそのリスクを取ったのでしょうか?
それは、当時成田屋の看板役者が不足していたことや、2007年に海老蔵さんが怪我をした際の代役を市川九團次が務めた借りを返すためなど、様々な理由が考えられますが、未来の歌舞伎界を支える役者を守ることを第一に考えたといわれています。
そんな九團次さんは2014年9月に門弟となり市川道行として、歌舞伎を最初からスタート。
2015年には新橋演舞場で公演された『石川五右衛門』のヌルハチとして四代目市川九團次を襲名します。
全国で歌舞伎公演を行いながら、自主公演である『九團次の会』も開催しています。
2018年には全国で13公演を開催し勤め上げています。
最近ではバラエティ番組やテレビCMなど活躍の舞台を幅広く増やしており、特に印象的なのはライザップのCMではないでしょうか。
話題になった市川九團次のライザップ
45歳でライザップのCMに出演しており、まさに中年という体型からわずか3か月のトレーニングで体重は-24.8㎏とかなり絞った姿が公開されており驚きを隠せません。以前までの体型と比較してみると、贅肉がなくなり引き締まった見事な体型にCMを見た人も驚いたのではないでしょうか。
市川海老蔵家族とも良好
暗黙のルールを破ってまで市川九團次を弟子にした市川海老蔵のエピソードはテレビで語られており、今では市川海老蔵を命の恩人とまで言って感謝を表しているそう。
歌舞伎界のルールを破ってまで弟子にするのはなかなかできないこと。これまでの歌舞伎界の常識を覆してまで弟子にしてもらった感謝から、師匠の言葉にはNOと言わないようにしているそうです。
ある年の盛岡公演で、わんこそば大会や冷麺大会、カレーライス大食い大会をやろうと企画されたことがあり、その中で市川九團次は弟子の中でも最年長でありながらわんこそばを180杯、冷麺を11杯、カレーライスを7杯もたいらげて優勝します。
師弟の関係があるからこそ頑張る姿には、思わず応援してこれからの活躍を見ていきたくなってしまいます。
また、市川海老蔵さんとも様々な演目で共演しており、海老蔵さんの子供二人とも面識があることがSNSなどでわかっています。
特に体質改善を行っている九團次さんですが、劇場出演をしている間は中々昼食を取る時間が取れないことから、お弁当などをまとめて食いだめをするなど食事時間がバラバラになってしまうことをブログでファンに伝えています。
そんな九團次に対して、海老蔵さんの娘である麗禾ちゃんからは「嫌いなものでも食べないといけません」とたしなめられるなど、海老蔵ファミリーとも非常に良い関係であることがSNSや自身で運営しているブログなどでわかります。
今後の市川九團次に期待です!
今回も最後までご覧いただき有難うございました。