【死因】舞台で刺殺や謎の自殺など市川團十郎にまつわる呪いと悲劇!

歴代市川團十郎の呪いと悲劇とは?

歌舞伎界のトップに君臨する”成田屋”

その成田屋の市川宗家の名跡が市川團十郎です。

言うならば、歌舞伎界の頂点の人物こそ市川團十郎といっても過言ではない。

歌舞伎は歴史がある日本伝統文化のひとつですが、市川團十郎の初代は元禄時代から始まりました。

そして2013年に十二代目となる市川團十郎さんがお亡くなりになり、現在は不在となっております。

そんな歴史ある市川團十郎という名跡ですが、歴代の死因を見てみると幾つか不可思議な死にかたをしている。

その死因こそ市川團十郎にまつわる呪いと悲劇と言われる要因なのかもしれない。

今回はそんな市川團十郎の歴代の死因をまとめてみました。

初代・市川團十郎は舞台で刺殺

狭客だった父の元に誕生した初代市川團十郎は、元禄歌舞伎を代表する人気役者でした。

今では歌舞伎の舞台などでよく見る”荒事芸”は、この初代が歌舞伎に導入したと言われてます。

そして屋号の成田屋の由来は、初代が成田山新勝寺近くの幡谷出身だった事からきているとの事。

そんな江戸で大人気だった團十郎は、人気絶頂の時に生島半六という歌舞伎役者に舞台で刺されて死んでしまいました。

その動機は・・・

初代團十郎は子供好きで、いつも着物の袖にお菓子を持ち合わせていました。

それを目当てに團十郎の芝居小屋の周りにはいつも子供たちが集まっていたという。

ある日その子供たちの群れに半六の義理の息子がいました。

その子が「おいらにもくれ」というと「てめぇは親父にもらいな」と團十郎は返したそうです。

以前から團十郎は半六を金銭面や仕事の面で援助してました。

そして江戸時代に御法度の性的スキャンダルも團十郎が何とかしたそうです。

それにも関わらず半六は團十郎を裏切りました。

それに呆れた團十郎は半六の義理の息子にはこのような返しをしたそうです。

その事を後に聞いた半六は激怒。

團十郎が舞台『移徙十二段(わたましじゅうにだん)』に出演している最中に、楽屋から壇上に上がり隠し持っていたナイフで脇腹を刺し即死させたという。

一部ネットには半六が自分の息子を團十郎に虐待されたから刺したとあるが、虐待でもないですしその原因は半六にあったようだ。

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三代目・市川團十郎は若くして病死

三代目市川團十郎は初代團十郎の弟子の息子。

その後二代目の養子となり、二代目が隠居した事に伴い三代目市川團十郎を受け継いだ。

将来有望視された歌舞伎役者のひとりでしたが、旅先の大阪で病気になってしまい、江戸に戻ったものの翌年22歳の若さで亡くなってしまった。

六代目・市川團十郎も若くして病死

六代目市川團十郎は五代目の不倫相手の子として生まれた。

そのため一度弟子に引き取らせ、その後自分の養子として迎えた。

端正な顔立ちで人気があった六代目は”助六”が当たり役となり、将来が期待された。

だが三代目と同じく22歳の若さで、風邪をこじらせ帰らぬ人となってしまった。

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八代目・市川團十郎は謎の自殺

七代目の実子として生まれる。

二枚目役者として有名で、一時期不況になった江戸の芝居を再び活気付けた立役者。

天保の改革によって江戸を追放された父・七代目に会うために大阪に行く。

その大阪では父親と一緒に舞台に立つ事が決まりそのため稽古に励んだ。

だが、舞台初日を迎えた日に旅館で自殺してしまった。

その動機は(諸説あるが一番有力)・・・

大阪で自分が舞台に立つ事は、江戸でお世話になった座元を裏切る行為。

その義理たてのためだと言われている。

こんな遺書もありました。

「父への慰問のつもりで大阪を訪ねたのに、父の友人である植木屋久兵衛から大坂でも演じてほしいと懇願され、断れなかったので大坂にきてしまい、江戸への不義を感じて死ぬ」

だが、後にこの遺書は創作だと判明した。

そのため義理立ての自殺という説も曖昧。

八代目團十郎の自殺の動機は未だにが判明していない為、”謎の自殺”と言われてそうです。

このように市川團十郎を襲名した歴代の人気俳優は非業の死を迎えてる。

これが”市川團十郎の呪いと悲劇”と言われる起源でもあった。

だが、それだけではなく歴代の中には自分には火の粉が降りかからなかったが、自分に近い身内が災難を迎えたパターンもあった。

九代目・市川團十郎の養父や弟子が・・・

兄であった八代目が自殺によって亡くなったため九代目を引き継いだ。

若い頃は「大根役者」と揶揄されていたが、町人の娯楽でしかなかった歌舞伎を日本の伝統文化とまで言われる芸術的なものに押し上げたのは、この九代目が尽力したからである。

そんな九代目團十郎は30歳の頃、空き巣に入られて養父を殺されてしまった。

自らは納戸に隠れてたため九死に一生を得た。

だが災難は続く。

生前九代目が一番気にしていたのが市川團十郎の後継。

自身には娘が二人で息子はいなかった。

そこで当時弟子で天才と呼ばれていた五代目市川新蔵を養子に迎え、十代目を継がせるために手塩にかけて育てた。

周囲からも「十代目市川團十郎だ」と期待された。

そんな新蔵だったが、眼病にかかり失明してしまう。

眼帯をして舞台にも立っていたが、その病気は悪化。

そして37歳の若さで新蔵は亡くなってしまいました。

十一代目・市川團十郎は息子が・・・

現在の海老蔵さんのオジにあたる十一代目團十郎。

空前の歌舞伎ブームを巻き起こした戦後の代表的は花形役者。

海老蔵さんは若かりし頃、歌舞伎が嫌で反発していたが、十一代目の演技をフィルムで見て感動し、そこから歌舞伎に真剣に取り組むようになったとの逸話も残されている。

そんな十一代目だが、初婚の時に生まれた子供が夭折する悲劇に見舞われている。

その後離婚し、再婚した妻との間に後に十二代目となる團十郎が生まれた。

だが、自身は市川團十郎を襲名してわずか3年で亡くなってしまった。

死因は胃がん。

今もなお悲劇の名優とされている。

十三代目市川團十郎(襲名予定)は妻が・・・

そして十三代目市川團十郎を襲名するであろう現在の海老蔵さん。

ヤンチャで有名でしたが、結婚後は二人のお子さんにも恵まれ誰もが羨む家族像でした。

が、妻である小林麻央さんに乳がんが発覚。

その後の闘病生活を赤裸々に綴ったブログは話題にもなりました。

そんな闘病生活は3年。

残念ながら麻央さんは天国へと旅立ってしまいました。

死因は乳がん。

お亡くなりになった翌日の海老蔵さんの涙ながらの訃報会見は、見ててとても悲しい気持ちになりました。

 

参考:【動画あり】市川海老蔵、会見で涙…来世も再来世も一緒になって欲しい。

九代目、十一代目、十三代目(襲名予定)市川團十郎は、このように自分ではなく身内に最悪な不幸が訪れたパターンでした。

上記のように今までの歴代を見てみると、死因は違えど若くして不運に見舞われお亡くなりになってます。

それがまた”市川團十郎の呪いと悲劇”と言われる要因でもあるのかもしれません。

『【死因】舞台で刺殺や謎の自殺など市川團十郎にまつわる呪いと悲劇!』・まとめ

今回は市川團十郎にまつわる呪いと悲劇についてまとめてみました。

歴代の團十郎の死因を見てみると、やはり何らかの呪いがあるのでは?ともおもえてくるほどだ。

この呪いは永遠に続いて行くのでしょうか。

できれば襲名予定の十三代目で終わりにして欲しい。

海老蔵さんもそのおもいで十三代目を襲名するのだろう。

今回も最後までご覧頂き有難うございました。

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参考:海老蔵と小林麻耶の”最新”の怪しい写真は確かに怪しい…

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